メディア・リテラシーの磨き方。
大人のための文章教室「ロッコム文章・編集塾」は
2003年に開講し、今年で16年目になる。
当初は、岡山県や三重県、千葉県などから
通ってくれる人もいたが、
月1回のペースで東京まで通うのはご苦労が多い、
と思われたので、
2008年に、
年に4回、1日かけて集中講義を行なう
「遠距離クラス」を、
おもに横浜で会場を見つけてもらって開講した。
講義内容は、毎月クラスと同じだが、
毎月クラスと遠距離クラスとの
両方を受講する人もいて、
そういう人によると、
メンバーが異なると、
強弱のポイントに差が出て、
雰囲気はだいぶ違うと言う。
遠距離クラスには
「近況報告」のコーナーを設けて、
各地の話題を提供していただいている。
このコーナーは毎月クラスにはない。
近況報告も
表現力強化の演習の一環として重要だから、
毎月クラスでも行ないたいが、
2時間授業の中では時間的にキツイ。
近況報告では、
職場の話、講演会に参加した感想、
ご自分が運営する料理教室の現状、
雪が凍ってアイスパーンになっている道を
何回か転んでやってきたなど、
鮮度の高いローカルな話には惹きつけられる。
当初は、1人で10分以上かけて報告をする人もいたが、
「あえて何分以内」と注文はつけず、
「これくらいの人数のときは、
1人がどれくらい話せばよいか、自分で判断して」
として、時間配分を各自に任せたら、
それぞれテーマを絞って
コンパクトにまとめられるようになった。
その前進ぶりは見事。
要領のよい報告スキルは、一生の財産になるだろう。
遠距離クラス、毎月クラスとも、
このところは、
以下の宿題に、みなさん苦労している。
【出題】
「最近の新聞記事、テレビ・ラジオ番組の中から
1つをとりあげ、(情報のまとめ方などについて)論じてください。
10行で内容の概略、残りの20行で論評を」
この宿題の前段階として、
「メディア・リテラシーのセンスアップ」
という講義を行なった。
「リテラシー」については、
『ウィキペディア』で次のように定義している。
(英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、
転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)
適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」
という意味に使われるようになり、
日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。
ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり
書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。
そして「メディア・リテラシー」については、
大橋はこう定義した。
「(おもに)テレビ、新聞、雑誌など、
マスメディアによってもたらされる情報を正確に理解する能力。
『正確』とは、個々の情報の理解力にとどまらず、
情報提供者の意図、個々の情報の因果関係、
その情報の影響、時代性などを含む。
あえてデジタル情報は、ここでは除外する。(大橋)
講義では、メディアを通じて伝えられる情報は、
無限にある「真実」のごく一部であり、
厳密に言えば、
「真実」は、
1人1人の認識以外のところにはない。
したがって、
メディアで「真実」を伝えることは最初から不可能。
かと思えば、意図的にある情報を
伝えないことをもって
情報発信者の意図を示す報道姿勢もある……
という話もした。
自分たちが好まない情報は、
ほかのメディアが報じても、
自分のところでは無視する、
などということは普通にある。
こういう講義に沿った宿題だから、
論評はメディアの情報提供の仕方について
問うものであった。
が、課題では、
前述の( )内の「情報のまとめ方などについて」
を入れておかなかったので、
メディアの情報提供についての論評ではなく、
中身そのもの(記事に登場する論者の意見や
施策の是非など)に入り込んでしまい、
情報提供のあり方について論ずるものは、
1割にも達しなかった。
最初のクラスの反応を見て、
あくまでも「情報の提供の仕方」
についての論評であることを補足したが、
2回目も惨敗だった。
出題内容がうまく伝わらなかった責任を感ずるが、
メディアのあり方について論ずるという
経験も情報もほとんどない、
というのが、
現在の日本の状況であることを
認めざるを得なかった。
つまりは、
テレビ、ラジオの視聴者、
新聞、雑誌の読者の大半は、
内容について楽しんだり、
うんざりしたりはするものの、
制作者または編集者の思想、センス、
姿勢などに視線を向ける習慣がなく、
寛容に受け入れる傾向がある。
われわれは、そういう風土の住人ということだ。
とは言え、
メディアのあり方を論ずる雑誌は少なからずあるし、
新聞でも、月々の雑誌の論調を紹介する記事はある。
しかし、
それを読むのは「専門家」と思われがちなのだろう。
メディアの利点・弱点を見抜く能力の強化は、
メディアにミスリードされないため、
または、
自己防衛のためというばかりではなく、
けっきょくは、
自分の立ち位置、
これから向かう道への選択眼を磨くことに有利。
メディア・リテラシーは、
つまるところ、
自分の人生の方向を読み解く能力にもなる。
現在、宿題の再提出待ちのタイミングだが、
あえて、
テレビ番組を論ずる一例として、
NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」
という番組について、
ゆる~く論評してみよう。
【番組の概略】
1995年から始まった、笑福亭鶴瓶主演の
「ぶっつけ本番」番組。
おもに芸能人がゲスト出演し、
そのゲストが望む地域を訪ね、
鶴瓶とゲストが最初は一緒に、
途中から分かれて、
それぞれが出会った家族と語り合う。
【論評】(肯定的に論ずる例)
芸人鶴瓶による、出会った人への話しかけ、問いかけ、
インタビューは、プロのアナウンサーや記者でも
かなわないほどの超一級。
テレビでは、事前に準備しておいて、
いかにも「ぶっつけ本番」に見せる細工が大半だが、
この番組では、ときに収録を断られる場面、
放送には不適切な発言、
訪問を受けた人たちの狼狽、
ガラスなどに反射する取材風景などを
あえて写すことなどから推測して、
「やらせ度」は比較的低いと見る。
とは言え、ゲスト出演の芸能人に
インタビュー力を求めるのはムリで、
2人が現地で別々の行動をとるとき、
ゲストのほうの言動にじれったさを感じる。
制作者は、それもたぶん読み込み済みで、
鶴瓶の老練ぶりと、芸能人のドギマギぶりの対比で
むしろ視聴者を引きつけるのかもしれない。
などとするのかな?
ともあれ、
大人の文章教室は、
句読点の打ち方や
敬語の正しい使い方などのところで
足踏みしているわけにはいかない。
「編集は豊かな人生のプログラムづくり」である。
by rocky-road | 2019-03-31 22:40 | 大橋禄郎 文章教室