本業でも、副業でも輝く。
次のテーマで話し合った。
(2020年3月21日 かながわエルプラザ)
どんなアクションがあるか。」
司会/岩田博美さん
アドバイザー/影山なお子さん 大橋禄郎
プログラムは以下のとおり。
(友人・知人の例も歓迎)
2.「副業」の範囲は広く、定義は定まっていない。
私が考える副業とは……。
3.いま、やってみたい……こんな副業、こんなダブルワーク。
(趣味、栄養士の他業界、資格取得、そのほか)
4.副業・ダブルワークにどんな意味があるのか。
5.副業・ダブルワークのルールブック。
近代以降の日本では、
「内職」や「アルバイト」のイメージは、
貧しさや「苦学」を連想させ、
マイナーなニュアンスが強かった。
しかし、いまや労働人口激減の時代、
そのため、持てる気力と時間とを活用して、
公私にわたって長期的に生産活動に参加することは
肯定的に評価されつつある。
いまやどの分野でも、
労働環境がよくなり、
1人の生産能力が飛躍的に高まった。
「テレワーク」などという働き方も可能になった。
おまけに、終身雇用の伝統がうすれ、
雇用者に対して過度の遠慮がいらなくなり、
副業も、いくらかオープンなものになってきた。
(とは言え、身の安全のためには、
同僚に自分の副業はクローズしておくほうがいい)
栄養状態が天井知らず的によくなり、
寿命も長くなっているので、
むしろ副業は、
心身の活性化の好条件の1つ、
つまりは健康向上の促進要素になっている。
副業や兼業は有史以前から存在していた
と言ってもいいだろう。
一次産業(農水産業ほか)には、
繁忙期と閑期とがあり、
閑期には地域の共同作業や
イベント、そして、争いごとや戰(いくさ)にも
戦士として駆り出されたことだろう。
それでも
兼業農業などの伝統は生きているし、
地主や家主、投資、貸し金業などは
今も昔も変わらず続いている。
仕事を「修業」ととらえ、
住み込み従業員となった「丁稚奉公」の時代であり、
近代では、
中小企業や公務員などのように、
終身雇用が慣例になってからのことである。
食ジムでは、「副業」の定義を試みた。
ここでポイントとなるのは、
本業と副業の区分け。
参加時間の長短で決めるのか、
収入の多少で決めるのか……である。
が、これはポイントにはならないことが
すぐにわかる。
アパート経営と勤め人の兼業の場合、
どちらの収入がが多いかはケースバイケースだし、
参加時間も計り方でいかようにも変わるので、
本業と副業のランキングはそう簡単ではない。
勤め人と、株の売買の兼業の場合では、
労働時間で計るといっても、
肉体的労働と知的労働との分別が、
これもなかなかスカッとはいかない。
もっと言えば、
「副業」とは言いながら、
かならず収入を前提としているとは言えない例も多くある。
災害地でのボランティアを続けていた人が
テレビの出演依頼を受けたのがきっかけで、
ポランティアコーディネーターになったり、
海に流し続けている人が、
ダイビング雑誌の外部スタッフとなって
何十年も編集者として働いたりする人もいるから、
収入を前提としないボランティアや趣味の段階と言えども、
「副業」は始まっている、と言えそうである。
以上は、けっして、
余暇活動を収入源にするとよいと言っているのではない。
そうではなくて、
気合を入れて行なう余暇活動は
熱意において、心身を使う労作において
「本業」と変わるところはない。
仕事と余暇についても「主」と「副」の関係ではなく、
双方が人生において不可欠のもの、
つまりワンセットのものである。
しかし、30年前くらいまでは、
「あなたは仕事派? 余暇派?」などという比較が
新聞記事になっていた。
それに疑問を持って、
「予暇」と書くことを提案し、
自由時間は仕事から「余った暇」と考えるのではなく、
「予定しておくべき暇(時間)」(予暇)である、とした。
ここから「大橋予暇研究所」がスタートする。
仕事と「予暇」との関係においても、
「本業」と「副業」の分別は可能ではあるが、
「予暇研究者」の理念から言えば、
双方をメインとサブとに分けるべきではなく、
それに関わっているとき、
そのときどきが「本業」である、となる。
世間の相場とは開き過ぎるので、
とりあえずは拘束時間が長いほうを「本業」
ということにしておいて、
その他のもの(別の収入源や余暇活動)を
「副業」としておけばいいだろう。
昔、民放のテレビ番組に
『必殺仕事人』というのがあったが、
ここでは主人公が夜は悪人を「必殺」する
副業を持っていた。
この場合は、「副業」は絶対に闇の中で、
明かさないからこその「予暇活動」である。
社会通念としては、
「趣味やボランティアは副業とは言わんでしょう」
なのだが、
自分の中では、
「本業」と「副業1」「副業2」「副業3」を
収入の有無、多少では区分しない、
というコンセプトを貫いたほうが、
結果として、
人生における収穫は多いことは確かである。
by rocky-road | 2020-03-25 22:04 | 「食ジム」