ネッシーは、いると思いますか。
2016年2月28日(日)開催の
パルマローザ主催、
第9回・輪読会では、
『食生活雑誌(栄養と料理)は、
どんな視野を持っていたか。』というタイトルで
1979年1月号の『栄養と料理』のほか、
いくつかの記事をピックアップして読んだ。
1.『栄養と料理』からのごあいさつ
2.考案者に聞く 四群点数法の心
3.カコミ記事 俵万智さんの紹介
4.一栄養学者の見た 日本人の食生活40年
5.ペットを太らせてしまう人の〝食感覚〟は?
6.結婚披露宴で若い2人に贈る ヘルシースピーチ
7.ネッシーの食生活 巨大生物が生き残る条件
35年以上も前の月刊誌の記事を
いまになってみんなで読むのは、
けっしてノスタルジーや業績顕示のためではない。
「食生活雑誌」と位置づけた月刊誌が
どういう読者を想定し、
どういう話題を提供したか、
それを知っていただきたかった。
その心は、
「食は食卓の上だけの世界ではない」である。
「食」を小さく小さくまとめると栄養素の話になる。
無限といえるほど多様で広大な食を、
数種の栄養素の話に持っていくのは、
楽といえば楽である。
食を小さくまとめたがる人の発想は、
記憶型の、いわゆる「お勉強のできる」おバカに多い。
物知り顔でおバカを隠し、
微細な栄養素の話で優位性を保とうとする。
人は、食べるために生きるのか、
生きるために食べるのか、
そういう発想は不得手で、
自分が習った、ほんのわずかな知識に頼って、
「そんな食事ではたんぱく質が不足しますよ」
「かぼちゃはいいけれど、糖質に気をつけましょう」などと
ダメ出しをする。
食生活雑誌が、
なぜネス湖に棲むという
「ネッシー」という恐竜の存在の有無を話題にしたのか。
それは、食を通じて生物学的思考法、
あるいは科学的思考法を
読者に提示したかったからである。
1.1個体が、数億年も生きるはずがない。
2.子孫をリレーしながら生存するためには、
ネス湖の広さは充分か。
数百頭、数千頭の恐竜が生息する湖で
20世紀まで、だれもその集団を見なかったのはなぜか。
3.そもそも、それだけの大コロニーを生存させるだけの食糧は、
ネス湖のどこにあったのか。
魚なのかケルプなのか。
そんなにいる魚を人間は食料とせず、
黙視してネッシーに与えてきたのか。
そう考えると、ネッシーの存在はかなり怪しくなる。
しかし、「見た」という人はおり、
「写真に撮った」という人はいる。
そこからテーマは精神医学や写真光学へと移る。
私が『栄養と料理』の編集長を任されたのは1978年4月、
それから、書籍編集の仕事を兼務しながら、
翌年の新年号に向けて準備を始めた。
ネッシーは、2年目に当たる
1980年の新年号に登場した。
ネッシーの存在を「食」の視点から科学する。
食を通して見る世界は広い。
微量成分に目を向けることを避けたわけではなく、
視線を右に左へと振った。
それは、
遠回りをしているようで、
自分の食、人間の食、
そしてこれからの健康について考える
発想力の芽になるに違いない。
2016年現在、
あいかわらず「栄養素士」は多い。
それが専門性だと思っている進歩のなさ。
それが仕事のすべてなら、
「栄養士」の人口はいまの10分の1程度でも
多すぎるくらいだろう。
栄養士が、
ネッシーほどに、といわなくても、
200年、500年と生存し続けるには、
現在の日本の健康環境、食環境を直視し、
それを前提にして、
人々を刺激し続けなければならない。
人々に、食を通して生きる楽しさ、
生きることの意味を実感してもらうには、
自身が食を楽しみ、
生きがいを広げていく必要がある。
パワー不足、元気不足、笑顔不足、
コミュニケーション力不足の栄養士に
人の健康を増進するだけの能力があるとは思えない。
輪読会は、
ネッシーからパワーを得る意味があったと思う。
もう1つの発見は、
1990年の『栄養と料理』4月号に
「結婚披露宴でのヘルシースピーチ」という記事が載っているが、
多くの識者が登場しているものの、
どれもがなんともつまらない内容であったこと。
もっとも、
今日でも、健康支援者のスピーチは、
これらからあまり進歩しているとは思えない。
その意味では反面教師の意味はある。
読書は、
やはりいつの時代も、
そしていくつになっても、
人生の地図であることに変わりはない。
by rocky-road | 2016-03-02 21:37