元号をどう手書きしますか。
4月1日の新元号発表の時点から、
マスメディアの文字に対する準備性のなさが
気になっている。
めったにない行事だからやむを得ないが、
漢字の国としては、やや不甲斐ない。
「令」を、発表どおり「本字」(ほんじ)または「活字体」で書くか、
筆記体または「許容書体」で書くか、
はっきりと方向性を示していないように思う。
書家いわく「どちらでもいいんです」
だから、オタリアまで活字体で「令和」と書いていた。
これでは困るのである。
この場合、取材先を間違えている。
正解は、小学校の国語の先生か、
文部科学省を訪ねて、
日常生活において、どちらを使うのがよいか、
意見を求めることである。
実は、そんなむずかしい問題ではなくて、
日頃、「命令」や「年齢」「冷却」「鈴」を
どう書いているか、というだけのこと。
おそらく、本字や活字体で書いている人は
ほとんどいないだろう。
(ついでながら「年令」と書くのは大間違い。意味が違う)
このほか、日常生活において
「道」や「通り」の「しんにょう」を
活字体で書いている人はいるだろうか、
「糸」を8画で書いている人はいるだろうか。
おもしろいのは、
テレビ画面にちらっと出た写本『万葉集』の序文部分では、
すでに「令」の字を筆記体で書いていること。
写本は慶長年間、1600年代に作られたというから、
400年前には、
すでに「令」を略して書いていたということになる。
どこの国にも「本字」(のちに活字体とも)に対して
「筆記体」「略字」はある。
それが合理性というもの。
とすると、
新元号を発表するにあたって、
字体をどうするかについて、
有識者のあいだで話し合いがあったのだろうか、
それが気になる。
懇談会参加者の職歴を考えると、
その種の議論に強い人がいなくて当たり前である。
新聞社も、いまはパソコンで原稿を書く時代だろうから、
「字体をどうすべきなのか」ということに
頭が働く人は少なかったのかもしれない。
「どちらでもいい」では
適切な解釈にはならない。
「本字」「略字」「活字体」「筆記体」「許容体」
「常用漢字」(かつては「当用漢字」)、
「字体改革」などは無視できない。
日本では、太平洋戦争後、
漢字の字体を大きく簡略化し、それが今日に至っている。
とすると、
新元号発表者には、
こんなコメントを添えてほしかった。
「なお、一言申しあげたいことは、
ここでは旧来の『令』の字を使っておりますが、
(正確には、上のテンの部分は略字化している)
日常生活において手書きをするときには
『八』に『、』と『マ』と書くことは妨げません」
言語現象として興味深いのは、
手書きのときに筆記体を使っていた国民が、
新元号に従って、
活字体を手書きに使うようになるのかどうか、
という点である。
元号を書くときだけ「令」とし、
「年齢」や「命令」「冷却」「鈴」は
いままでどおりに書くのか。
「どうでもいいこと」と考えず、
しばらく見守ることは、
言語感覚を磨くうえでマイナスにはならないはずである。
by rocky-road | 2019-04-14 22:16 | 大橋禄郎