大きな声で、ゆったりと。
パルマローザ主催の「輪読会」(りんどくかい)は、
この回(2019年2月17日)で14回を数えるに至った。
輪読は、大学などでは、
少数のゼミなどで行なうことがあるし、
自主グループが、それぞれの本を持ち寄って、
読み合うこともある。
「輪読」とは、
1人ずつ、リレー式に数ページを読むこと。
「輪」は、「回る」「回す」という意味。
そのメリットは、「一所懸命」に集中できること、
いま読んでいるところを「見失ってはならじ」と、
懸命に目で追うことになる。
指導者または参加者のコメントや問いかけによって、
行間や背景まで読み込むことができること、など。
今回のテーマは「食文化の前後左右」。
食文化関係の本を読むのはこれで3回目。
1回目は「食文化に視点を持つ。」(2016年10月)、
2回目は「日本人の食文化史を振り返る。」(2017年8月)、
そして今回。
この回では初めて海外の食文化の記述を読んだ。
「手食をめぐる作法」は、
『アジアの食文化』という本の一部で、
スリランカの人たちが
手で粥やおかずを食べる様子を細かく記述している。
民族学や民俗学、文化人類学、動物行動学などなどでは
「フィールドワーク」(学術的な現地密着調査)を
基本中の基本と位置づけ、
現地の人(ときには動物)と生活を共にして
長期間、観察記録をする。
上記のスリランカ人の手食文化、
もう1冊はタイの北西部に居住する
「首長族」(通称「カレンニー」)。
かれらは、ミャンマーでの紛争を避けて
長期的な「難民」となってそこで暮らしている。
そんな不安定な地域にも、
「フィールドワーカー」は入り込んでいる。
ちなみに「首長族」とは、
首に金属のリングを幾重にも巻きつけるので、
首のつけ根や肩が沈み、首が長く見えるから、とか。
日本の食文化に関するテキストは、
「幕末京都町人のくらしと食」
呉服屋である水口屋の主が
2代にわたって38年間、日記を書き続けた。
この日記から食関係の記録に注目した
島崎とみ子氏の論文である。
もう1冊は、社会学の世界から
「外食産業」の歴史を
各種の資料からたどったレポート
(加島 卓氏執筆)。
そして、
健康支援者や栄養士が
日常的に視野に入る『フードファディズム』
(食と健康との関係を過大に結びつける考え方)
著者の高橋久仁子氏は、
日本で最初にこの概念を紹介した人。
高橋氏がそこまでのいきさつを述べた
冒頭部分を輪読した。
それによると、
1991年に『Nutritionand Behavior』という本に出会い、
それを和訳して『栄養と行動 新たななる展望』
というタイトルで出版した。
これが「フードファディズム」という概念が
日本に広まるきっかけになったという。
「behavior」は態度、習性、生態などの意味。
けっして見事とは言えないが、
それでも内容がよかったのと、
高橋氏が粘り強く発言したことによって
日本で知られるようになった。
(とはいっても、まだまだ知る人は少ない)
原著者の名は示されていないが、
第1章 序章の書き出しの部分なかなかシビれる
(高橋氏訳)。
「ネアンデルタールの狩人と
20世紀のアメリカ人のように
異なる集団にあっても、
人々は自分達が食べる食物は行動に強力な影響を与えると、
一貫して信じている」
フードファディズムの本質が
軽妙なフレーズでバシッと示されている。
こういうフレーズがさらりと出てくるところが
アメリカ人(? または欧米人)って、すごい。
こんなタッチで序文を書いてみたい。
輪読会のよいところとして、
前述のように、
多様な種類の書物に出会える、
深読みができるなど、メリットが大きいが、
忘れてならないのは、
音読による一体感や
音読を聞く者にとっての癒やし効果。
スラスラと読むことが
「うまい読み方」ではない。
内容に沿った、
耳に入りやすい速さで、
穏やかに、温かく、わかりやすく……。
音読力は、本人および人類の健康度をあげるはず。
お経も、音読することで、ありがたさが増し、
その意味もわかりやすくなる。
次回には、
音読理論をまとめて、
前置きに講話でもしようか、と思う。
「けっして判決文や差し押さえの通告書のように
冷たく読んではいけません」
すべての小中学校の先生に申しあけます。
「けっして、スラスラ読んだ子を
ほめすぎないようにしてください。
つっかい、つっかいでも、
味わいのある読み方をする子をほめてください」と。
次回は、小学生のように、
または法事ののときのように
全員で音読するのもいいかもしれない。
困るのは、会場を選ばないと、
近隣からクレームが出る可能性。
いずれにしても、
輪読文化は
もっと大事に持続したければならない読書法である。
by rocky-road | 2019-02-24 00:08