なぜか気になる「いわゆる」
このブログの「記事ランキング」では、
2012年8月に書いた
「『いわゆる病』にご用心。」が
つねに上位にランキングされている。
毎日のように「いわゆる連発症」
というべき事例を確認できるが、
自分が、これまでつき合ってきた人の中には、
この症状の人は皆無だから、
「いわゆる病」がなぜランクインするのか、
その理由を推測できない。
この話題に初めて接する人のために
少しおさらいをしておこう。
「いわゆる」とは、
「世間で言われている……」
「俗に言う」というのが本来の意味。
昔は「所謂」と書いた。
「いわゆる『働き方改革』のとばっちりで……」
「いわゆる『激レア』な人物なんです」
「いわゆる『自分らしく』っていう生き方ですよ」
などと使う。
相手があまりなじんでいないかもしれないコトバに
「いわゆる」をつけて
注意力を促すこともある。
「いわゆる『学際的』に協力し合っていますよ」
「いわゆる『言語本能』を刺激する意味でもね」
このほかの使用例では、
「いわば」に近いニュアンスで、
「いわゆる『風前の灯』ですよ」
「いわゆる『自然消滅』かな?」
というケースも少なくない。
このコトバの禁則は、
あとに「という」をつけること。
「いわゆる『働き方改革』というヤツのとばっちりで」
「いわゆる『自分らしく』という生き方ですよ」
「いわゆる」には、
すでに「言うところの」という意味があるから、
それに「という」をつけると、
二重に「言う」を使うことになる。
これほど野暮な使い方はない。
さらに困惑するのは、
「いわゆる」で話し始めながら、
しばらく言いよどんで
「いわゆる……なんていったらいいのか……」
これをやる人間は、
かなりのお調子者と考えてよい。
(バカ野郎!! 最初のコトバも決まらないうちに
『いわゆる』なんて、もったいぶった言い方をするな!!)
もう1つの、超禁則使用例は、
特別の意味がない一般名詞に「いわゆる」をつけて、
「いわゆるパソコン」「いわゆる満月」
「いわゆる幸福」「いわゆるコトバのクセ」
などとやること。
これらの誤用は「うっかりミス」では済まない、
野暮、能天気、はったり屋などが丸出しとなる。
とはいえ、実際には
これらは、あらゆる局のラジオ、テレビ出演者が
毎日のように事例を見せてくれる。
この種の実例に触れたい人は、
TBS系テレビの「ひるおび」のキャスター・恵某、
ラジオならこの3月末に放送終了した
「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にレギュラーで出ていた
国際ジャーナリストと称する小西某、
日本テレビ系なら「ミヤネ屋」のメインキャスター。
国際ジャーナリストの場合、
国際会議の同時通訳をすることを売りにしていたが、
ここまでセルフコントロールの効かない男が
正確な同時通訳なんかできるのか、
大いに怪しんだものである。
2人のテレビキャスターのほうは、
ともに「急性期」は過ぎて、
その頻度はだいぶ減ってきてはいる。
ところがつい最近、「ひるおび」で
ボード解説を担当していた若いアナウンサーが
シールをめくりながら、
突然「いわゆる」を頻発し始めた。
「クセ」(癖)には「やまいだれ」がつくが、
厳密に言うと、
「いわゆる」の頻発は、
「あのォ~」や「え~と」などのように
うっかり出てしまうクセとは違って、
もう少し自覚的、確信的である。
それどころか、その小心ぶり、
衒学性(げんがくせい=ひけらかし根性)、
品性の貧しさなどについて、大いに突っ込んでよい。
フリートークで話ができるようになると
(実際には、パネルに従って話しているだけなのだが)
急に自分が偉くなったように錯覚して
無意識的に自分の立場をひけらかし、
視聴者に対して上から目線で「いわゆる」とやる。
人のコトバの癖を論う(あげつらう)のは
あまりよい趣味ではないが、
上記の事例は個人的な「クセ」というよりも、
マスメディアという公器を使っての
国語の汚染だから
環境問題として認識する意味はある。
「注目を集める」「真摯に受け止める」
「多岐にわたる」「だから戦争はいけない」
「先行きは不透明」「しっかり対処します」
「忖度する」
などなど、
マスメディアや政治家からは、
空虚で、手アカのついたコトバを
ずいぶん刷り込まれているはずである。
マスメディアには、
正しい情報を送ることと同等に、
正しい国語を使う責任と使命がある。
「コンプライアンス」とか「ガバナンス」とかは、
組織の弱点を指摘するときの
専用用語のようになっているが、
メディア自体、
こういうコトバづかいを平然と続けるのは、
まさしく組織のガバナンスに
問題があるからだろう。
不適切国語に感染しないためには、
その大小にかかわらず、
指摘したり、警告したりすることが
今後も必要だろう。
そうか、
この「いわゆる」関連ページが、
もう少し「記事ランキング」の上位に
いてもらう意味はあるのかもしれない。
by rocky-road | 2019-04-25 23:42 | 大橋禄郎 文章教室