メリケン粉か粉ミルクか。

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女性誌からの依頼で、

近藤正二先生(18931977年、当時・東北大学名誉教授)の

以前撮ったポートレートを貸し出すことになった。

20138月に、このブログに書いた記事をたどって

私にたどりついたらしい。

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ブログにも写真を使っていたので、

元データ(プリント写真からデジタル化)は手元にある。

振り返れば、

昭和46年(1971)か47年かに、

先生をインタビューするために

仙台にある東北大学医学部の研究室を訪ね、

2日間にわたってお話を伺った。

それを基にして『長寿村ニッポン紀行』という本にまとめた。

いま、この本を開いてみて、

自分がまとめた本でありながら

貴重なエピソードにあふれていることに驚く。

敗戦の翌年の昭和21年の秋に

東北大学医学部に

近藤先生を訪ねてアメリカ人将校が現われる。

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日本の学童の栄養不足を緩和するには

どうすればよいか、相談に来たという。

文部省に行ったところ、

「ここには資料がないが、仙台の近藤教授を訪ねれば

しかるべき資料が得られるはず」と言われた、と。

先生は、昭和の初期に、

学童の体格は遺伝ではなく、

家庭の経済状態と関係があることを推測し、

一部のクラスには、各自の弁当のおかずとは別に

魚または納豆など、良質たんぱく質源を与えてみた。

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当時は、仙台では学校給食はなく、弁当持参だった。

それらの弁当には肉は論外として、

魚や卵などのおかずを入れることはなかった。

生きるのが精いっぱいの低栄養時代に、

特定のクラスに魚や納豆を与える(提供業者がいた)

という実験、いまだったら差別や人権問題に

なること必至の研究である。

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このような調査によって、

動物性のたんぱく質は身長の伸びに深く関与すること、

植物性たんぱく質は、さほど関与しない、

などのデータを得ていた。

また、身長が伸びるとは、足が伸びることを意味し、

座高にはあまり個人差は現われない、

などという考察もされていた。

そんな研究が文部省にも伝わっていたため、

戦後、進駐軍が日本の子どもたちの栄養改善に

どう対処すべきかを考えるのに役立つのである。

東北大学まで訪ねてきた軍人、ハウ大佐は

もともとは医師であったので

近藤先生の研究を認め、

学校給食に小麦粉を提供するか

スキムミルクにするかで話し合ったという。

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ハウ大佐は言う。

「実は、今まではメリケン粉を与えることを

おもに考えていたんだけれども、あなたの説明を聞いてみると、

どうやら動物性タンパク質(ママ)を与えたほうが

発育の低下を救うには効果がありそうだ。

メリケン粉はやめにしましょう。来年の春から、

日本全国の都市の小学校に、

粉ミルクの給食をすることになるだろう」

近藤先生の述懐……。

「彼はこう言ってから、同行した役人に

仙台に来てよかったと何回も話していました」

こうして始まったスキムミルク給食を

私は小学校5年から受けることになった。

日本の子どもの健康向上に大いに貢献した近藤先生と、

その給食の恩恵を被った小学生とが、

1971年に、仙台で出会うのである。

当時の近藤先生は78歳、私は35歳。

倍以上の年齢差である。

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この本の序章で、先生はこんなことをおっしゃっている。

「私は100歳まで生きたいと言う人に、

『おやめなさい』と言うつもりはありませんが、

まあ、そこまでむりをしなくてもいいのではないか

と思います。そのかわり、

少なくとも70歳を越えるくらいまでは、

健康に過ごしていただきたい。

百何十歳まで生きる努力をするよりも、

70歳以前に若死にする人をへらすほうが

意義のあることだと思います」

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わずか50年で、

日本人の寿命はずいぶん延び、

したがって健康観もずいぶん変わった。

昭和も40年くらいまでは、

若死にする人が多かった。

だから、近藤先生のいう「長寿70歳」を越えるには

確かに「努力」が必要だった。

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近藤先生ご自身は1977年に他界された。

84歳だった。

ご旅行のときには、

にんじんなどを擦り下ろすために

おろし器をリュックにぶら下げていた。

食事には気をつかっておられたようだが、

いまにして思えば、

先生の健康を支えた一番は

研究へのモチベーションであろう。

先生を迎えたり見送ったりするために

上野駅~駒込間を何度かご一緒したが、

歩く速さ、階段の昇り降りの速さには驚いた。

先生を追いかけるようにして歩いたことを覚えている。
(香川 綾先生と交流があり、
 女子栄養大学にはご縁があった)

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女性誌からのお声かけのおかげで、

『長寿村ニッポン紀行』を再読することになり、

近藤先生を偲びつつ、

「健康の6大要素」を改めて確認することにもなった。

(健康の6大要素--①栄養、②運動、③休養、

④ストレスコントロール、⑤よい人間関係、⑥生きがい)

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by rocky-road | 2018-08-07 22:38  

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