心にも栄養を与えられる人に。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18045547.jpg

過日、大学の健康栄養学科の3年生に

「特別講義を」とのご依頼をいただいた。

50人。

受講態度がよく、気持ちよくお話しすることができた。

演題は「文章力で支える生きがいと健康」

「文章力」とはいえ、メインテーマは「健康」である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18063106.jpg

全員に課せられる、

講義受講後の提出レポート、

その一部を

担当の先生から送っていただいた。

それらに目を通してみて、

学生たちの吸収力に感心した。

受講姿勢の印象どおりであった。

以下、一部を引いてみよう。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18050661.jpg

 「今回のお話を聞いて、

 最も印象に残っているのが

 肯定的指摘をして、

 相手のモチベーションを

 高めるということである。

 今までは、はっきり褒めることが多かったが、

 『今日のネクタイ、今日の青空みたいですね』

 『そのブラウス、うちの庭のヒマワリの色です』など、

 褒めなくても相手のモチベーションを

 高められることがわかった」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18073601.jpg

別の学生は、

 「私は日頃から日記を書いたり、メモとして

 記したりすることが多くあります。

 そのため、今日の講演会がとても楽しみでした。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18081328.jpg

 夏に個人的に参加したインターンシップの

 『コミュニケーション講座』で

 講師の人に覚えてもらえるくらい、

 目を合わせてリアクションをとることが大切と

 学んだので、

 本講演でも意識的に実践してみたところ、

 大橋先生と何度も目が合い、『〇〇知っている?』と

 数回、自分へ向けての問いかけがありました。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18080179.jpg

 加えて大橋先生は

 『講演用のよいノートを作りなさい』

 とおっしゃっていました。

 この機会に、ノートを作り、

 資料はファイリングする習慣をつけようと思います。

 また、着ている服の色でも

 相手から見た印象が変わるため、

 その日の予定や行事の雰囲気を考えて服を選ぶこと。

 普段、なんとなくやっていることだが、

 とても重要であることがわかりました」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18084095.jpg

こんなレポートもあった。

 「『栄養素士』という言葉を初めて聞き、

 意味を知ったとき、

 とても悔しい気持ちが走りました。

 たしかに、栄養のことや体の構造を

 主に学ぶ私たちは、

 『健康』を心理面や行動面の切り口から

 見ることを見失いがちなのかもしれません。

 栄養士として、食だけでなく、

 心にも栄養を与えられる人に

 なりたいという夢が出来ました」

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18110927.jpg

「心にも栄養を与えられる人に

 なりたい」には、

こちらがシビレル。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18111723.jpg

学生たちは、

しっかりポイントをつかんでいる。

現役栄養士に負けてはいない。

人生100年時代を念頭に

栄養学を見直せば、

新しいセンスをもった栄養士は

いくらでも育ってくるだろう。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18121157.jpg

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18170730.jpg

ところが、社会の第一線で働く栄養士たちは、

501日ごとし」の賞味期限切れ栄養学を

社会に拡散しているのが現状である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18160630.jpg

新聞を見ていたら、

『食べれば食べるほど若くなる法』

なる本を平然として出している管理栄養士がいる。

このいやらしい書名は

版元の発想なのか、

(まさかとは思うが)本人の売り込みなのか、

いずれにせよ、絶望的な現状である。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18172584.jpg

栄養学以前に、日本語がうまく使えない。

「食べるほど若くなる」なんていうことは、

論理的にありえない。

一方、

要介護認定を受けた高齢者の家を訪問する

管理栄養士を紹介する記事では、

その担当者が、

13回の食事のうち、

2回はご飯などの主食と主菜、副菜の3品が

そろった食事をとるように、

と指導しているという。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18180196.jpg

さらに「1日の食事に肉、魚、卵などの

たんぱく質を含む食品5種類と、

野菜、イモ類、果物などのビタミンやミネラルが

とれる食品5種類の計10種類がそろっていることが

バランス良い食事の目安」と。

言うのは簡単だが、

これを通院できない要介護の高齢者、

または家族がどう認識するのか。

栄養素と食品の数と、料理の品数と、

頻度とが入り混じっていて

カテゴライズが完全に分裂。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18192549.jpg

これでは、健常者でも頭に入らない。

かつての「130食品を」を想起させる。

それでいて量の目安がまったくないので、

ゴールのないマラソンレースに

無理やり出場させられた選手状態。

栄養学は、それなりに進歩しているはずだが、

その恩恵を受けるべき人間が

対象から外されている。

「病気を診て人を見ない」の道を

たどっている。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18210034.jpg

この状態は、

災害で孤立した集落に、

ヘリコプターで物資を投げ落とすのに等しい。

そこにどんな人が、

何人くらい住んでいるか、

どんな物資を優先して提供するのか、

それらを確かめることなく

過剰な物資を放り投げている感じ。

寸断されている道路を修復して、

適量の物資を搬入する手段を

真っ先に考えるべきだが、

栄養学は、その知識を伝えるための

コミュニケーション力の強化について

ほとんど考えることなく

物資の調達ばかりを続けている。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18213030.jpg

5種類だ」「10種類だ」と、

認知能力が低下している人に、

健常者でも覚えきれない数値を示すのではなく、

朝食から夕食まで、

とるべき食材または料理の絵を

図表にして持っていって、

冷蔵庫にでも貼ってもらえば、

ずっと実践しやすくなる。

場合によっては、

1か月ごとのチェック表を配布することも可能。

かつて、私が担当した食生活雑誌では

毎年1月号に「365日 献立カレンダー」を

付録としてつけていた。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18224548.jpg

数種類の薬を

正確に飲むことができない高齢者に

13食のメニューを伝えるのは至難の業。

いよいよ栄養学も

流通サービス業に当たる

「健康コミュニケーション学」を

新設する必要が出てきたのではないか。

「ヘルスコミュニケーション学会」は

すでにあるが、

さて、どの程度の実績をあげているのか、

学会員に聞いてみたい。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18225481.jpg

栄養士の卵たちの

「栄養士として、食だけでなく、

心にも栄養を与えられる人に

なりたいという夢ができました」

との願望に、

栄養士教育は応えられていない。

まずは、教員たちの再教育に

すぐにでもかかるほかに道はない。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18365535.jpg
それに当たる「教員の教員」の養成には

どうすればよいか。

いつでも相談に乗る準備はある。

以上は理想論ではない。

できもしない空論を述べるのは大嫌い。

心にも栄養を与えられる人に。_b0141773_18251157.jpg

さあ、
「♪ あなたなら どうする?

泣くの 歩くの 死んじゃうの?♪ 

あなたなら あな~たな~ら……♪」

   (なかにし 礼  作詞)


by rocky-road | 2018-12-04 18:25 | 大橋禄郎 文章教室  

<< 心にも栄養を与えられる人に。 ローマとヒロシマの物語。 >>