親愛なる ホールマーク御中


ある人が、文房具店で「おもしろいもの見つけた」
といって、小型の横書き用便箋を持ってきてくれた。
「手書き文例たっぷりの便箋」と謳う商品である。
表紙にも文例が載っており、
表紙裏には便箋を使うときのレイアウトの「基本」、
次の1ページの表裏には手書きの文例が示してある。
ところが、
それぞれの文例とも、
すべて、相手の名が行末にきている。

小さな会社の商品だろうと思って制作元を見たら、
グリーティングカードなどで知られるホールマークである。
しかも、監修者の名も経歴も表示してある。
自信を持って商品開発をしたのだろうが、
旧来の書式を踏襲していて、
新商品としての自負も輝きもない。

念のためにメーカーに問い合わせたら、
何回かのやりとりののち、
こんな回答があった。

「宛名を文末に置く形式は、
監修者の過去の著作物においても、
また過去に出版されたその他の著者による
手紙の指導書・文例集の中でも、
横書き手紙の書式として紹介されてきたもので、
監修者・メーカーともに
以前から存在する形式と認識しております。」
「よって、本商品は
公文書の書式指導として意図されたものではなく、
明確な形式の存在しない横書きの手紙において、
敬意、感謝、親愛などがこもった誠意を
どのような言葉に託すか、
という点を重視して開発いたしました。」


この回答の注目点は、
人はピンチに立つと論点をすり変えるという傾向。
国会での大臣の答弁と同じである。
こちらは、文例の適否を指摘したのではなく、
横書きの私信の形式(レイアウト)について
問い合わせたのである。
それに対して、

「公文書の書式指導として意図されたものではなく」
とポイントをずらし始める。
「敬意、感謝、親愛などがこもった誠意を
どのような言葉に託すか」の文例を示したものだから、
言外にレイアウトにポイントを置いていないという。
さらに「公文書の書式指導」のつもりはない、
といもいう。
「文例」をいくつもあげておいて
指導の意図はないとは、どういうこと?

マニュアルに指導の意味がないのだとすれば、
なんのためにそんなものをつけるのか。
「指導」「参考」「文例」「デザイン例」
いろいろの言い訳はできるが、
それに惹かれて購入した利用者の99%は、
その文例に従うだろう。
実際、それを「売り」にした商品ではないか。
相手の名を行末に持ってくる形式は
確かに「以前から」存在する。
そのルーツは、
日本古来の縦書きの手紙の書式を
そのまま横にした、という点にある。

かつての手紙マナーの専門家には、
書道家や伝統作法家の割合が多く、
したがって、横書きの手紙形式については
疎い人が少なくなかった。

今日では、
Eメールなどでも、公私にかかわらず、
「宛名」や「件名」は上にくる形式。
それでもなお、
本文の行頭に相手の氏名を書く若い人も少なくない。

また、欧米在住の日本人、外国人と
横書きの手紙のやりとりするときには、
欧米の書式に従って、
行頭に「dear ICHIRO」
「ディア 三郎」なんて書くのが普通。
ここで日本式を踏襲する人はまずいないだろう。

横書きの手紙では相手の名は行頭に置く。
そのほうが敬意が示せるだろう。
便箋が何枚にもなるとき、
相手の名が最後に来るのはいかにも敬意不足。
ここが日本の縦書き手紙と、
欧米式の横書き手紙との大きな違い。

こんなことは、
横書き手紙を何回か書けばすぐにわかること。
ホールマークは、いつごろの本をチェックしたのか。
ホールマークが
「明確な形式の存在しない横書きの手紙」
というのは正確ではなく、
だれの説というのではなく、
時代の流れとして、
形式は存在しつつある。

「監修者の過去の著作物においても、
また過去に出版されたその他の著者による
手紙の指導書・文例集の中でも、
横書き手紙の書式として紹介されてきたもの」
という認識は残念。
過去にタイムスリップしないで、
パソコン、欧米在住の人との文章コミュニケーションの
現状をなぜ見ないのかね?

商品開発をするときには、
将来性を考えるのが普通だが、
グリーティングカードという、
日本人には身近ではなかった
新しいコミュニケーション文化を
一般化してくれた先進的な会社でも、
こと日本のコミュニケーション文化となると
手こずるところがあるらしい。

その原因には
会社や監修者の将来展望の狭さもあるが、
それ以上に、
日本の文章表現形式の伝統の重さ、
日本人の改革への消極性の反映がある
と見るのが妥当だろう。

しばしば指摘することだが、
パソコンという
最新のコミュニケーション機器の普及によって、
年賀状や冠婚葬祭のあいさつ状から
句読点を省くという書式が定着してしまった。
こういうチグハグもある。
言語現象は理屈どおりにはいかないものである。
機会があれば、
ホールマークのあいさつ状の形式はどうなっているか、
見てみたいものである。

理想的には、
文部科学省や国立国語研究所などのリーダーシップで
一般人が使ういろいろの書式を
正書法として普及することである。
それをインターネット関係者、
メディア関係者、自治体、
教育機関などに伝えられればすばらしい。

が、そんな日を待つことなく、
またしても、1メーカーによって、
旧式の横書き書式が「指導」のつもりがないまま、
ミスリードされることになった。

こういう商品のサイクルは知らないが、
3年や5年は、
「相手の名は行末に」という
困った横書き手紙が行き交うことを
覚悟しなければならないのだろう。

手紙活用者は、
こうした無責任なメーカーの商品に惑わされることなく、
インターネットの中から
「これは」と思える書式を見つけるか、
版元のしっかりした、
そして発行年月が新しい「手紙の書き方」本を見つけ
それを求めて座右の書の1冊にすることである。
by rocky-road | 2018-05-30 20:06