「健康」のリテラシー。
「新春ブラッシュアップセミナー」が終わった。
(2019年1月19日/日曜日)
演題「『健康軸』で考える、人、社会、モチベーション。」
(横浜市技能文化会館)
モチベーションとしての意味などについて
考えることが多い。
食生活雑誌時代の仕事は
「健康」がメインテーマであったが、
故・豊川裕之先生の講演で、
「健康は目的ではなく手段ではないか」という
予期せぬ目標を示していただくことになった。
以来、「健康とは何か」は、
私にとっての哲学的テーマとなった。
セミナーでは、
健康環境とはどこまでを言うのか、
それをみなさんに問いかけた。
結論を先に言えば、
宇宙が膨張を続けている限り、
健康環境もまた無限である。
少なくとも、
WHOが1946年に提示したような、
「単に病気がないとか、虚弱でないとかというだけでなく、
身体的にも、精神的にも、社会的にも完全な状態」
なんていう狭いものではないことは確かである。
今回は、健康環境のほんの一部に過ぎない
日本という国の健康度、非健康度や、
思想の健康度、マスメディアの健康度
という尺度を示してみた。
右翼と左翼の健康度、
愛国的日本人のメンタリティと
反日的日本人のメンタリティの健康度、
新聞の健康度、テレビの健康度、雑誌の健康度、
一神教の健康度、多神教の健康度、
極上の孤独愛好者の健康度、
極上の組織プレーを楽しむ人の健康度などなど。
どちらかに軍配をあげるような野暮は避けた。
健康は、けっきょくは個体差。
人それぞれである。
平均寿命が短い国、貧しい生活の連続、
言論の自由が許されない国にいても、
自分の健康度を良好と感じている人は
少なからずいるはずである。
ハングリー精神には
それなりの健康性はある。
健康環境というものが
いかに広く、いかに流動的で、
いかに不確定であるかをお伝えできたとすれば、
それで充分だと思う。
健康度を測るスタンダードになっているが、
そこにとどまるのではなく、
いろいろの基準を設定して、
健康度を複合的に見てゆく必要がある。
体重や食事の内容だけで
健康度を評価することは、
うっかりすると、
その他の「健康の芽」を摘んでしまうことにもなる。
「健康のリテラシー」を深めることが、
このセミナーでのメインテーマであった。
『健康という病』とか、
『極上の孤独』とかの、
いわば「健康無知」の本が売れる国では、
少なくとも健康支援者が、
「健康」を読み解く能力を
もっともっと高めていく必要がある。
「健康」のうれしいことは、
人の健康を促すことは、
自分の健康度があがるという点であり、
健康が生きる目的ではなく、
人生を楽しく、有意義に送るための
手段であることを
心から理解することになる点である。
by rocky-road | 2019-01-23 12:59