心にも栄養を与えられる人に。

過日、大学の健康栄養学科の3年生に
「特別講義を」とのご依頼をいただいた。
約50人。
受講態度がよく、気持ちよくお話しすることができた。
演題は「文章力で支える生きがいと健康」
「文章力」とはいえ、メインテーマは「健康」である。

全員に課せられる、
講義受講後の提出レポート、
その一部を
担当の先生から送っていただいた。
それらに目を通してみて、
学生たちの吸収力に感心した。
受講姿勢の印象どおりであった。
以下、一部を引いてみよう。

「今回のお話を聞いて、
最も印象に残っているのが
肯定的指摘をして、
相手のモチベーションを
高めるということである。
今までは、はっきり褒めることが多かったが、
『今日のネクタイ、今日の青空みたいですね』
『そのブラウス、うちの庭のヒマワリの色です』など、
褒めなくても相手のモチベーションを
高められることがわかった」

別の学生は、
「私は日頃から日記を書いたり、メモとして
記したりすることが多くあります。
そのため、今日の講演会がとても楽しみでした。

夏に個人的に参加したインターンシップの
『コミュニケーション講座』で
講師の人に覚えてもらえるくらい、
目を合わせてリアクションをとることが大切と
学んだので、
本講演でも意識的に実践してみたところ、
大橋先生と何度も目が合い、『〇〇知っている?』と
数回、自分へ向けての問いかけがありました。

加えて大橋先生は
『講演用のよいノートを作りなさい』
とおっしゃっていました。
この機会に、ノートを作り、
資料はファイリングする習慣をつけようと思います。
また、着ている服の色でも
相手から見た印象が変わるため、
その日の予定や行事の雰囲気を考えて服を選ぶこと。
普段、なんとなくやっていることだが、
とても重要であることがわかりました」

こんなレポートもあった。
「『栄養素士』という言葉を初めて聞き、
意味を知ったとき、
とても悔しい気持ちが走りました。
たしかに、栄養のことや体の構造を
主に学ぶ私たちは、
『健康』を心理面や行動面の切り口から
見ることを見失いがちなのかもしれません。
栄養士として、食だけでなく、
心にも栄養を与えられる人に
なりたいという夢が出来ました」

「心にも栄養を与えられる人に
なりたい」には、
こちらがシビレル。

学生たちは、
しっかりポイントをつかんでいる。
現役栄養士に負けてはいない。
人生100年時代を念頭に
栄養学を見直せば、
新しいセンスをもった栄養士は
いくらでも育ってくるだろう。


ところが、社会の第一線で働く栄養士たちは、
「50年1日ごとし」の賞味期限切れ栄養学を
社会に拡散しているのが現状である。

新聞を見ていたら、
『食べれば食べるほど若くなる法』
なる本を平然として出している管理栄養士がいる。
このいやらしい書名は
版元の発想なのか、
(まさかとは思うが)本人の売り込みなのか、
いずれにせよ、絶望的な現状である。

栄養学以前に、日本語がうまく使えない。
「食べるほど若くなる」なんていうことは、
論理的にありえない。
一方、
要介護認定を受けた高齢者の家を訪問する
管理栄養士を紹介する記事では、
その担当者が、
1日3回の食事のうち、
2回はご飯などの主食と主菜、副菜の3品が
そろった食事をとるように、
と指導しているという。

さらに「1日の食事に肉、魚、卵などの
たんぱく質を含む食品5種類と、
野菜、イモ類、果物などのビタミンやミネラルが
とれる食品5種類の計10種類がそろっていることが
バランス良い食事の目安」と。
言うのは簡単だが、
これを通院できない要介護の高齢者、
または家族がどう認識するのか。
栄養素と食品の数と、料理の品数と、
頻度とが入り混じっていて
カテゴライズが完全に分裂。

これでは、健常者でも頭に入らない。
かつての「1日30食品を」を想起させる。
それでいて量の目安がまったくないので、
ゴールのないマラソンレースに
無理やり出場させられた選手状態。
栄養学は、それなりに進歩しているはずだが、
その恩恵を受けるべき人間が
対象から外されている。
「病気を診て人を見ない」の道を
たどっている。

この状態は、
災害で孤立した集落に、
ヘリコプターで物資を投げ落とすのに等しい。
そこにどんな人が、
何人くらい住んでいるか、
どんな物資を優先して提供するのか、
それらを確かめることなく
過剰な物資を放り投げている感じ。
寸断されている道路を修復して、
適量の物資を搬入する手段を
真っ先に考えるべきだが、
栄養学は、その知識を伝えるための
コミュニケーション力の強化について
ほとんど考えることなく
物資の調達ばかりを続けている。

「5種類だ」「10種類だ」と、
認知能力が低下している人に、
健常者でも覚えきれない数値を示すのではなく、
朝食から夕食まで、
とるべき食材または料理の絵を
図表にして持っていって、
冷蔵庫にでも貼ってもらえば、
ずっと実践しやすくなる。
場合によっては、
1か月ごとのチェック表を配布することも可能。
かつて、私が担当した食生活雑誌では
毎年1月号に「365日 献立カレンダー」を
付録としてつけていた。

数種類の薬を
正確に飲むことができない高齢者に
1日3食のメニューを伝えるのは至難の業。
いよいよ栄養学も
流通サービス業に当たる
「健康コミュニケーション学」を
新設する必要が出てきたのではないか。
「ヘルスコミュニケーション学会」は
すでにあるが、
さて、どの程度の実績をあげているのか、
学会員に聞いてみたい。

栄養士の卵たちの
「栄養士として、食だけでなく、
心にも栄養を与えられる人に
なりたいという夢ができました」
との願望に、
栄養士教育は応えられていない。
まずは、教員たちの再教育に
すぐにでもかかるほかに道はない。

どうすればよいか。
いつでも相談に乗る準備はある。
以上は理想論ではない。
できもしない空論を述べるのは大嫌い。

さあ、
「♪ あなたなら どうする?
泣くの 歩くの 死んじゃうの?♪
あなたなら あな~たな~ら……♪」
(なかにし 礼 作詞)
by rocky-road | 2018-12-04 18:25 | 大橋禄郎 文章教室