海から見るオカの世界。
ダイビング関係のいくつかの恒例イベントに
出かける時間が得られた。
行ったかいがあって、
いろいろと刺激を受けた。
毎年4月は、
東京近辺のダイビングシーズン幕開け季節である。
厳密に言えば、
いまどきのダイバーは、
世界中で「いまが夏」または、
「いまが流氷の季節」の海に
出かけていくことができるので、
1年中がシーズンである。
丘の上世界の習慣に従って、
春から初夏くらいにかけて、
シーズンの開始と考えるようにしている。
出かけたのは、次の3つのイベント。
1つめは「海で逢いたい」グループによる
第23回目の写真展。(東京都・大崎)
2つめは「マリンダイビングフェア」
(同、池袋サンシャインシティ)
3つめは「第36回 水中映像祭」
(同 江東区文化センター)
45年前から2年間、
西伊豆の海底9メートルに存在した
海底ハウスを語る会にも参加した。
以上の体験から
感じたことの1つを書いておこう。
文明や文化は、
右肩上がりに進むとは限らない、ということ。
停滞や逆走もあるし、
消滅も、もちろん、ある。
「海で逢いたい」グループと、
「マリンタイピングフェア」では、
応募された作品、または、
「フォトコンテスト」に入選した
海関係の傑作写真が展示されていた。
被写体のバリエーション、
撮影技術の目覚ましい向上を強く感ずる。
ところが、作品のタイトルが稚拙すぎて、
失笑を超えて暗い気分になった。
共通するのは、
被写体の生物名を検索することなく、
つまらないネーミングによって
安易に、または低俗化している点。
「海は美しい」(ロク=いま気づいたのか!)
「海中は色鮮やか」
「魅せられて」 (古い歌謡曲だ)
「キラキラ」 (幼稚園児か)
「満点の星空」
「赤い惑星」
「お見合い」
「ひゅん!」
「回って回って」
「ゴチャッと」 (アンタのお脳がね)
「はい!ポーズ」 (いまどき、陸でも言わんぞ)
「コンニチハ」 (向こうは人間を恐れているよ)
「銀河鉄道」
水中写真は、
芸術性以前に科学性(生物学などを中心とした生態学)を
担っているとともに
未開のエリアへの探検的・旅行的な発見が
大きな動機の1つとなる。
したがって、
水中で撮った写真は、
それがどういう生物なのか(学名までは求めないが)、
どういう行動の瞬間なのかを
撮影者および発表者には
説明責任がある。
その自覚は微塵もなく、
「キラキラ」や「ひゅん」「ゴチャッと」などと
ネーミングする。
芸術性はおろか、成人の言語能力さえ疑われる。
自称「プロ」と称する人間の
「古い手法ですが、好きな1枚(笑い)」
というタイトル。
小さなウミウシを、
水面直下で撮影した1点だが、
被写体が水面の裏側(陸上から見たとき)に
反射している作品。
仲間内の冗談みたいなネーミング。
少なくとも公共施設で写真展を開くからには、
その生物の名くらいは示して、
見物者に一定の情報を伝えたい。
「ダイバーはバカばっかり」とほざいて
私の全面的反論を誘ったことがあるが、
あれから約半世紀、
ひょっとしたら、
あのイラストレーターの言は
まんざら的外れではなかったかもしれないと、
こちらをグラつかせるほどのおバカぶりである。
この責任はどこにあるのか。
それはコンテストの主催者である。
写真が傑作でも、
ネーミングの悪い者は落選とする、ということは
実際にはしにくい。
だから、事前に「ネーミングのあり方」を
教育しておく必要がある。
たとえば、
*タイトルには被写体の生物名を入れること。(種名でもよい)
*ネイチャーフォトであることを自覚する。
*生物を無意味に擬人化しないこと。
(×「こっちへ来ないで」×「どちらさんですか」)
*海を宇宙に置き換えないこと。
(×「満天の星空」×「赤い惑星」)
ダイビング雑誌に寄稿して説いたことがあった。
いまは、そういう人がいないのか、
水中写真の発表に関する基礎知識およびマナーに関しては
野放し状態であるようだ。
唯一安心できたのは、
正真正銘のプロカメラマン、
大方洋二氏の作品とネーミング。
「ニシキハギの縄張り争い」
多くのインチキ・ネーミングでは、
魚が向き合っていると
判で押したように「お見合い」「見つめ合い」とやる。
が、自然界はもう少し厳しい。
お見合いどころか威嚇や対立、
ときには捕食である。
不勉強な者や思慮の浅い者に
ネーミングの機会や文学性を与えると、
「〇チガイに刃物」くらいに危ない。
自然界の真実を誤って伝える、という点において。
次に、
「水中映像祭」は36年前に
私と数人の有志とで始めた水中写真のサークルが
毎年1回開くイベントである。
私は第20回までかかわってきたが、
以降も有志各位の尽力で続けられている。
作品は私の時代とは
比べものにならないくらい進歩しているが、
なんとも入場者が少ない。
500人入るホールにおよそ40人。
1回2時間のイベントを
昼の部と午後の部とに分けたことが一因としても、
空席があり過ぎて寒々しい。
ここまで入場者が減ってきたら、
会場をもっと小さいところに変えるべきだが、
それ以前に、
なぜこれほどまでに入場者が減ったのかが問題。
参加者激減の理由は、当事者に直接伝えるとして、
ここでは別の大きな問題について書いておこう。
万物は経年変化が避けられない。
建造物なら、陽光や風雨による劣化、
組織なら、コンセプトのあいまい化、
リーダーシップの低下、
モチベーションの低下などなど。
栄養補給は、
組織にも思想にも必要で、
それを怠ると萎えてしまう。
司馬遼太郎は、
「小説はフィクションに分類されるが、
思想もフィクションですよ」と言った。
「マリンスポーツ」としてのダイビングは
フィクションであった。
ダイビングに「スポーツ」性を感じず、
そのカテゴライズに大橋は強く反対した。
いまはレクリエーションダイビング、
または海と島への旅、
またはフィッシュウォッチング、
そして水中撮影の被写体探しなどが
中心となった。
が、私が提案して創刊した『海と島の旅』も、
『マリンフォト』も、
いまは廃刊になった。
栄養を与えられない思想は、
けっきょく「フィクション」として消える。
陸の世界で言えば、
先祖を慈しむ思想、
国を愛するメンタリティーはどうか、
そしてそして、
食育やスローフード、
あるいはコーチングや行動療法はどうか。
だれかが栄養補給をしているのだろうか。
もちろん、「食コーチング」とて例外ではない。
ダイバーのあり方について
私に多くのヒントをくださった工藤昌男さんに
『海からの発想』という著書があるが、
この桜の季節に、
海のイベントに参加したことによって、
いろいろの発想法をいただくことになった。
by rocky-road | 2019-04-08 19:52 | 大橋禄郎