「編集力」を人生に生かす。
第39回めの遠距離クラスの講義は
『「編集力」を日々の生活にどう生かすか』であった。
(横浜市技能文化会館 11時~18時)
このクラスでは、
各地から人が集まるので、
最初に全員から近況報告をしてもらうことにしている。
各地の気候やローカルな話題などが聞けるので
貴重な情報源となる。
今回は、広島のお2人から、
大雨による大水害の報告に耳を傾けた。
被害情報というよりも、
保健師や栄養士などに対して
行政から、どういう要請があったか、
などを聞くことができた。
また、地域の被害だけでなく
知人の被災などの困難もあったものの、
横浜でのセミナーや遠距離クラスへの出席は
予定どおり行なうことにした、
それが日常性の持続であり、
心の平静を保つことにもなる、
という報告もあった。
災害への対処の方法として、
傾聴すべき報告である。
このあとの講義では、
「編集」について講じたが、
スピーチも1つの情報体であり、
ここにも「編集力」が役立つことを指摘した。
パソコンの普及は、
万人に編集力強化を求めることを意味するが、
編集は、プロの仕事と思われているのが現状。
この点では、
遠距離クラスでの講義や発言は、
編集とは何かを学び、
実践する数少ない機会となっているはずである。
編集がらみで、
話題を以下のように広げよう。
去る7月18日、午前0時10分、
トランプ大統領とプーチン大統領の対談を
報じるラジオニュースの中で
担当アナウンサーが「世界の注目が注がれている」と
発言した。
「目が注がれている」ではなく
「注目が注がれている」と言ったのである。
私にしてみれば、「やったぁ!!」「やっちまったぁ!!」
という思う瞬間である。
NHKは、ここ10年あまり、
「注目」というコトバを
「集める」というコトバとセットで使い続けている。
「注目される」ですむところを
あえて「注目」というコトバを使うときは
ほぼ90%は「注目を集める」と表現する。
言うまでもなく、「二重表現」である。
「重言」(じゅうげん)とも「重複表現」ともいう。
「二重表現」とは
「今現在」や「挙式をあげる」「必ず必要」「永遠に不滅」
「いまだに未解決」「外国人の方々」など、
同じ意味のコトバを重ねるもの。
「注目」は読んで字の如しで、
「目を注ぐ」「目をそこに集める」こと。
「目を注ぐ」ことを「集める」とは、
「注目する人を多数集める」という意味ではなく、
「注目」の重複に加えて、誇張表現でもある。
NHKには2度ほど指摘したが、
まったく聞く耳を持たない。
ときには「大きな注目を集める」のように、
文法を無視した、意味のわからない放送をする。
どうやら、なにかの意図があって、
この不適切かつ誇大、かつ低教養な表現を
日本中に広めようとしているらしく、
1日に数十回、
アナウンサーや解説員などが口にする。
その効果があってか、
新聞や雑誌にも、
この表現が普通に見られるようになった。
これについて補足しておくと、
「注目」は、日本語では名詞だが、
漢語的には動詞である。
だから「注目」といっただけで
「目を注ぐ」「視線を1点に集める」という
動作を表わす。
わざわざ集めなくても、すでに「目が集まって」いる。
こういう動詞的名詞には、
「する」をつければ完結する。
「勉強する」「研究する」「奉仕する」「キャッチする」
「注目を集める」の場合、
「関心を集める」「関心を寄せる」「注目を浴びる」
などがすでにあるから、
「注目を集める」もセーフではないか、
という弁解の余地はあるが、
分別のある人は使わないほうがよい。
さらにまた、
「大きな注目を集める」が不自然に感じるのはなぜか。
「大きな」という連体詞は名詞を修飾することになっている。
「大きな目」「大きな雲」「大きな事件」などと。
「注目」は名詞だから、
連体詞の「大きな」を冠しても文法的には誤りではない。
しかし、動詞的ニュアンスを残している「注目」とは
相性がよくない。
「あの注目」「あらゆる注目」「いわゆる注目」という
表現法がしっくりしないように、
「大きな注目を集める」も、日本語として定着しにくい。
動詞のニュアンスが残る
「接客」「調達」「施錠」などの名詞には、
「大きな」や「あの」「いわゆる」(連体詞)が
ぴったりとくっつかないものが少なくない。
「大きな接客」「あの調達」「いわゆる施錠」などと
表現することはまずない。
したがって、
「大きな注目」と言われると、
目が大きいのか、集まった目のあるスペースが大きいのか、
なんだか気味が悪くなる。
ここで「編集」の話に戻るが、
ニュースは、言うまでもなく「編集物」。
すでにある情報素材を集めて、
順序よくまとめ、発信する、そこまでが仕事。
編集は、創作ではないから、
あまりに私的な思想や用語はしにくいが、
それでも流行語には
編集作業の結果、流布されるものが多い。
「忖度」や「モリカケ」などが一例。
しかし、
受信料を取る公共放送としては、
国語を無神経にたるませてほしくはない。
そんな権限はないし、
慎重に国語を使う使命があるはず。
たとえば、
出演者に対して「きょうはありがとうございました」
と、あいさつするのは、僭越。
謝意は、あしたも残るのだから、
「ありがとうございました」と、
過去形にしてはいけない。
「先日は、ありがとうございます」と、
過去の好意に対するお礼も、
「ました」にしないのが、
日本語の美しい表現。
番組がそろそろ終わることを
出演者に伝えるための「ありがとうございました」は、
放送局内部の事情であって、
それを日本語として定着させようとされては困る。
「きょうは、ご出演、ありがとうございます」でも、
なんら不都合はないはずである。
同様に、動物の「熊」を
目の下にできる「くま」と同じアクセントにするのも
現状に即していない。
NHKは、アクセント辞典に則っているというが、
日本人の、現在の「熊」のアクセントに対応しているのか。
話が戻るが、
去る7月18日、午前0時10分の
トランプ大統領とプーチン大統領対談を
伝えるニュース。
「注目が注がれる」は、
正真正銘の二重表現だが、
驚くのが、このときのアナウンサーが、
U氏であったこと。
すでにNHKを定年退職しているが、
いまもNHKニュースを、
手堅く、さわやかに読んでいる。
現役時代は「ことばおじさん」の別名がある、
コトバに通じたアナウンサー。
関連の著書もいくつかある。
そういう名アナウンサーが、
「注目が注がれています」とやってしまったのは
まさにニュースである。
そのときの雰囲気から判断して、
原稿をそのまま読んだのではなく、
アドリブ的な語尾ではなかったかと思う。
その部分は、いわば未編集の、個人的ミス。
だから原稿を正確に読まなくてはいけないが、
もともと「注目を集める」は
放送記者の原稿だろうから、
ミスを生み出すお膳立てをしたのは記者のほう。
たぶんUアナウンサーは、
その表現に違和感を感じていて、
なんとか言い換えようと反射的に思い、
結果として、
「注目が注がれる」と、
恥の上塗りをしたのかもしれない。
成熟社会とは、
人間を穏やかにする側面があるようで、
日本人の言語表現にもパンチがなくなった。
「……ていうか」(一発で決めろよ)
「正直、ヤバいと思った」(いつもは正直じゃないのか?)
「感動っていうのじゃないけれど、
けっこう泣きました」(それ、感動だろうが!!)
などという、ボヤけたコトバを使っていると
ボヤけた人生を送ることになりますぞ。
by rocky-road | 2018-07-25 00:10