年賀状を何歳でやめますか。
今後、年賀状を「失礼する」というハガキを
何通かいただいた。
いつもの年より多い気がする。
年賀状が続けられなくなった、というのである。
交流がなくなったので「つき合い終了」
というよりも、自己都合のニュアンス。
気力・体力をどこで使うかは個人の勝手だから、
励ましたり残念がるのは野暮。
ここは、コトバどおりに受け止めて、
「残りの人生を楽しく、愉快に!!」
「よい友情をありがとう」などと
その人への最後の返事を出した。
大別して、フェイドアウト型と
宣言型、死別型があるが、
やはりケジメをつけたほうが
相手は落ちつくし、
本人の心の健康にもプラスになりそうだ。
年賀状には「もうすぐ70歳」
「70を過ぎて体力が低下し……」
などと年齢にひっかけたものが目立つ。
つまり、暦の年齢に
自分の老化を合わせようとしている。
これが日本文化なのだろう。
年齢で言えば、還暦とか古希とか米寿とか。
いずれも中国由来の概念だろうが、
生活環境が大きく変わって
およそ現代日本の気候、
現代日本人のライフスタイルとは
かけ離れたものになっている。
天気予報では
「大寒」だの「立春」だの「啓蟄」(けいちつ)だのと
温暖化が進む現在の日本に
まったく合わなくなった話題を
どういうつもりか、しばしば繰り返す。
いくらでも「話題化」が可能なはずだが、
予報官らの話題力では
「きょうの話題」づくりはムリなのか。
「苦笑・失笑ネタ」の程度で
さしたるリスクはないが、
「還暦」「古希」「卒寿」「米寿」などとなると
少なからずの実害がある。
千数百年前の中国人の寿命を元に
提案された長寿感覚を
21世紀の日本人に当てはめるムリは
少なからずの日本人が理解していることだろう。
これは笑ってはいられない問題を含む。
つまりこの中国文化は、
われわれの寿命を縮める方向で
深層心理の中に刷り込まれてゆく。
60歳で赤ん坊の年に還る(還暦)。
一巡ということか。
70歳は「稀(希)」(まれ)な長寿である(古希)
だなんて、笑わしてくれるな、と言いたいが、
年賀状には「今年は還暦を迎える」
「私も、もう還暦の年」
などというフレーズがいくつもある。
「だから、なんなの?」
現代日本人の年齢を
ダンピングすることにほかならない。
100円のものを
60円や70円、80円で売っちまっていいんかい?
最後まで見ないで映画館から出てくるようなもの。
列車で言えば、
北海道旅行を目指している人が
福島か宮城で途中下車してしまうようなもの。
なぜ悪い?」と言うなら、
こう反論しよう。
「そりゃ、おヌシが悪い。
それは一種の食い逃げだよ!
キミがここまで人生を楽しんできたのは
いったい、だれのおかげ?
親や兄弟や親戚、その他、
いろいろの人のおかげだろう。
その借りをお返しをするには、
60歳くらいで還暦なんて言って
自分を甘やかしてはいけないよ」
もう1000年以上前の年齢尺度で
老若を計るのではなく、
もっと遠くまで計れるメジャーを
使う必要があるだろう。
新規にメジャーを作るか、
一種のリデノミネーションを図って
「還暦」を80歳に、
「古希」と「米寿」は捨てて、
90歳の「卒寿」や99歳の「白寿」、
100歳の「百寿」はそのままに。
ゴールラインを遠くに持っていかれた感じだが、
人生とは変化に富んだ、そんなもの。
「楽しむ時間が増えた」と、
早いとこ切り替えることが大事。
言うのは簡単だが、
伝統文化は改変をしにくい。
いっそ、そういう祝いをやめて
毎年の誕生日を大事にする、
できれば自宅以外の場所、
公園やその他の屋外、
飲食店、理想的には旅行先で祝うなどと。
折しも、
尊敬する栄養士からハガキが届いて、
「いわゆる老人ホームに入った」との
お知らせをいただいた。
「お目にかかれたらうれしいけれど、
うまく脱出しないと……」との添え書きが。
楽器を入れるボックスは持ち合わせないが、
国外逃亡でなければ、
どうっていうこともない。
「近くまで伺いますから、
脱出劇を演じましょう」と、
ご返事しておいた。
by rocky-road | 2020-01-26 22:33 | 年賀状何歳でやめる?