情報を遠くに飛ばす。
先日、NHKテレビの「趣味どき」という番組で、
カラオケレッスンをやっていた。
磯野貴理子さんが、音楽プロデューサーと、
2人の歌手からレッスンを受ける内容。
このとき、プロデューサーが
「声がのびない」という指摘をし、
その理由として、
貴理子さんの目線より、
やや下にある歌詞ボードを見るために、
声がすぼまってしまう、と。
この場面をたまたま見ていて、
これは人との話し合いにおいてもいえることだと、
大いに納得した。
ミーティングやスピーチで発言するとき、
声が小さくて聞きとりにくい人がいる。
自分が難聴になったがために、
改めてそういう人の存在を意識するようになった。
しかし、彼らに「難聴者にもわかるように」と
注文するつもりはない。
そうではなくて、
内容のしっかりした話なら、
わかりやすい発音で、
コトバを1ミリでも遠くに飛ばすほうがいい。
カラオケと同様、
目線が下に行っていると、
声がのびない。
コトバは、姿勢や表情、視線によって、
より遠くにまで達する、
そういうことを言いたい。
野球のピッチャーに対して、
「よく腕が振れている」
という解説者の指摘があるが、
こういうピッチャーのボールは
速いだけでなくのびがある。
変化球も大きくて効果的。
コトバも、姿勢や表情、視線を使って投げると、
よくのびる。
相手に届きやすくなるだけでなく、
内容もよくなる。
声が小さい人の話は、
とかく内容がうすい場合がある。
これを科学的に分析することができるのか。
仮説としては、
声が小さいと、
相手への音響的刺激が小さく、
相手の反応も小さくなりやすい。
同意にしろ反論にしろ、
音響刺激の大小に比例して、
内容の深まり方が違ってくる。
はっきり聞こえる声に対しては、
相手も気合を入れて反応する。
意見交換や議論が熱を帯び、
深まる度合いは高い。
本人も、その反応に満足するので、
表情に活気が出るし、声にハリやツヤも出る。
もちろん、話題の展開の仕方も慣れてくる。
この仮説に一理があるなら、
声の小さい人は、
カラオケボックスか山の奥で
発声練習、発話練習をして、
発話力を鍛えるのもいい。
人間関係がよくなるのは当然として、
思考力も深まる。
モノを書く人と、書かない人とでは
論理性に違いが出るのと同様、
声の大きい人(つまりはフツ―の人)は
自分の発言内容への認知度も上がるので、
やはり認知能力アップにプラスになる。
さて、
ここから本題。
恒例のパルマローザ・ブラッシュアップセミナーでは、
「社会的ポジションを左右する文章表現力、
どこを、どう見直せばよいのか。」
サブタイトル「メール、ハガキから原稿まで」
をお話しした。
(2018年1月8日 横浜市技能文化会館)
文章力は、
声よりもさらに遠くへ情報を飛ばすスキルである。
空間的な「遠く」だけではなく、
時間的な「遠く」をも含む。
つまり、1年後、10年後にまで飛ばすことができる。
さらにまた、
頭脳空間における「遠く」にまでも
情報を飛ばすことができる。
脳は、自分の目の上にあるではないか。
どこが「遠いのか」。
いやいや
脳の世界は時空を超える。
そこには祖先以来の記憶があり、
5年後、10年後の未来がある。
トランプ政権のアメリカが見えるし
朝鮮半島の政治情勢が見える。
いま、書いていなくても、
日記を書く習慣を持っている人には、
書かない人が見落としているものも見える。
取材モードのスイッチが入っているからである。
健康支援者、栄養士は、
ますます情報を遠くに飛ばす機会が増えてくる。
1対1のカウンセリングにとどまらず、
複数の人に対しての講話や講演、
イベントの司会などのほか、
Eメールやメールマガジン、
そして印刷媒体による情報発信などによって
健康情報、食生活情報を
遠くに飛ばす必要に迫られている。
つまり健康・食生活情報を
遠くに飛ばす基本スキルを強化しないと、
はるかに後発のドクターに、
この分野を奪われる可能性がある。
彼らは、
栄養士よりも情報を遠くに飛ばすトレーニングが
できている、ということである。
もっとも、
中身の食や栄養情報はうすいので、
投げるボールがすぐになくなるはず。
したがって、社会への影響力は一過的で済むだろう。
ところで、
以上のセミナーの前日、
食コーチングプログラムス主催の
「食ジム」(第63回)では、
「会議の議長、進行になったら」というテーマで
終日、話し合った。
(2018年1月7日 横浜開港記念会館
座長、奥村花子)
これもまた、
情報を練りあげ、
それを複数の人たちに
投げかけるスキルのトレーニングである。
健康支援者、栄養士の「遠投力」強化は、
継続的に続ける必要があるだろう。
by rocky-road | 2018-01-15 23:14