「論理」は空気なんですよ。
2018年9月2日に、
≪コミュニケーション研究会 ひろしま≫開催の
定期セミナーで行なった
『栄養士として「論理性」をどう強化するか。』
という講義を受講していただいた何人かから
「むずかしかった」という感想をいただいた。
「むずかしさ」の意味は未確認だが、
講義内容がむずかしかったとすれば、
講師の説明能力の問題として自省の要がある。
講義では、
論理とは
「なぜそうなのかを解釈すること、人に説明すること」
であることを伝えたから、
それが「わからない」と言われてしまうと、
講師としてはお手あげである。
「食べ過ぎると太るよ」というのも論理、
「雨が降りそうだから、早めに洗濯物を取り込んでおこう」
というのも論理。
つまりは理屈であり、
神羅万象の因果関係などを
自分や他者に説明すること。
空気と同じで、
この世には論理があふれているので、
かえってとらえようのないものになっている。
みなさんが「むずかしい感」を抱くのは、
「論理」というのは哲学的テーマである
という先入観を持ったり、
男性が女性に対して「論理的でない」と
高飛車に突っ込んだりするときのアレだと
思い込んでいるためではなかろうか。
先日、『極上の孤独』という本の何回目かの新聞広告を見たが、
それには「37万部突破!」とあった(8月26日)。
この著者は、
「友達や知人は少ない方がいい」という論理を持っており、
「孤独を噛みしめながら自分のホンネに向き合い、
あれこれ考えるからこそ、人間は成長できる」
という論理を持っている。
こういう、私的な思い込み論理でも
37万人もの人が関心を持つ、というところがおもしろい。
そう、むずかしいのは「論理というコトバの意味」ではなく、
論理の内容を吟味したり評価したりすることである。
「孤独を噛みしめながら自分のホンネと向き合い、
あれこれ考えるからこそ、人間は成長できる」
と著者はいう。
実際にそのようにして成長してきたのか。
そうではなく、義務教育を受け、さらに高校、大学で学んだのち、
日本を代表する放送局のアナウンサーになり、
その能力と知名度によって、
講演やら執筆やらで、多くのファンを得てきて、
いまもそれは続いている。
このようにして得た現在の地位を、
孤独を噛みしめて成長した結果であると言うのにはムリがある。
「偽善」ではなく「偽独」だろう。
100にも届かんとする著書があるが(あるいは超えているか)、
それを執筆する能力は、
友達や知人を意識的に少なくして得たものでもない。
仕事を通して知り合った人々、
少なからずの書物などを読んで、
多種多様な刺激を受けているはずで、
それなりの勉強もしてきたことだろう。
もっとも、発想の幼さ、論理の未熟さは、
確かに孤独ぎみの上に、
よい読書の仕方を知らず、
友人からも有効なアドバイスを受けなかったか、
または自分から受けつけなかった、
という可能性もゼロではなさそうだ。
広告には、内容の一部として、
「集団の中でほんとうの自分でいることはむずかしい」
などというフレーズを掲げているが、
当たり前だろう。
人間の社会というものは、それで数十万年もやってきている。
そんな当たり前のことを小学校を卒業した人が言うかね?
さらに言う。
「素敵な人はみな孤独」
ここでは、飲みかけのお茶を吹き出さないこと。
本人の顔写真が出ているが、
それを見ていると5分間は笑える。
どこが「素敵」なの?
意地が悪く、独りよがりの人間にしか見えないけれど。
「年をとると品性が顔に出る」では、「一同爆笑」でしょう。
たれ目のこの顔に「品性」を感じる人がいたら、
2人に並んでもらって2ショットの写真を撮らせてもらう。
「人間の顔は生き方の履歴書」--おっしゃるとおり。
1カットで2点の履歴書を得ることができる。
動物行動学研究のよい標本になる。
世の中には、
これくらいハチャメチャな論理を展開する高齢者がいることを
健康支援者としては銘記しておく必要がある。
ある作家は「健康という病」だと説き、
「孤独のすすめ」だという。
一方、「極上の……」ほうの、たれ目孤独は、
「一人好きは自分のペースを崩さないから健康になる」
とのたまう。
ここにはトリックがあることを見落としてはいけない。
37万部ものベストセラー作家が孤独だなんて、
それは論理の破綻でしょう。
それだけの人たちから数千万円の印税をいただいて、
「他人に合わせるくらいなら孤独を選ぶ」だと。
稼いだ金を施設に寄付でもしたら、
ますます孤独が保てなくなる。
もし、お宅および隣家の郵便受けに
10万円入りの封筒が入れられていたら、
ひょっとして、孤独で、たれ目で、素敵な人が、
夜陰に紛れて、印税収入を捨てて歩いているのかもしれない。
うっかり出会っても、声をかけたりするのは野暮というもの。
かくのごとく、
論理は、正しいか正しくないかではなく、
まずは、いかに相手を説得するかである。
騙されないためには、
相手の論理の粗さや欠落を見抜くこと。
振り込み詐欺は論理の商売。
政治家も論理の商売。
新聞も雑誌も、テレビもラジオも、
つまるところは論理を売り物にしている。
健康支援者は「論理はむずかしい」と
言っている場合ではない。
健康は食卓の上に置いてあるものではなく、
不健康や孤独を売りにする作家の周辺にもある。
完璧な健康などというものはないように、
完璧な論理などというものもない。
だから人生はおもしろい。
「考えしろ」(余地)は、生きている限り、
なくならない、そんな論理、
受け入れてもらえるかしら?
by rocky-road | 2018-09-12 23:37