おもしろくないキミ、ひょっとして……。
バースデープレゼントとして、
「ハウステンボス&有田焼二泊三日の旅」を
いただき、6月29日から7月2日まで、
長崎の旅を楽しんできた。
これを優先して書くべきだが、
出かける前に書きかけていた文章を
まずアップして、
旅日記のほうは、
後日、ご報告をさせていただきたい。
さて、出発前に書きかけていたブログ。
月刊『Hanada』の8月号に
「文藝春秋の『内紛』を憂う」という
一文が載っている。
筆者は同誌の発行人兼編集長の
花田紀凱(はなだかずよし)氏。
氏は、文藝春秋社から編集者としてスタートし、
月刊『文藝春秋』や『週刊文春』の編集長、
その他の雑誌の編集長を歴任し、
それぞれに業績を残した。
その後、長い経過があって、
別の版元から月刊『WiLL』を創刊させたが、
2016年には、ここにも「内紛」があったようで、
別の版元に移って
上記の『Hanada』を創刊させた。
そういう経歴の花田氏が、
古巣の文藝春秋社の内紛の概略を説明している。
要するに人望のない社長が、
社員からの批判に負けて退任した
という話である。
そういう内部事情の話よりも、
かつて愛読した『文藝春秋』や『週刊文春』が
こうも平凡な雑誌になった理由の一端が
述べられていて参考になった。
ところで、「雑誌がおもしろくなくなる」とは
どういうことなのか。
「記事が平凡になった」とか
「通俗的ななった」とかというとき、
「平凡」や「通俗的」の定義が必要になる。
そこへ入り込むと話が固くなるので、
ここは、あまり客観性を求めず、
平凡や通俗的の事例として
浮気など芸能界のゴシップが多い、
首相やその夫人への誹謗・中傷をいつまでも続ける、
「嫌いなタレント」や
「長寿番組」など、持続的な芸や風習を
否定的に指摘するワーストランキングなどを
あげておこう。
文藝春秋社といえば、
看板の『文藝春秋』や、
のちに創刊された『諸君!』を通じて
日本の保守の言論をリードしていた。
硬派の男向けの記事が多く、
話題も日本、世界規模のものが少なくなかった。
筆者も、会田雄次、阿川弘之、谷沢栄一、
山本夏彦、イザヤ・ベンダサン、山本七平、
渡部昇一、西部 邁といった、リアリティのある論客が
活躍していた。
忘れられないのは、
共産主義政権時代のソビエト市民の家に
いきなり電話をかけて、
暮らしの様子などを尋ねるという企画。
すぐに電話を切る人もいたようだが、
いくらかは応じる人もいた。
これぞ編集というものだと感服した。
版元(出版社や大学出版部、その他の発行元の総称)は、
トップの意向に従って
出版物の企画を決めていると思う人が多いが、
雑誌などでは、ほとんど編集長の意向で
内容が決まる。
ときにはフライングもあって、
編集長が責任を取らされるケースもあるが、
「ノー」といわれない限り、
すべて「イエス」と考えて前進を続ける。
したがって、
Aという編集長の雑誌が通俗化しても、
Bという編集長の書籍部門が
硬派の出版を続けるということは珍しくない。
このデコボコ感も、
その版元の健康度のバロメーターになる。
編集カラーは編集長によって決まる。
件の文藝春秋社の「内紛」事情を読むと、
優れた編集長が育っていないらしい。
ずいぶんお世話になったこの版元のものを
定期的に読まなくなってから
20年以上はたっていると思うが、
それなりの理由はあったようだ。
いまは『Hanada』を購読している。
同時に『WiLL』という雑誌も読み続けている。
「編集カラーは編集長によって決まる」といったが、
『WiLL』と『Hanada』との関係は
特異な例ではないかと思う。
編集長が『Hanada』に移った以上、
『WiLL』はもぬけの殻になるのかと思いきや、
花田的編集を続けているので
購読をやめる理由が見つからない。
内部事情は知らないが、
残留した『WILL』編集長はなかなかのやり手だ。
ここで休刊になったら「やっぱりね」と
いわれること必定。
その崖っぷち状態が、
彼のモチベーションを全開させているのだろう。
その根性について、
いつか誰かが語るだろう。
AIの進歩が著しいが、
編集もまた、
コンピューターには任せられない分野である。
私事ながら、小学生以来の投稿好きで、
中学、高校、大学と編集物の発行にかかわり、
結局は本業になり、
退職後も、なんらかの形で編集にかかわっている
自分の現状を振り返ると、
花田氏が80歳近くまで
商業出版のど真ん中にいるのは立派だと思う。
編集は文学ではないし、
芸術にも区分されることもないが、
長期的に購読することになるので、
思われている以上に
人のライフスタイルやメンタリティに
影響を与える。
雑誌(新聞も入れてもよいか)を
定期購読しない人間は、
会ったこともない、見知らぬ編集長の
影響を受ける心配はないが、
同時に、そういう人間は、
ライフスタイルやセンスを持たない人間なので、
つき合っていておもしろくはない。
そのおもしろ味のなさといったら、
来る日も来る日も
スマホをのぞき込んでいる人間に匹敵する。
いや、そうではなく、
雑誌も読まないくらいおもしろくない奴は
スマホ依存になるくらいしか、
生き方を知らないということである。
世の中のダメ編集長も、
つまり売れない雑誌を作り続ける編集長も、
たぶん、
雑誌を長期的に購読した経験がない連中だろう。
おもしろくない奴に、
おもしろい雑誌を創れ、
といっても、どだいムリな話である。
by rocky-road | 2018-07-04 00:46