ボーっと生きてる乾物型栄養士。
10月11日だったか、
NHKテレビの「ごごナマ」という番組で
乾物と缶詰とで作る料理を紹介していた。
おもしろい着眼で、企画力を感じた。
しかし気になったのは、
1つ1つの料理について、
栄養士が「一品で食物繊維の1日分がとれる」
「カルシウムに富んでいる」などと
いちいち栄養素コメントを入れていくところ。
「10年1日のごとく」どころか、
「50年1日のごとく」
それぞれの料理の栄養評価をしていた。
1日3食の中での充足という視点はゼロで、
バラバラに紹介される単品の栄養的特徴を指摘することに
どれほどの意味があるのか。
終戦直後、
観光地のおみやげ用菓子のパッケージに、
「カロリーは卵の何倍」などと書いてあったが、
エネルギー量を菓子と卵とで比較して
「勝っている」とする素人栄養学に苦笑したことがあるが、
料理の1つ1つの栄養価を言うセンスも、
似たようなものである。
現在、カルシウム不足の人がいたとして
(そんな自覚がある人が日本にどの程度いるのか)、
ハッとして、その料理を作って食べたところで、
栄養状態が改善されるものではないし、
毎日、乾物と缶詰を使った料理を
食べ続けたいという人はいないだろう。
深刻なカルシウム不足であれば、
カルシウム剤を利用することになるだろう。
栄養学には、
依然として、料理を楽しむ方向性はなく、
食材や料理から薬事効果を求め続けているのか、
……なわけはないだろう。
知る必要のない情報を提供するのは、
企画者の勉強不足、センス不足にほかならないが、
そんな食の素人ディレクターあたりが書いたコメントを
プロの栄養士がシャアシャアとして再読する、
そんなことをいつまで続けているのか。
この状態を
栄養学の停滞、怠慢と言わずして何と言おう。
少しは前進しろよ。
「人間栄養学」はどこへ行っちまったのか。
栄養学は、
料理を栄養剤として見ることなんぞ
目指してはいないはずである。
みんなでいただくときの話題性、
だれに、どんなときに振る舞うか、
献立構成の考え方など、
食生活を学び、深め、楽しむ方向は
いくらでもあるはずだ。
21世紀の日本の栄養士のオピニオンリーダーは、
次の1歩が見つけられず、
50年1日ごとく、
乾物のように水分を失って
秋風にカラカラと揺れているのが現状。
方向性に迷うことなど1つもない。
栄養、運動、休養に加えて、
ライフスタイルの見直しと充足である。
10月13日のNHKテレビ・スペシャル、
「AIに聞いてみた どうすんのよニッポン」
シリーズの第3弾「健康寿命」でもやっていたが、
健康寿命にプラスに働くのは
食事や運動よりも、
読書習慣であったり、近隣の図書館の数であったり、
街の治安であったり、だという。
関係者が、どういうキーワードをAIに与えたか、
気になることは多いが、
いずれにしろ、
ライフスタイルと健康との関係の重要性を
コンピューターさえ気づき始めているのである。
乾物化した栄養学は、
時代から置いて行かれることを
このスペシャル番組も暗示していた。
同じNHKのテレビ番組
「チコちゃんに叱られる」風に言えば、
「全国の少なからずの栄養士に伝えます。
『ボーっと生きてんじゃねぇ~よ!!!』」
しかし、幸いなことに、
「ボーっと」生きてはいない栄養士、健康支援者も、
全国の現役栄養士、管理栄養士のうち、
0.0001~2%くらいはいる。
去る10月14日(日)、
食コーチング・プログラムス主催の食ジムで、
『「食コーチング」のスキルを、
栄養士・健康支援者活動にどう活かしているか。』
というテーマで
約20名が終日話し合ったが(座長 影山なお子さん)、
方向性を射程に入れた健康支援者が
しっかり実績をあげていることを実感させてくれた。
「食事相談のとき、
いままでは、なにか答えなくては、
指導しなくてはいけないと焦ることがあったが、
食コーチングのスキルとして、
まずはクライアントが話したいことを引き出すことで、
自発性を引き出すことができて、
次につながる1mmの変化を感じるようになった」
(特定保健指導の仕事をしている栄養士)
「認知症が出始めている高齢者と接するとき、
衣服の色や柄、髪形などを指摘することで(肯定的指摘)、
相手の笑顔や発話を引き出すことができるようになった」
(高齢者施設で働き始めた栄養士)
「食コーチングのスキルを学んでの大きな思考の変化は、
身だしなみにお金をかけるようになったこと。
以前は、身だしなみにお金をかけるより、
目的もなく貯金することだった。
人づきあい、身だしなみが苦手だった自分が
お洋服の力を理解し、味方につけられたことを
思うと感慨深い」
(給食センターに勤める栄養士)
これらの体験が示すものは、
栄養知識や健康知識を伝える以前に、
対象者との間に表情や身だしなみ、
そのあとでコトバの橋を架けること(ラポール)が
不可欠だということ。
これは、コミュニケーション論では
基本中の基本だが、
それを
対面コミュニケーションの場でも活かせない
という状態では、
テレビや文章(雑誌、新聞など)のような
非対面場面では、
とても生かせるはずはない。
コミュニケーションの問題以前に、
対象者のライフスタイルを想定できない、
いわゆる「素人さん」にどう接するか、
という対人関係に不可欠なマインドがない。
そんな状態だから、
AIに「健康寿命を保つ要因は
食事や運動以外のところにある」などと言われてしまう。
それは、笑い事ではなく
栄養士の廃業にさえつながりかねない予兆である。
もう一度、チコちゃんにご登場願って、
全国の栄養士・健康支援者養成校の教員、
および関係者に伝えます。
「ボッーと生きてんじゃねぇーよ。
ボーっと教えてんじゃねぇーよ」
by rocky-road | 2018-10-18 21:42