「きょうは、こんな1日」の十箇条。


5月28日(日)、
広島県≪コミュニケーション研究会 ひろしま≫主催による
セミナーが終わった。
3年目に入ってすでに3回目を迎える。
(三原市民福祉会館、終日)

関東からもパルマローザ組が参加したので、
いっそうにぎやかになった。
大きな学会では、全国から栄養士が集まるだろうが、
前日は尾道ツアーを楽しむという趣向はそうそうないだろう。
これぞコーディネート力。
健康支援者、栄養士にとって、
「編集力」と「コーディネート力」は基本スキルに。
これについては、6月4日に
横浜で講じることになっている。

広島の講義は、
「ハガキ、手紙が活性化する人生とは。」
「表現法、思考法としての箇条書き。」の2本。


その前に、いつものように、
1.宿題の発表(2017年念頭に想うこと)
2.前回宿題の講評とお返しから始めた。


昔は「1年の計は元旦にあり」などといって、
年頭所感を述べる機会が多かったように思う。
家庭内でも、町内でも、学校でも、職場でも、
それぞれのリーダーが年始の所感を述べた。
さほどユニークな内容ではなかったとしても、
少なからず心が引き締まった。



いまでも、年頭所感を書くチャンスがあれば、
きちんと1年間の展望を示すことができる。
それを宿題が証明してくれた。
ある人は「ことしはテンポよく生きる」ことだといい、
ある人は「『とりあえずやっておこうか』の人生を改めたい」といい、
ある人は「クライアントに笑顔で接すること」という。
誓えば実現する保証はないが、
無目標の1年よりはずっといい。

講師を楽しませてくれたのは、
前回の宿題、「いま、私だけが気づいていること」だった。
もっとも、出題の意味がわからないらしい人も多く、
まさに「そのとおり」というしかない文章を書いてくれた。
「路傍の雑草を放置したままで、
それを清掃するシステムができていない」
あるいは、
「酒を飲みすぎる父のことを思って
燗酒にお湯を入れて薄めた」
「ベランダにやってくるスズメは
私の目の動きを見て逃げてゆく」
そんなの、ご本人しか知りようがない。



回答者の人生のサイズが見えてくる。
話が小さすぎる。
みんなが知っていることでも、
着眼によって、
みんなが気づいていないことが見えてくる、
それを聞きたいのである。



加計学園関連の怪文書。
テレビでちらっと見た範囲では、
「ほしい」(×欲しい)、あるセクションの「ところ」(×所)
などの用字がひらがな表記になっている。
これは、それなりに用字用語に意識のある人の文章。
そこから何が推測できるのか。


あるいは、戦争経験者は、
「戦争はいけない」というけれど、
「どうやれば戦争を防げるか」については
まったくアイディアがないこと。
70余年、それ以外の視点を聞いたことがない。
(吉田満氏や山本七平氏などの名著はあるが)


いじめによる自殺を報じるニュースでは、
自殺者や親は善者で、
クラスメイトや学校、教育委員会は悪者と、
図式が決まってしまった。
この図式こそが、自殺促進のシステムではないのか。
それに気づいた報道はない。



子どもや若者は、
死んで勝者になろうと錯覚する。
自殺者養護は、「贔屓(ひいき)の引き倒し」になりがち。
死者を鞭打つのはご法度だとしても、
自殺がいかに卑怯で、無責任であるか、
それをときどき教育しておかないと、
この連鎖にはストップがかからないだろう。


こういうことに気がついている人はいるはずだが、
それは言わない。
その結果、「私だけが知っている」材料になってしまう。
それでは困るのである。
日本人はもう少し知恵があるはず。
社会的ポーズからではなく、
リアルな現実直視から対策が始まるのではないか。

コミュニケーション学習の基本は、
ものの見方、考え方をシャープにすること。
話し方や書き方の基本も学ぶが、
その前提として、
まずは情報の質をよくすること。

表現法、思考法としての箇条書きを学んだので、
さっそく箇条書きの宿題を出した。
箇条書きは思考の手順だから、
しばしばトレーニングが必要だろう。
レシピに従えばカレーライスもボルシチもできるように、
思考も、箇条書きを使えば、
いままでよりずっと頭がよくなるはすである。

手始めに、きょう1日を
10個の箇条書きでまとめてみよう。


by rocky-road | 2017-05-31 00:07