絵手紙には心の弾みを描く。

絵手紙をいつ始めたのか、
記憶は定かでではないが、
1964年にダイビングを始めて
何年か後には、
海から絵ハガキを出すようになった。
朝食前に「ハガキタイム」などと称して
みんなでハガキを書いたりした。
のちにプロのイラストレーターが仲間になった。

海への旅にはハガキ用紙を持って行って
海で見た魚の絵などを描いて出すようになった。
この習慣は1960年代後半くらいから始まった。
わが「絵手紙元年」はそのあたりか。

自分の著書にも、
挿絵を描く機会があった。
画家やイラストレーターを志望したことはないが、
絵を描くことは小学生以来、
途切れることなく、今日まで続いている。

いわゆる「絵手紙」がブームになるのは
1900年代の終わりころからだろうか。
「ヘタでいい、ヘタがいい」のキャッチフレーズが
受けたことと、
筆を上端で持って書くことをすすめ、
ハンドリングを不自由にして、
筆先をよろけさせること、
これが「絵は苦手」とする人にウケたようだ。


線をよろけさせれば、
だいたいヘタに書けるから
「ウマい、ヘタ」という感覚を忘れさせる。
この流儀が普及したおかげで、
みんなが、共にヘタという世界になる。
これが「絵手紙ブーム」のポイントだろう。

アマチュアの絵を見て「ヘタだね」というのは野暮だから、
「ヘタがいい」が世間相場となる。
しかし、この流派の作品展を見に行って驚いた。
1000点以上の作品が展示されていたが、
1人が描いたのではないかと思わせるほど似ている。
これでは、少なくとも私信としてはあまりにも没個性。

さらに言えば、
文章で絵を説明し過ぎておもしろくない。
「絵手紙」の大橋流解釈は、
「絵に文章をつけるのではなく、
文章に絵を添えるのでもなく、
絵と書、そして余白までをも一体とした作品」
ということになる。

したがって、
文章は時候のごあいさつや絵の説明ではなく、
額装して飾っても耐えられるものにする。
俳句や短歌、詩を書くのも一案だが、
私は、多少はリズムのある散文、
標語でもないし、キャッチフレーズでもない。



キザに言えば「哲学を書く」だが、
そんなことは思ったとしても
絶対に人には言えないから、
平凡にはなるが、
「心の弾みを描く」とでもしておこうか。



境地は俳句や短歌、詩と同じだが、
表現に形式はない。
ワンフレーズでパチッとキメる。

通信文は切手面に書く。
言うまでもないが、
ハガキを横にして描いた絵ならば
切手面の宛名もメッセージも横書きにする。
これがわかっていない人が、
なんと多いことか。
(既製品の場合も同じ)


書画としては、
榊 莫山(さかき ばくざん)さんからは
学ぶことが多い。

絵と文字のバランス、
つまりはデザイン。
そして字のタッチ。

莫山さんも筆の端を持つが、
熟練のワザでフラフラしない。
あえてカタカナを使うところが特徴。

畏れ多くも絵手紙講座を始めたが、
もちろん第一目的は
神羅万象から情報を読み解き、
さらにそれを
絵と文字、文章で自身と、人に伝えること。



それはコミュニケーション環境を
さらに活性化するはずだし、
人生をより豊かにする。

そして、
旅がますます好きになること。
旅先から絵手紙を書く楽しさを
持続的に味わっていただくこと。

講座を受けた人からは、
きっと絵手紙が〝殺到〟するだろうから、
こちらも、
ますます絵手紙の発信頻度が増すことになる。


by rocky-road | 2019-07-31 23:15 | 絵手紙