孤独は、そこまでわがままである。

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読売新聞の51日の「人生案内」に、

意味の深い相談記事が載った。

投書者は90歳代の女性。

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「十数年前より念願の一人暮らしになり、
極上の孤独を楽しんでおります。
特に一人の食事が好きで、
歯が悪いせいもあり、
長い時間をかけて味わい尽くしております」


「足腰の痛みや苦しみを差し引いても、
すべて自分の思うがままに物事を進んでいろるという
素晴らしさは至福の極みです」

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このように、

自分のライフスタイルに対する誇りと自信を

全体の約75%の文章を使って綴っている。

万々歳の生き様かと思いきわ、

終わりの8行で、こう結ぶ。


「ただ、人間としてこの世に生を受けた限りは、

一般に推奨されているように、

医療の恩恵にあずかりながら、

一日でも長く生きなければならないものなのでしょうか」

(和歌山・Y子)

これに対する回答者の作家は、

内村鑑三(宗教家、評論家)による

『後世への最大遺物』と題する講演から

こんな発言を引用している。

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「お金もない、
手がけた事業も名声もない思想もないという
普通の人でも後世に遺せるものがある。
それは人に恥じない、まじめな生涯を送ることである。
そしてこの世は楽しい世であったと語ること、
これはだれでもできる」


そして、回答者作家自身は
こんなコトバで絞めている。
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、
そのような気持ちでこれから日々過ごされることを
願っています」
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かねがね、孤独の経験がないどころか、
むしろ日本で、もっとも孤独ではいられない
売れっ子作家の一部の人が
「孤独のすすめ」だの「極上の孤独」だの
「夫婦という他人」だの「元気に下山」だのと、
無責任な言説によって
稼ぎまくっている現象を危ぶんでいた。
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予測どおり、
今回の人生案内に投稿するような
「極上の孤独」にそそのかされている人が
やはり、いたのである。

どの本も、何十万部も売れているそうだから、
投書者のような心境になる人は少なくないだろう。

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「いい歳」になっても、
人間や生きることの意味が

わからない人はいるものである。

そもそも、「孤独もの」の作家や、

人生案内の回答者である作家たちが

ここまで人間がわかっていないものかと、

あきれるばかりである。

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内村鑑三は、

金や事業、名声、思想もない普通の人でも

「人に恥じない、まじめな生涯を送ること」

「この世は楽しい世であったと語ること」と
言ったそうだが、

「人に恥じない」や「まじめな生涯」の解釈は

そう簡単なものではない。

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「まじめな生涯」とは、

単に反社会的な行動をしない

というような浅い意味ではあるまい。


内村が言う

「この世は楽しい世であったと語ること」も、
「まじめな生涯」の要件であろう。

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ドイツ人哲学者で日本在住の
アルフォンス・デーケン氏(上智大学名誉教授)は、

人生の後半は「お返しの時期」だと言った。
自分が祖先や先輩から知識や技術を学んだように、

晩年は、それを後輩に伝えることが仕事だ、と。

いわば「借り」を返す時期である。

「極上の孤独」を提唱したり、

それにそそのかされている人は、

「持ち逃げ人生」「借りを踏み倒す人生」を

臆面もなく「極上」だなどと抜かす。

その挙句は、数百万の読者を持つ大新聞に投書して

しかるべきアドバイスを求める。

「甘ったれるな!!」と、

難聴の耳に口を当てて叫んでやりたい。

「孤独とは、

そんなふうに人に頼るのではなく、

自分で考えて、

自分の道を進むのではなかったのかね。

90年間、お主は、なにを考えてきたのか、

できもしないくせに、突っ張るんじゃねぇ」

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「一般に推奨されているように、
医療の恩恵にあずかりながら、
一日でも長く生きなければ
ならないものなのでしょうか」だと?

だれがそんなことを言った?

「極上の孤独」を楽しみ、

「至福の極み」とまで言いきる人間が、

いまさら「一般に推奨されている」などと

世間を持ち出して、

自分の生き方を人に決めさせるなよ。

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生物学で言う「共生」とは

「異種の生物が緊密な結びつきを保ちながら

一緒に生活すること」だが、
共生にも
「片利共生」「双利共生」「寄生」がある。

アニメ映画で知られた「ニモ」、

すなわちクマノミという魚は、

イソギンチャクと共生し、

クマノミは外敵からの隠れ家とし、

イソギンチャクは、

自分に付着する汚れなどを

除いてもらっているから

ともに利益があるという意味で

「双利」(そうり)の共生という。

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人間の腸内細菌は、

双方にメリットがあるという点では「双利」だが、

水虫菌と人間との関係は、

水虫にとっては「片利」的である。

ただし、同種同志、

人間同士の共存関係は「共生」と言わず、

「仲間意識」とか「協調」とか「協働」とか

「ネットワーク」とかと言う。

かつて、最終学校卒業後も親の家に居座り、

いつまでも育った家から出て行かない若者のことを

「パラサイト・シングル」などと言った

(パラサイト=寄生虫)。

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「極上の孤独」を享受する人は、
パラサイトとは真逆の生き方を

しているように見えるが、

社会の側から見れば、

なんの還元も貢献もないまま、

孤独ぶっているわけだから

とても「共生」とは言えず、

とすると、けっこうパラサイト的ではないか。


回答者の作家は、

回答のまとめとして

「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう、

そのような気持ちでこれから日々過ごされることを

願っています」

と書いているが、

「極上の孤独」を決め込んでいる人間のどこが、

「世の人の手本になられるよう」なのか。

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甘やかすのもいい加減にしてはどうか。
そんな人間を手本にしたら、
人類は遠からず絶滅するだろう。
前にもこの欄で書いたが、
家族ではなく、
アカの他人に貢献する「利他行動」を
日本のことわざで説明すれば
「情けは人のためならず」である。

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こういう高度な社会的活動は、
人間に至って身についたものではなく、
体重わずか4050gのチスイコウモリにも
見られる行動だという。
『進化と人間行動』(長谷川寿一、長谷川眞理子
東京大学出版会発行 20004月)

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中南米に住むチスイコウモリは、
夜中に活動して、
野生動物(近年は飼育動物)に近寄っては、
じかに皮膚を噛んで穴をあけ、
舌で血液をなめたり吸ったりする。
相手に気づかれぬよう、
麻酔液を出して注入するという。

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食事が終わって洞窟内の巣に帰ったとき、
老いた個体や若い個体は、
うまく血が吸えず、飢餓状態になっている。
すると、血を吸うことができた個体は、
飢えた仲間の口に血を吐き戻して
「お裾分け」をする。

チスイコウモリの世界では
「極上の孤独」などは許されず、
家族以外の相手でも、
生命の危機を救い合って進化してきた。
人間もチンパンジーもゾウも、
その他の哺乳動物の多くは、
そういう「利他行動」を習性として持っている。

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こういう話を思い出すと、
新聞社としては、
人生案内の回答者の人選を
根本から見直す必要があるだろう。
この欄では、精神科医や哲学者、
作家などが回答をしているが、
適材適所とは言えない。

専門性の問題というよりも、
人間または人生についての洞察ができていない。

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さらに、回答者には「ぶりっ子」傾向があり、
バカな質問者をどやしつけることはまずない。
それは親切であるかのように見えて、
結果的には冷たい。
いつの日か、
食コーチング型栄養士が回答者になると、
少しは状況がよくなるかもしれない。


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それには、
文章による回答力をつける必要はある。
作家でも、
「あなたの生涯が世の人の手本となられるよう
などという窮屈な表現をするのが現状だから。

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ところで、
NHKの「マイあさラジオ」という番組の、
「くらしテキスト」というコーナーで、
三好春樹という理学療法士が
高齢者施設に入る人の注意点として
次の3点をあげていた。

「私物を持ち込むこと」

「人間関係を維持すること」

「生活習慣を変えないこと」

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かねがね私は

「物質は情報を持つ記号でもある」

と言っているが、

現場を知っている人の見解は、

さすがにリアリティがある。

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人間の一生とは、
過去、現在、未来が

糸引き納豆のようにつながっているものである。

「断捨離」だの「極上の孤独」だのという人生は、

粘りのない納豆のようなもので、

食品としての存在価値は半減以下となる。

「健康」や「健康寿命の延伸」が

人生の目的ではないとすれば、

「よい人間関係」の維持・発展は、

人生の目的の1つになるであろう。


糸引き納豆が嫌いでも、

人のネットワークを大事にすることは

一人ぽっちを「至福のとき」などと言っているよりも

「一般に推奨される」はずである。

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by rocky-road | 2019-05-07 21:24 | 大橋禄郎  

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