公共放送の日本語力。

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1110日の「祝賀御礼の儀」を

NHKテレビの実況放送で見ていたら、

原稿のない、フリートークをするときの

アナウンサーの日本語力の弱さを

改めて実感した。

両陛下を沿道でお迎えする人たちは、

事前に手荷物検査を受けて

沿道の歓迎スペースに入ることになるのだが、

これを実況する女子アナは、

「ここをくぐり抜けた人だけが中に入れるのです」

というような説明をしていた。

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「くぐり抜ける」とはなんだ?

『広辞苑』では、「①くぐって通り抜ける。

②危険や困難な事情をうまく処理して

生き延びる」としている。

沿道に小さなトンネルなどないから、

ここでは②の意味。

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手荷物検査をくぐり抜けるという場合、

今日の意味では、

物騒な目的を持った者(たとえばテロリスト)

警察のチェックを巧妙に突破する……

などということになるだろう。

祝賀パレードを祝う人たちに対して

なんと場違いな表現をするのだろう。

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このレポートに続いて、女子アナは

沿道の人たちの声を拾うのだが、

このときには、

「〇〇県から来たという40代の女性は……」

「〇○県から来たという家族は……」

と紹介する。

「来た」は、いかにも粗雑。

なぜ「……いらした」というコトバが

さっと出てこないのだろうか。

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その前日、夕方の天気予報では、

女性の予報士が「あしたパレードを

見に行く人もいると思いますが、

あしたは絶好のパレード日和です」と。

気象予報士に限らず、アナウンサーも

しばしば視聴者に対して

「……する人もいると思う」と表現する。

せめて「人」を「方」に、

「いる」を「いらっしゃる」のように、

ていねい表現ができないものか。

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さて、パレードが通り過ぎたあと、

沿道の人たちから感動の声を求めるのだが、

ここでもマイクを向ける女子アナは、

「お2人の表情を見ることができましたか」と

「見る」を連発する。

せめて「ご覧になれましたか」と言えないのか。

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むしろ沿道の人のほうが

整ったていねい表現をしていた。

「お姿を拝見して、来てよかったと思います」

「お2人のお姿をしっかり拝見できました」

小学生さえ「お姿をこの目に焼きつけました」と。

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沿道と二元中継をする

スタジオでの男性アナウンサーのほうは、

(皇后さまは)「左右の沿道にいる人たちに

手を振られて……」と、伝える。

「沿道にいる」はないだろう。

「いらっしゃる」が使いにくいのなら、

いっそ「いる」を省いて、

「沿道でお祝いする方々(または「人たち」)に……」

「手」は「お手」が柔らかい。

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こういうイベントは、

しばしばあることではないから、

放送関係者のほとんどが初体験だろうが、

この種のイベントについては、

こういう認識をしていただきたい。

すなわち、沿道に集う人たちは、

祝賀行事に自由意思で参加した、いわばゲスト。

事件や事故に集まった野次馬とは意味が違う。

NHKが主催したイベントではなく、

宮内省が行なう行事である。

とすれば、

そこに集う人たちは他者が招いたゲスト。

となれば、一定の敬意が求められる。

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なおかつ、その多くは、

NHKから情報を有料で買っているお得意さんである。

だから、それなりの配慮をもって語りかけるべきだが、

エリート意識の強いNHK職員には、

そういうセンスはない。

今回の放送を聞いていてわかったのは、

皇族に対する敬語は、

動詞に「れる・られる」をつけるパターンに

統一しているらしいこと。

「れる・られる」は、

ていねい表現として、敬意の低いカタチ。

「笑われる」「乗られる」(手を)「振られる」

これを「お笑いになる」「お乗りになる」

(手を)「お振りになる」とすると

ずっと敬意も親しみも増す。

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NHKの感覚では、

動詞に「お」をつけて「なる」で結ぶカタチは、

敬意過剰と感じるのかもしれない。

(お話になる)

あるいは、現場のアナウンサーに

いろいろの敬意表現を指導しにくいので、

マニュアル的に

とりあえず「れる・られる」をつけろ、となったのか。

しかし、言語表現は、

時と場合で臨機応変に対応しないと

窮屈で単調、心の通わないものになる。

NHKは、

かつての「賢くも天皇陛下にあらせられましては……」

のような表現に近づくのを恐れるあまり、

幅が狭くて抑揚のない、非個性的な表現を、

有料で日本中に広めている、

というのが現状であろう。

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ふだん、人を心から敬う生活に不慣れな人が

過半数を占めるであろう公共放送局のこと、

そのことによる悪しき環境づくりに

自分が加担していることなど、

思いもよらないことであろう。

天皇であれ、総理大臣であれ、

外国からの来賓であれ、

そして、あしたの天気を気にしている視聴者であれ、

人に対する敬意表現を狭めることは、

国民の情緒を低下させ、

品位や民度を下げることにつながる。

その可能性を認識させる職員教育や

局内の環境づくりの策はあるのか。

このケースも

「NHKから国民を守る」テーマになる。

公共放送局の品位は

内部からは改善される可能性は少ない。

とすれば、

受信者のアピールは、

なにかにつけて必要となる。

ちなみに、新聞のテレビ、ラジオ欄には、

各局の窓口となる電話番号が載っている。


by rocky-road | 2019-11-16 21:55 | 日本語力  

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