「健康ってなんだ」街道を行く。

6月4日、
第45回食ジム「栄養士・健康支援者は、
食器とどうかかわるか」(アドバイザー参加)
5日、パルマローザ、ブラッシュアップセミナー
「『ヘルスコミュニケーション力』を
どう強化するか」
(横浜)

6月11日、
コミュニケーション研究会 ひろしま主催
「『対話力』をつける。――専門性と日常性への対応」
(講師/影山なお子氏)受講

12日、
「『栄養士』『健康支援者』という職業の
リーダーのカタチ。――『引っぱり型』と『あと押し型』の活用法」
6月13日、
ロッコム文章・編集塾、
月曜クラスの授業。
6月5日の80歳誕生日をはさんで、
いろいろの角度から思考を深める機会を得た。


食ジム「食器とどうかかわるか」では、
食器の記号性について、
改めて考えることができた。
丸皿、楕円皿、角皿の意味、
銘々茶わん、銘々箸の意味。
日本食文化の重要な着眼点だが、
「和食」世界文化遺産ニュースの中では、
軽視されているように思う。

日本においては、
食器は、料理の安定性保持、引き立て役などにとどまらず、
家族の位置づけ、季節感、持ち物のとしての存在意義、
思い出を内包する記号としての意味が大きいことを
さらに掘り下げて話し合うことができた。

「ヘルスコミュニケーション力」では、
あえて「自分とのコミュニケーション」における健康性について、
みなさんに提示した。
昔、同僚に「でも」という「逆接の接続詞」で発話する男がいた。
ほかの同僚との調和も悪く、
ほかのセクションに行っては、同僚の悪口を言っていた。
あげくの果て、小さな部屋に自ら引きこもって
普及し始めたパソコンとにらめっこの仕事を好んだ。
同僚と結婚すると報告されたので、
喜んでこの吉報を課員に伝えようとしたら、
「やめてください。ヤツラ、なにをいうからわからないから」

話しぶりに病的傾向が出ることは周知されているが、
使う用語から病性を感じたのはこのときだった。
調べてみると「分裂気質」とやらであった。
この傾向は時代を経ても継承されている。
「……っていうか」「……逆に」で始まる発話傾向である。
肯定より、なんとなくの否定。
内的ストレスの気配を感ずる。

ともあれ、大橋型「ヘルスコミュニケーション論」では、
「健康」は心身や社会性の「快調度」を示す概念から
自分、人々、社会の方向性を探る心的バロメーターであり、
自分を支え、目標を設定するうえでのモチベーションであり、
つまるところ思想である、と位置づける。
パルマローザのセミナーでは、
思考や理論を半歩か3分の1歩か、
自分の思想史の中では前進できた。

広島のセミナー、影山なお子さんの講義から、
対話は、対人ヘルスコミュニケーションにおける
最小単位であることを再認識した。
好ましい食事相談は、好ましい対話から生まれる。
対話の不得手な者が、好ましい食事相談、
好ましい健康相談を行なうことは不可能、という論点には
深く同意するところがあった。

私が担当した「リーダーシップ論」では、
辞書の定義には、「率先垂範型」(オレについて来い型)の説明しかないが、
「あと押し型」のリーダーという概念を説明した。
栄養士とは、人々の健康を支援するリーダー、
つまりあと押し型のリーダーであることを説いた。
「栄養士はこの職業を選んだ時点で、
好むと好まざるとにかかわらず、
リーダーの道を選んだのである」と。


ベビーカーを押すとき、
子どもに何を見せたいか、どこへ連れて行きたいか、
それを最終決定するのは押す者である。
公園を希望する子に、途中でチューリップ園を見せて、
別の興味を引き出すのも、あと押し型リーダーのワザである、と。


おもしろい偶然は、
13日のロッコム文章・編集塾の授業で、
論理性の話が出たとき、
栄養学あるいは栄養士は論理的職業である、
という話になったことである。

もともと「理系的」タイプだから栄養士の道を選んだのか、
栄養士という職業が理系性を強化したのか、
一律にはいえないが、
栄養学がなんとなく「理系」に分類されるのは当然で、
「20歳代の事務系仕事をする女性の1日の摂取エネルギー量はこれくらい」
という目安は、まさしく論理的説明だからである。
そういう意味では、
「ポリフェノールは目にいいのよ」
「かぼちゃはお芋よ」(食品を糖質量でのみ分類する専門バカ)
といった「栄養素士」は、その限りにおいて論理的である。


しかし、人間には感性があり、ライフスタイルがあり、
時と場合がある。
それらを見ることなく、一律にポリフェノールを話題にしたり、
栄養バランスを説いたりするのは、
時と場合をわきまえない、という点で、非論理的となる。
論理にもTPOがあり、「人を見て法を説け」という原則がある。

横浜、広島、東京と移動しつつ、いろいろの思考的刺激を受けた。
「人間に自主性はあるのか」と問うた脳科学者がいたが、
確かに、地球上の生物は、この天体からの無数の刺激を受けて、
それに反応しているとしか思えない。
旅は、脳および全身を活性化する好ましいシステムであると、
改めて実感した。

こうして79歳から80歳へとまたぎ渡った。
80歳代をどう生きるか、
身近なところには充分なモデルがあるとはいえない。
おもしろいもので、
反面教師はなんとも多い。
90歳、100歳で「戦争は絶対にいけない」
「あの悲惨な災害を語り継ぎたい」と繰り返している高齢者である。

対策を考えることなく、
「いけない、いけない」を念仏として唱えて思考を停止させてしまう、
あの能天気人生だけはモデルにしたくない。


以下は、広島でのスナップ。
尾道城

到着直後に出会った尾道商店街の火事。


しまなみ海道から耕三寺へ。

by rocky-road | 2016-06-14 17:56