郵便による社会参加のカタチ。
「ハガキ、手紙スキルのない
健康支援者って、ありなのか。」
このテーマでお話をさせていただいた。
(2018年9月22日/土 パルマローザ主催
横浜市技能文化会館)
ハガキや手紙を発信、受信の習慣のないことは
「あり」なのか。
言うまでもなく「ありではない」だ。
仕事のうえでは、
特定保健指導などの場合、
手紙やメールでの支援が最初から設定されている。
そういう仕事をしていない栄養士といえども、
公私の組織に所属しているときには、
公的な連絡を文書で行なうことは珍しくない。
この点は、栄養士に限らず、
勤め人すべてに言えることである。
お勤め仕事でなくても、
自主サークルに所属していれば、
ここでも、文書コミュニケーションは必要になる。
わがダイビング50余年歴の中でも、
宿泊先の民宿への予約やお礼、
地元の漁業協同組合への交渉などで
出した手紙やハガキは数百通。
いくつかのダイビング雑誌に
30年近く、連載エッセイを持ったのも、
編集部に出したハガキがきっかけである。
なのに、
東京を含め各地の栄養士会から来た文書は、
ついこのあいだまでは、
横書きのとき、
宛先の氏名を行末に、つまり末尾に書いてあった。
縦書きの書式を、ただ横にするだけだと、そうなる。
が、欧米の手紙や文書を見ればあきらかなように、
相手の氏名は左上に置く。
私的な手紙でも、
「Dear Rocky」などとやる。
Eメールでも、
上にある「件名欄」に相手の氏名と件名を書くのが
好ましい形式とされている。
しかし、この書式さえ、
日本全国に行きわたっているとは言えず、
以前、このページでも取り上げたが、
グリーティングカードで知られる
日本フォールマークの市販便箋でも、
わざわざお手本書式を表紙に入れて
相手の名を行末に書く形式を示していた。
毛筆家や日本風のマナー師範は
横書きの手紙など書いてこなかったから、
縦書きの書式を、ただ横にしただけの書式をよしとする。
フォールマークも、こちらの指摘に対して
自信をもって「それでいいんだ」と返信してきた。
それはさておき、
今回のセミナーは
ハガキや手紙のルールをおさらいするのが目的ではなく、
「郵便コミュニケーション」の習慣が
どういう意味を持つのか、
そのことを伝えたかった。
郵便コミュニケーションは、
マナーの問題として考えられがちだが、
それ以前の問題として、
より大きな、個人の生き方の問題がある。
コミュニケーションにハガキや手紙を使うということは、
社会的活動を活性化する意味を持つ。
その点が電話やデジタルコミュニケーションとは
大きく異なる。
郵便コミュニケーションの特徴は、
用紙や筆記具、文字の色や大きさ、
そして巧拙などがそのまま相手に伝わる。
しかも、それらは人間の手よって集められ、配達される。
つまり人間の社会の中を
右に左に通り抜けていくのである。
デジタル機器の発達と普及によって、
郵便コミュニケーションのアナログ性、
非効率性がますます際立つばかりだが、
本人が書いたものが、地球上のあちこちに、
手間暇かけて運ばれる、
というところに、
本来的な、人間味のある社会性を感じさせる。
社会とは、
「人間が集まって共同生活を営む際に、
人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現われる場合の、
その集団。
諸集団の総和から成る包括的連合体をもいう。
自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて
人為的に作られたものとがある。
家族・村落・ギルト・教会、会社・
政党・階級・国家などが主要な形態」(広辞苑)である。
最近は「ネット社会」などというコトバも使われるが、
いずれにしても、ネットの先にも人間がいる。
ただし、デジタルコミュニケーションの場合は、
文字の選び方、コトバの使い方、
どうかすると文章のフレーズまで
「マシーン秘書」に任せたりするので、
「その人らしさ」は薄まる。
不思議なもので、
社会への参加意識の高い人は、
郵便コミュニケーションを好む傾向がある。
年賀状や暑中見舞いはもちろんとして、
そのときどきに一筆を書く。
旅行先から、
贈答のお礼に、
イベントのあとに、
書物や雑誌記事の感想、
人と会ったあと、その感想や感動、
病気回復のお礼、
以前、話題となった店に入った感想、
新聞や雑誌、書物の感想を著者や筆者に、
ときにはクレームも、など。
アメリカの元大統領、ケネディは、
道ですれ違った著名人と
あいさつを交わすことができず(有権者に囲まれていて)、
すぐにお詫びの手紙をスタッフに届けさせたという。
(『ケネディの道』による)
社会参加意識とは、
要は人的ネットワークに参加する意思表示。
そのモチベーションはどこからくるのか。
仕事を発展させるため、
相手に親近感を感じるため、
著名人に近づきたいため、
自分を慰めてもらいため、
借金を申し込むため……など、
多種多様。
ここにもプラスのモチベーションあり、
マイナスのモチベーションありだが、
「自己中」でない郵便コミュニケーションは、
社会チームの一員としてエントリーすることになり、
そのネットワークに迎えられる。
結果として、自分のモチベーションは高くなる。
それはまた、
教養や知力をも高めることにもなり、
自分がこの社会で、この人生で
なにをすべきかを意識することにもなる。
今回のセミナーでは、
ハガキ、手紙のルールについても
いろいろの事例を示してお話しした。
*少女っぽい便箋や封筒はやめたら?
*便箋や原稿を小さな封筒にそんなに押し込めてどうするの?
*便箋が何枚かになったらページを打とうよ。
*縦書き封筒の宛名、
*なぜ、相手の名を左右中央に書けないのだろう?
などなど。
でも、こういうことは
人のものを見ているうちに
是正されていくから、案じることはない。
続けること、10年とか20年とかではなく、
もちろん、一生続く生活習慣でしょう。
栄養士、健康支援者が
公私にわたって、
もっともっと郵便コミュニケーションを続ければ、
個々人の生活は活性化し、
そのよき反映として
国民の健康度はあがるはずだし、
なによりも、
本人の人生が豊かになる。
栄養士、健康支援者が
だれからも教養人、文化人と思われる日が、
100年もすれば、
来るかもしれないし、
来ないかもしれない……し。
そんなことはどうでもいい。
自身の日々に、
もっと起伏があってもいいのではなかろうか。
by rocky-road | 2018-09-25 15:54