自己表現としての写真。

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2016年4月29日は恒例の「写真教室」で、
終日、横浜のシーサイドを歩き回り、
翌30日は「食ジム」において、
コミュニケーションスキルとしての
写真について話し合うという、
写真づくしの2日間を送った。
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写真教室はパルマローザの年中イベント。
食ジム」は食コーチングプログラムス主催の
ディスカッションセッション。
第44回 「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか

(会場/横浜市技能文化会館)
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写真教室のほうは、経験者が増えたこともあって、
レクチャーは簡略にして、いきなり撮影開始。
大桟橋には「飛鳥 Ⅱ」が入港していて
ジャストタイミングであったが、
冷たい強風に見舞われたため、
撮影場所を赤レンガ倉庫付近に移した。
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写真撮影は
きわめて臨機応変が求められるジャンル。
戦場カメラマンや災害現場取材者のように
命がけで撮影をする一方、
代案があるときは、さっさとそちらにポイントを移す。
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プロの水中カメラマンの言だが、
ボートダイビングのとき、
ボートの真下に着地した時点で、
素早く撮影プランを想定しなければいけない、と。
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「なにかいい被写体はないか」
「もっとおもしろい被写体があるはずだ」と
探し回っているうちに、エアをいたずらに消費し、
あるいは潮流が速くなったり、
濁りが出てきたりして、
ロクな撮影もできないままに
その回のダイビングが終わる。
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こういうことがないように、
撮影体制ができるやいなや、
その地形、そこの海底景観の特徴を把握し、
そこで可能な撮影テーマを決めて撮影を開始する。
「見切りをつける」
「相手に期待しないでチャンスは自分でつくる」
などと表現する。
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ウロついたダイバーのほうが
おもしろいものに出会う可能性がないでもないが、
ボートの下の、かならずしもベストではないポイントで
自分の被写体を見つける、
あるいは、そこにあるものを自分の被写体として作品化する、
そういう判断をしたほうが、
結果として、手堅く、自分らしい写真が多く撮れる。
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プロやベテランほど、高望みや大ヒットを夢想しない。
できることから確実にモノにする。
そのあたりの見極めがベテランの
ベテランらしさというものだろう。
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自分に与えられた条件の中から
出来得る限り最上のコトやモノを獲得する、
この図式は、人生にも、仕事にも、
人間関係にも、趣味にも、買い物にも当てはめられる。
つまり、
水中写真にも、陸上写真にも、
いいや、きょうのゴミ捨てにも、
石にケッつまずいてぶっ倒れるときにも、
「哲学」がある。
そういう哲学は、哲学教員からは学べない。
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ともあれ、この日の撮影作品はコンテスト対象とし、
後日、賞をもって評価する。

30日の食ジム、
「栄養士・健康支援者の情報発信に
写真をどう使うか。」では、
こんな話し合いをした。
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1.手持ちの写真のうち、いちばん気に入っている、
  または大事な1点をあげるとしたら。
2.私の写真歴、いつから、どんなきっかけで。
3.「私のベストポートレート」披露。
4.フォトコミュニケーション、私の流儀。
5.健康支援者は、写真をどう活用すべきか。


「1」について、私の場合は、
  昔、アラスカ州のアンカレッジ空港内で出会った、
  オードリー・ヘップバーンの写真が
  その1点だろう。
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「3」について、みなさんの公開した写真の多くは、
  旅先や街中のスナップ、記念写真。
  メディアに公表するときには周辺や背景がじゃま。
  無地のバックで、上半身の「肖像写真」の準備は
  すみやかに始めるべきである。

  パルマローザの場合、これとは別に
  ファッション写真も用意しておく必要がありそうだ。
  オピニオン紙「エンパル」(同会の定期刊行物)に
  ファッション事例として紹介される可能性、
  その結果として、専門誌からの掲載依頼の可能性が
  あるからである。
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「5」については、私なりにまとめておこう。

1.写真とは、宇宙の森羅万象を視覚認識することである。
  連続的な、ひとときも静止することのない世界を
  何百分の1秒というタイミングで記録することである。
  食材の鮮度、食材の切り方、盛りつけのデザイン、
  それらを視覚的にコミニケートすることである
  (自分と、人とに)。
  写真技術のメリットは健康支援者に限らず万人に共通する。
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2.料理や食事写真は、
  料理教室の教材、食事相談の資料として活用できる。
  「食事相談」とはいえ、コトバ以外のメディアを
  もっと活用できる場面がある。
  埃っぽいフードモデルよりも、
  両手に持った野菜350グラムの写真、
  ハカリに乗せた350グラムの写真、
  料理に展開した350グラムの写真のほうが、
  アピールするところが大きいはずである。
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  写真を適材適所に使うためには、
  パソコンのフォルダーを
  バージョンアップする必要がある。
  「肉」「魚」「緑黄野菜」「単色野菜」
  (または第1群、第2群、第3群、第4群)
 「盛りつけ」「単品」「外食」
 「ウォーキング」「ジョギング」
 くらいのフォルダーを、
 すでに作っている人が存在していることを心から祈りつつ、
 このページを終える。
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by rocky-road | 2016-05-01 22:10  

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