「そこに海があるから」ではなく、「わが人生に目的があるから」海に向かう。

過日、
スノーケリングクラブの
昔からの仲間の出版記念パーティがあった。
集まったのは約70人、
最初に所属した東京潜泳会(せんえいかい)は
昭和39年、1964年の発足だから、
53年がたっている。

全盛期には70人を超える会員がいたが、
1980年代に休眠状態に。
今回の出版記念会に参加したのは元会員の5人。
今回、出版を祝うことになった本の内容は、
日露戦争の後日談をベースにした話。
日本海海戦で、日本艦隊に撃沈された
「ナヒモフ」という軍艦が積んでいた
8兆円という財宝の行方を追うという、
実話をベースにしたフィクションである。

53年前にダイビングを始めて、
その後、雑誌編集者や執筆活動を続けてきた
鷲尾絖一郎君は、上記「東京潜泳会」の
第一期の会員である。
海に関する著作と、
ライフワークである飼育鳥に関する
研究と著作を続けている。

この出版記念パーティの発起人たちは、
日本のレクリエーションダイビング界を支えた、
第2世代から第3世代ともいうべき人たちである。

第1世代とは、
日本占領中の米軍兵隊から
直接、ダイビングを習ったという世代である。
消火器のタンクを利用して
エアタンクにしたという。
存命であれば、90歳代前後か、
それ以上の年代である。

パーティに集まった人たちのうち、
どれくらいの人が現役ダイバーであるかは
尋ねる機会はなかったが、
その様子からは、
70歳以上で海に行っている人は、
そう多くはないように思えた。

高齢者にはダイビングは向かない、
ということではない。
日本には「シニアダイバーズクラブ」という、
1992年に発足し、20年以上の歴史を持つクラブがある。
会員は数百人。
平均年齢66歳、90歳代の会員もいるという。

もう40年以上も前になるが、
ダイビングを「マリンスポーツ」として
くくるのは適切ではないと、
専門誌を通じて唱え続けた者にとっては、
「そら見たことか」と言いたい現状である。

ダイビングは、スポーツではなくて、
「地の果てから始まるもう1つの旅」なのである。
旅だから、足腰がしっかりしていれば、
何歳になっても楽しむことができる。
富士山の登る70、80歳代があるそうだから、
それに比べれば、
「地の果てから始めるもう1つの旅」は、
ちょろいものである。

問題は、体力ではなくて気力、
つまりはモチベーションである。
海の上を歩く、海の中にとどまるという体験は、
特異な体験だから、
よほど合わない人でない限り、感動を覚える。
しかし、それほど新鮮な体験でも、
10年くらい続けると飽きてくる。
人間というのは、飽きっぽい。
それは利点でもあって、
それゆえに次の刺激を求めることにもなる。

ダイビングを普及する役割を担っていた人は、
そういうことがわかっていたので、
当初は「魚突き競技」(スピアフィッシング)や
魚介類の捕獲と飼育、
「水中ナビゲーション」(陸でいうクロスカントリー)
「水中運動会」などを試みた。
「マリンスポーツ」時代である。
もちろん、これらは
自然環境に対して強いインパクトとなったり、
体力勝負のスポーツになったりするので、
すぐにすたれた。
そのころから、
だれにも使える水中カメラが普及し始め、
ダイビング雑誌などがフォトコンテストを
始めるようになって、
多くの「カメラ派」が生まれた。

当時、魚などを観察することを
「野生観察」「生態観察」などといっていたが、
いかにも色気がないので、
「フィッシュウォッチング」という
コトバを使ってはどうか、と、
雑誌の連載記事の中で提案した(1979年)。

こうして、
スノーケリングやダイビングのテーマが
多様化していった。
それでも、
レクリエーション目的で
スノーケリングやダイビングを
30年、50年と続ける人はそう多くはない。
これは旅でも登山でも、
テニスでも水泳でも同じである。

飽きっぽいか、飽きっぽくないか、
といったタイプの問題ではないし、
長く続けることだけが価値のあることでもない。
大事なのは、
趣味や余暇活動が、
どの程度、人生のモチベーションになっているか、
というところである。

それには、
仲間がいること、
その仲間はただの同行者ではなく、
人生を支え合うほどの心のつながりがあること、
その余暇活動に予定や計画性があること、
活動ごとにテーマがあること、
などが好条件となる。
そのことをダイビング雑誌の発行者にも
何度となく伝えてきたが、
それをうまく情報化できず、
私が初案を作った海関連の2つの雑誌は、
20年を過ぎて廃刊になってしまった。

上記の「好条件」は、
ゴルフにも旅にも、「断捨離」にもいえること。
食生活雑誌も、
この視点で見ると、安泰とはいえない。

先の出版記念会で、
久々に会ったダイバー仲間は、
いまもダイビングサービスをしているといったが、
もらった名刺のアイキャッチャー(キャッチフレーズ)に
「海と酒はいいね」というのがあった。

なんともだらしのないフレーズなので、
「どういうこと?」と尋ねたら、
ある有名カメラマンがネーミングしてくれたという。
知性皆無、海をバカにしたフレーズを
日本を代表する水中カメラマンが
ネーミングしたのだと聞いて、暗澹たる気分。

日本のダイビング界をリードしてきた人間が、
後輩の名刺のキャッチに、
こんなアホなネーミングしかできないとは、
「ダイビング界」はバラケルだろうと思った。
リーダー不在、一種の無政府状態になる。
ダイビング雑誌も、
オピニオンリーダーの役を果たしえない。

みんなが海水浴程度にダイビングを
楽しむようになった昨今、
もはや「界」などという概念は
なくなってもいいのかもしれない。

しかしそれでも、
「人間が海に潜るということは
どういうことなのか」
それを問い続けることは、
自分のライフスタイルを考えるうえで、
いや、趣味や余暇活動を楽しむうえで意味がある。

これまでもそうであったが、
今度の奄美大島ツアーのあとでも、
またまた新しい旅のテーマが見つかった。
休眠中の2つのクラブの仲間には悪いが、
新しい海仲間もふえ始めていて、
54年目の「海と島の旅」も楽しめそうである。

by rocky-road | 2017-07-12 16:17