海底ハウス、あの日、あのとき。
昔、西伊豆の三津浜(みとはま)の沖にあった
海底ハウスの廃墟(残骸)が、
同地の水深18メートルの海底で見つかったと、
「朝日新聞」のデジタル版が報じていると、
マナティーズの山崎由紀子さん(以下、山ちゃん)
から連絡を受けた。(いまも見られる)
海底ハウスは、水深9メートのところにあった家。
1974年にオープンし、2年後の76年にクローズした。
クローズのおもな理由は、
そこを訪れた人が、家から水面に戻るとき、
フリーアセント(肺の中の、圧力のかかった空気を
排気しながら浮上すること)を怠り、
死亡したため。
そういうことがないように、
われわれはプールで練習をしてから出かけた。
40年以上前のことなので、
そこを訪問した人は少なくなっている。
そこで、このハウスのことを語り合う会を開きたい、と
山ちゃんが提案した。
≪永田町オーシャン≫という、
ダイバーが経営するレストランに出かけた。
山ちゃんから連絡を受けたので、
昔のログブックを探したら、
すぐにそのページが出てきた。
1回目は1975年(昭和50年)2月22日~23日。
2回目は1976年(昭和51年)4月3日(閉鎖の年)。
3回目は閉鎖後の1979年(昭和54年)。
このときは、すでに送気が止まり、
水没した状態のハウスを、
設計者の田中和栄(かずひで)さんと一緒に
外から眺めた。
田中さん(のちに故人となった)は、
「こんな姿は見せたくない」と言って
私たちを案内してくれた。
海底ハウスには縁の下から入る。
素潜りで行って玄関(縁の下)から入り、
「海底の水面」に顔を出す。
そこは地上と同じ空間である。
ウエットスーツを脱いで、
カプセルで運んでおいた服に着替える。
暖房もあるので、2月の海底でもそれほど寒くはない。
ハウスでは、コーヒーも飲めるし、
カレーライスをいただくこともできた。
ログブックには、
東京のだれだれに電話した、と記録してある。
窓の外には、まだ中に入って来ない仲間や、
スクーバダイバーが見える。
そこで楽しむこともできた。
今見ると、
1人の女性に想いを寄せていた男が、
ドサクサまぎれに、
彼女の肩に手をかけているではないか。
1回目に撮った動画(当時は8ミリフィルム)を
映写機ともども海底ハウスに持ち込み、
海の中にスクリーンを立て、
窓越しに映写したのである。
世界で最初で最後の海底映写会ではなかろうか。
1976年の何月だったか、
新聞社から電話が入り、
海底ハウスが閉鎖されたことを聞いた。
それについてのコメントを求める電話だった。
その新聞が見つからないが、
「世界的に貴重な海底居住の家がなくなるのは残念」
というようなことを言った。
さて、永田町のパーティでは、
そのとき撮った8ミリフィルムを
DVDにコピーしたものを映写した。
参加者の1人から、
「こういう映像はユーチューブに
投稿してはいかがですかね」と言われた。
確かに「海底に家を作ろう」と考えた人、
それを実現した人がいたこと、
そういう夢に満ちた時代であったことを
人々に知っておいてもらうことは意味があるだろう。
by rocky-road | 2019-03-12 23:31 | 海底ハウス