恩師、芳賀 綏先生のご逝去。
大学時代の恩師、芳賀 綏(やすし)先生が逝去された。
すでに10月3日に亡くなっていたと、
夫人からの「喪中のごあいさつ」で知った。
体調を崩しておられるご様子は知っていたので、
ご機嫌うかがいのおハガキはしばしばお出ししていた。
先生は1928年、熊本市生まれ。
東京大学文学部を卒業されたのち、
28歳で助教授として
東洋大学文学部(国語国文学科)に赴任された。
わが大学は国文学、
それも古典文学を専攻する者が多かったが、
私は国語学に関心があり、
その関連講義を中心に受講した。
芳賀先生のご担当は「国語表現法」であった。
以後、4年間、いくつかの講義を受け、
卒業論文の審査に関して副査をお願いした。
(主査と副査、2人の教員に論文を
読んでいただいて評価を受ける制度)
主査は、音声学の大御所、佐久間 鼎(かなえ)先生、
副査は芳賀 綏先生。
卒論の評価では、
佐久間先生が満点をつけてくれたが、
芳賀先生は97点。
おかげで、卒業論文のランキングでは
270人中3位。
上の2人は古典文学と近代文学。
ともに200点満点だった。
国語学からも満点を出せばいいのに、
とは、当時は思わなかった。
芳賀先生の評価基準があったのだろう。
卒業後も、
芳賀先生にはお世話になった。
卒業間際に、
「将来、なにをしたいのか」と聞かれて、
「文章を書く仕事」と答えた。
そのこともあって、
先生の原稿のお手伝いをさせていただいたりした。
ホテルに缶詰めになって、
原稿を書いたこともある。
東京のお茶の水にある《山の上ホテル》では
夜中に夜食のルームサービスもしてくれた。
宿泊者を「先生」と呼ぶのであった。
作家や著述家の利用が多いためだろう。
そういう仕事をしていた縁で、
かかわった版元から、
弟子の私にも書物の執筆依頼があった。
『実用文の書き方』(1970年 池田書店)
という本は、そんな経過で生まれた。
2年間で9版まで増刷した。
芳賀先生の著書は多く、
ここにはあげきれないが、
手元にある何冊かを
年代不問であげておこう。
*自己表現術 (光文社)
*国語表現教室(東京堂)
*上手な自己表現 文章法入門 (池田書店)
*話せばわかる 日本人の意識と構造 (講談社)
*男優女優の昭和誌 (人間の科学社)
*売りことば買いことば (日本経済新聞社)
*日本人はこう話した 言論100年 (実業之日本社)
*現代政治の潮流 (人間の科学社)
*日本人らしさの発見 (大修館書店)
これらのうち、
初期のころの何冊かについては
お手伝いをさせていただいたので、
私の文章の中には、
芳賀風の文体が少なからず溶け込んでいることだろう。
先生の多くの著書のうち、
もっとも話題になった1冊は、
『日本人らしさの発見』ではなかろうか。
2013年刊行だから、ほんの4年前である。
従来の東洋人、西洋人という区分は、
地域的区分に過ぎず、
生活の基本、食文化の視点で見ると、
牧畜を中心とする地域と
農耕を中心とする地域とでは、
気質やものの考え方はかなり違う、
という指摘をされた。
東洋、西洋ではなく、
「凹文化」と「凸文化」という対比である。
国語学からはだいぶ離れた先生に、
「いまのお仕事は?」とうかがったら、
「比較文化論」とのお答えでうあった。
凹(「おう」 日本など農耕文化圏)と
凸(「とつ」 ヨーロッパや中央アジアなど牧畜文化圏)とでは、
神の居所が違い、人間関係や自然との接し方が違う。
中国や朝鮮と、日本とは、
同じアジア地域に存在しているが、
牧畜人の影響を受けている中国や韓国と日本とでは、
気質がずいぶん違う、という着眼である。
この視点で世界を見ると、
いままで見えていなかったものが見えてくる。
この本は、パルマローザの輪読会でもテキストにした。
そのときの写真は先生にもお送りしてある。
弟子のほうから見ると、
恩師というものは、
いつまでも存在していてくれるように思える。
ほんの数が月前、
いま話題の赤羽をご案内したい、と
お誘いしていた先生が、
あっという間に逝去された。
先生の著書を読み返しつつ、
しばらくは
先生と語り続けるつもりでいる。
by rocky-road | 2017-12-14 22:45