「エビデンス」のハイジャンプ。
1月2日、ことしも「ぶらパルマ in 横浜」から
2017年のネットワーク活動が始まった。
確率的に、この日は晴天が多いが、
今回は格別に穏やかな1日だった。
寒さはまったく感じず、
むしろコートを脱ぐことが多かった。
桜木町の「みなとみらい」から、
山下公園までのシーサイド歩きは
毎度おなじみだが、
快適さにおいて
5月の晴天日にも劣らないほどであった。
正月の街歩き、シーサイド歩きは、
おそらく50年くらい続いていると思う。
もっとも、その半分は、
内外のシーサイドにいた。
さらにそのうちの何回かは
海の中からご来光を迎えた。
冬の海の午前6時台、
震えながら日の出を待つダイバーには、
実は寒さは感じられなかった。
1960年代からの30年くらいまでは、
東京の正月は静かだった。
三が日はどこの店も休みで、
人が出歩くことは少なかった。
デパートの福袋売りが始まるのは
三が日が明けてからだった。
銀座の交通量のあまりも少なさに気づき、
それが妙にうれしかった。
ならば、このあたりを自転車で自由に走りたいと、
文京区の家から「ママチャリ」で出かけ、
銀座、京橋、青山、原宿などを走り回った。
のちにディズニーランドやお台場へと
足を延ばすことになっていった。
もちろん、横浜へも自転車で出かけ、
そこでは1泊したこともあった。
メンバーは、家族、海の仲間たち。
多いときは、10人くらいの自転車メンバーになった。
それが生活習慣になった。
これらの習慣が「健康行動」といえるならば、
80歳の健康を支える一助にはなっている、とは思う。
とはいえ、1人の事例で、
それをもって「エビデンス」がある、とまではいえない。
「エビデンス」(証拠、証明)といえば、
この、科学的論説の基礎となる専門用語が、
いまや週刊誌にも使われるようになったから、
日本の知的レベルも
そこそこ高いところに来つつある、と思う。
そう思いたいが、
「エビデンス健康食献立」などとして、
がん予防には、朝食の主菜として「たまご焼き 大根おろし添え」
副菜に「キャベツとわかめのみそ汁」副々菜に「いちご」
昼には「サケのムニエル」……などと
1日の食事を一覧表にして見せられると、
「エビデンス」というコトバの拡大解釈、
もっといえば「誤用」に
笑いと不安が同時にみ上げる。
さらに、栄養士がついていながら、
献立で示してしまう。
これは、かの「食事バランスガイド」の失敗と同じ。
つまり、英語を教えるのに、
「a」「pen」「アッポー」「have」の意味を教えずに、
「I have a pen」「I have an apple」
「I have a pineapple」というフレーズの
和訳を教えているようなもの。
単語の意味を教えずに構文を教えても
使いものにはならない。
毎日、サケのムニエルを食べていても、
がん予防にはなりえない、
アッタリマエダのクラッカー。
「エビデンス」というからには、
医師が情報を提供しており、
栄養士が献立例を作っているのだが、
最近の「にわか栄養学かじり」の医師は
健康やアンチエージングを
単純に食事と結びつけたがる。
そもそも「アンチエージング」などというコトバは
なんとも尊大、なんとも無知な者の用語である。
医師の習性として、
食事を医薬品のイメージで語りたがる。
これを医師のレベルダウンと見るか、
レベルアップと見るか、
ここはむずかしいところ。
簡単に結論づけるという点では、
先輩医師から研究の奥深さや慎重さを
きちんと学んでこなかった結果であろうから、
明らかにレベルダウンである。
「最近の一部の医師は軽い」といえる。
しかし、先輩医師たちは
栄養学を学ぶ機会も時間もなかった。
それ以前に、
本性の深いところでは食をバカにするところがあった。
それがいまは、
食事で老化が防げると思うようになった。
1ミリくらいの前進と見るならば、
この傾向を評価してもいい。
コトの始まりの段階では、
少なからずの浅さ、未熟さを伴うものである。
それでも、何かが始まった。
ゆっくり進歩を待つ根気も必要だろう。
以前、ある某学会の会長が、
自分の学会誌に「日本の栄養士は論文が書けない」
「エビデンスが不確か」と、
まるで他人事みたいに書いているのを見て、
ひどく腹が立った。
そういう傾向があるならば、
さっそく、論文の書き方、
エビデンスのあり方についての研修会を開くべきである。
それも10年、20年と続けるつもりで。
内部にいて、内部をけなす、
こういう品性の者が、栄養士会の会長だった、
というのは、日本の栄養士にとって、
なんとも悲しい現実であった。
学会に発表するような研究の「エビデンス」は、
質と量において、
いや、それ以前のデータのとり方において、
高度に洗練されたものでないと困ると思うが、
「にわか栄養学医師」には、
このあたりのマジメさやセンスが欠けている。
センスについていえば、
たとえば正月に仲間と海風に吹かれながら、
空に向かってジャンプをくり返すような経験を積んでいれば、
「健康」というものが、
いかに複合的な要素によって支えられているかが
容易にわかるはずである。
学問であれ芸術であれ、
スポーツであれ仕事であれ、遊びであれ、
その基本はセンスである。
「センス」とは何か。
それは資質(動物性まで遡れ!)に加え、
いろいろの経験(エビデンスに通じる熟語)、
遊び心、ユーモア精神、
よい人間関係、時代を歩く平衡感覚、
それやこれやの複合した感覚である。
それはまた、健康を支えるエビデンスにほかならない。
こういうセンスは、
机上では学びきれない。
来年の正月は、「にわか栄養学医師」100人くらいを引率して、
横浜の大桟橋あたりでジャンプトレーニングでも
してみようか、と本気で思う初夢であった。
by rocky-road | 2017-01-03 15:07