春は名のみ……♪ ♬

従兄が89歳で他界したため、
通夜と葬儀のために、
新潟県長岡市にある自宅に行き、
その後、通夜と葬儀に参列してきた。
自分では覚えていないが、
20年ぶりの訪問だとか、
向こうでちゃんと覚えていてくれる。
いつも法事のときに出かけていくようだ。




さかのぼれば、
小学生の低学年の時代、ここに疎開していた。
田園地区で、戦争がどこで起こっているのか
まったく感じられない地域だった。
もっとも、
昭和19年3月10日までの東京空襲を体験し、
「いよいよ」ということで
ここに疎開したのである。
疎開中に、今度亡くなった「いとこ」からは、
いろいろと田舎暮らしを学んだ。
マムシの捕らえ方、殺し方、皮のはぎ方、
串の刺し方、いろりでの焼き方、
イナゴの生食の仕方などなど。
だからどうした、という話でもないが。
こういう生活がよほど性に合ったらしく、
戦争が終わってからも、
しばしばここを訪れた。
そのため、父の実家とはいえ、
東京生まれの私だけが、
いちばん多く、ここを訪れたことになる。
それはさておき、
このところ姉や兄、いとこの葬儀が続き、
その長男たちの法事のあいさつを聞いた。
「商売柄」というヤツで、
無意識的に「あいさつ」を評価をしてしまう。
その範囲でわかったことは、
父親のリーダーシップや表現力、
気働きなどが、息子のコーディネート力や
「あいさつ力」に少なからず影響を与える、
という傾向である。
親族の法事のあいさつなど、
トレーニングする機会も場もないから、
ぶっつけ本番にならざるを得ないが、
それでも、親の言動は子に伝わっていて、
あいさつのできる親の子は、
それなりに形がいい。
以前、友人の母親が亡くなったとき、
彼は母親の略歴を、クールな、
しかし、その生きざまに対する敬意のこもった
実に味のあるあいさつをした。
一般論として、
故人となった男性の経歴は、
詳細に語られることが多いのに対して、
著名人ではない「母」や「妻」の経歴は、
ほとんど語られることはない。
しかし、その友人は、
そういう常識を破って、
参列者に対して見事な謝辞を述べた。
これには大きな影響を受けて、
義母の葬儀のときに、自分でも試みた。
取り込んでいるときに、
義母の経歴を聞き取ったり確認したりするのは
楽なことではないが、
故人に対する敬意は示せたと思う。
実の姉兄の葬儀の話に戻るが、
このとき、喪主の長男が、
実弟である私に
ひとこと求めてくれたのはありがたかった。
というのも、元気なころの姉の声を
留守番電話に入っていたテープからとって、
小型ラジオを用意して持って行ったからである。
こちらから言い出す前に、
喪主から声掛けがあったのは自然でよかった。
準備をしておけば、
「チャンスはむこうからやってくる」
と、いつか、だれかに聞いたことがあるが、
確かにそうだと思った。
約20秒、姉の声をみんなで聞いた。
この4月は、
知人ではないが、
親しみを感じていた2人の方が亡くなった。
お一方は、上智大学名誉教授の渡部昇一氏。
1970年代以降、『文藝春秋』や『諸君!』誌上で
氏の論文を読み続けてきた。
ごく最近も『WiLL』5月号で読んだばかり。
知識の点でも考え方の点でも
大きな影響を受けた論客である。
1930年(昭和5年)生まれ、
2017年4月17日没、86歳。
もうお一方は、ペギー・葉山さん。
ジャズシンガー。
私がいまも愛唱する「爪」「学生時代」などを歌っていた。
近くの寺が毎年開催する「桜コンサート」にも
来て、歌ってくれたのは数年前である。
2017年4月12日没、83歳。
合掌。
by rocky-road | 2017-04-27 22:08