企画会議、いまは昔――にあらず。

いま放送中のNHKの連続テレビ小説に
しばしば編集部の室内シーンが出てくる。
仕事中のシーンや同僚との会話、
上役とのやりとりなど。
編集会議らしきシーンもある。
が、なぜかみんなトゲトゲしている。

終戦直後の、モノのない時代だから、
と考えるのは間違いで、
実際には、もっと明るく、のびのびしていた。
あんなに深刻な顔ばかりはしていなかった。
演出の過剰なのか、演技力の問題なのか。

現実の『暮しの手帖』は
やがて100万部を超える大ヒット出版企画である。
なのに、あの暗さ、あのトゲトゲしさはないだろう。
私自身も長いあいだ購読し、
おもに文章力を学んだ。

番組の編集会議シーンでは、
長方形に並べた机の頂点に
社長および編集長が座り、
かつ、編集長(?)は
立って演説調で発言しているのだった。
柔らかな会議では、立ってはいけない。
演説をしてはいけない。


過日、≪コミ研 ひろしま≫のセミナーで、
戦後まもなくアメリカから伝わった
「ブレーンストーミング」
という話し合いの形式が、
今日に至るまで、
日本中に行きわたったとは言いがたい、
という話をしたが、
『あなたの暮し』(番組中の誌名)の編集会議は、
古き良かざる時代の形式である。

リアルな時代考証によるシーンなのか
(実際、スタッフの少なからずは生存している)、
テレビ制作者の創造的(想像的)シーンなのか、
定かではないが、
あの形式では、
打打発止(ちょうちょうはっし=刀で撃ち合う状態)
といえるような「ブレスト」はしにくい。

創設者の花森安治(はなもり やすし)氏が
よほどのワンマンだったことを言いたいのか、
実際、ああいう形式で会議を行なっていたのか
番組からは推測できない。
花森氏が亡くなったのは1978年というから、
私が食生活雑誌の編集長になった年である。

私はオーナー編集長ではないし、
そして労働組合全盛期でもあったから、
あんなワンマンは通らなかった。
それに、そこまでワンマンでありたいとも
思わなかったので、私の場合は
もう少し「ブレスト志向」があったと思う。

つまり、司会進行によって
きっちり進められるような
四角四面の「会議風」ではなく、
前の発言者のアイディアに
別のアイディアを上乗せしていくような
聞き覚えのブレスト風を
目指したつもりである。
1日かけて、飲食つきで行なったこともしばしば。

ブレーンストーミングのルールはそういうものだが、
そこは発言が控えめな日本人のこと、
とても談論風発というわけにはいかない。
「参加型」というのは簡単だが、
ミーティングでも講義でも、
参加者はなかなかしゃべってはくれない。

そこで、
どうしても『あなたの暮し』編集部風になる会議が
2016年の日本中にはゴマンと、
いや数百万とあることだろう。
『あなたの暮し』社は、
戦後、すぐにスタートした版元だから、
そういうワンマンスタイルが続いたのかもしれない。

アメリカ人の行なうブレーンストーミングを
間近で見る機会はなかなかないが、
2014年11月29日、
その機会が突然やってきた。
映画『ベイマックス』や
『アナと雪の女王』のプロデューサー、
ジョン・ラセター氏の伝記的レポートを
NHKテレビが放送した。

3Dアニメ映画の『ベイマックス』の制作過程に
「ストーリールーム」とか
「ノートセッション」とかといった場で、
30人は超えると思われるスタッフが、
映画の主人公たちの心理描写、
表情の描き方などについて、
司会者らしい役も置かず、
意見交換をしているのだった。

これぞまさにブレーンストーミングである。
総指揮者のラセター氏は、
端のほうで黙って見ているくらい。
この番組を見て、
アメリカ人のディスカッション力に完全脱帽。
日本人との差は100年どころではない、
と感じた。

そうではあるが、
いや、だからこそ、
ブレーンストーミングやディスカッションの
スキルアップを続けなければならない。
こういう話し合いができること、
言い換えれば企画力を養うことは、
商品や記事をヒットさせる、という程度の話ではなく、
地域の、国の、地球人の生存にかかわる問題である

そう思うと、
一部の健康支援者が5年間続けている
「食ジム」は、そうとうに意味があることと思う。
テレビ小説『とと姉ちゃん』を観ている人は、
会議シーンや、上役の登場シーンのときには
企画力を高めるための反面教師とするのも
一法かもしれない。

by rocky-road | 2016-09-12 00:02