抽象語に強い栄養士、弱い栄養士。
9月20日から3回に分けて行なう
「用字用語からステップアップする
話し方、書き方」シリーズがスタートした。
(2015年9月20、神奈川県近代文学館)
「用字用語」というコトバは、
出版版元や新聞発行人、文書作成業務者など、
ごく一部の人しか使わないから、
その意味を知る人は多くはない。
読んで字のごとしで、
「用語」とは、その場にふさわしいコトバを使うこと、
「用字」とは、あるコトバに文字を当てること。
「用語」についていえば、
「私の考えでは」というか、「わたし的には」というかは、
その人、その場、その相手によって決まる。
「用字」とは、あることをいうのに、
どういう字を使うか、ということ。
「一人」と書くか、「1人」と書くか、
「ひとり」と書くか、など、字の使い方をいう。
拡大解釈すれば、
補助符号も「用字法」の一部で、
「吾輩は猫である」とするか、
『吾輩は猫である』とするか、
≪吾輩は猫である≫とするか、
最適とする用法のルールが
組織ごとに、または個人的にある。
「用字用語」は、
多分に文字情報発信者専科の用語なので、
発話表現を中心とする人には
無縁な話題のように思われても当然か。
が、「用語」については、
発話中心の生活をしている人といえども、
もう少し注意すべきことはある。
そのことを健康支援者対象に
シリーズセミナーにしようというのだから、
先見の明というべきか、
「ここまで来たか」というべきか。
その狙いは、
人間と、じかに接触する仕事が増えつつある、
おもに栄養士を、
下支えすることになるのだろう。
従来の栄養計算や献立作成などに加えて、
食事相談やセミナーの講師、
「給食だより」や「健康フェア」など、
情報メディアの制作など、
コトバを使う機会が飛躍的に増えた。
ただ増えただけではなく、
話の内容が変わってきた。
何を、どれくらい食べるか、
何を控えめにするか、
どんな食生活をするか、
好ましくない食習慣はどれか……
という、多分に具体的な話題から、
朝食をとるには、
どんなタイムスケジュールを組むか、
認知症や要介護にならないためには、
どんな意識が必要か、
どんなライフスタイルが望ましいか、
といった、生き方にかかわる話題へと
範囲が広がってきた。
(といっても、
それは、ごく一部の栄養士の場合に
とどまるハナシではあろうが)
哲学は、
大学の一般教養の選択科目にとどまることを
甘んじて受け入れているのが現状だから、
健康を支える役割に目覚めた栄養士や健康支援者が、
「不肖、栄養士ごときが……」といって、
市民の生き方に、それなりの方向性を
示さざるを得なくなってきている、
というのが、新展開の状況だろう。
そもそも「栄養」だの「健康」だの、
「加齢」だの「老化」だのというコトバ(用語)は
きわめて抽象的なコトバで、
こうした「抽象概念」を語れないと、
真の健康を支えきれない。
栄養士は、栄養素だけが人間を生かしていると
思い込みがちだが、
人間は、目には見えず、
指で指し示すことができない、
「将来」とか「希望」とか、
「予定」とか「計画」とか、
「モチベーション」とか「ストレス」とかの
コトバによっても生きているのである。
卵や豆腐、牛乳やサンマ、
じゃが芋や大根、食パンやワインの
健康的意義を語るとともに、
「スケジュール」や「人間関係」、
「生きがい」や「自己実現」などについて、
語ることができたら、
人々の健康度を
さらにアップさせ、
持続性を強めることができるだろう。
今回のセミナーでは、
これら「抽象用語」の意味や必要性、
その効用などについて論じた。
ふと気がつけば、
「用字用語」という切り口で、
講義を受ける機会は、大学はもちろん、
版元でさえ、たぶんないと思う。
(シリーズの2回目は11月22日、
3回目は2016年1月10日の予定)
この9月の20、21、22日の3日間は、
初日に上記の「個性が光る『用字用語』入門。」を担当し、
21日は、影山なお子さんの「身だしなみワークショップ」
に、アドバイザーとして参加、
22日は、パルマローザ主催の輪読会
「写真、絵画を読み解く。」を担当した。
「写真、絵画を読み解く」とは、
非言語情報を言語化する思考法。
「きのう」も、「きょう」も、「あした」も、
非言語的で、抽象的な日々。
この宇宙に存在する万物は、
ほとんど非言語的な存在である。
コトバがついているものは、
ほんのわずか。
いま、あなたが着けている肌着に
名はついているか、
「ベージュ」や「ピンク」は、
色の名称であって、肌着の名称ではない。
あなたのパソコンに名はついているか、
あなたの周囲のあれやこれ、行動などには、
ほとんど、それを特定する名はついていない。
しかし、来年、カナダ旅行を予定している人には、
来年のイメージが少しは見えている。
来月、沖縄でスノーケリングをする人には、
古座間味ビーチに泳ぐ
カラフルな魚たちの姿が想像できる。
フエダイ、コトヒキ、コバンアジ、マルコバン……。
サン・テクジュペリは、
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
肝心なことは、目では見えないんだよ」と
いったそうだが、
この場合の「心」とは、
結果的にはコトバだろう。
心で見たものを人に伝えようと思ったら、
コトバに置き換えないわけにはいかないから。
が、過日、
宇宙ステーションに入った日本人宇宙飛行士が、
中継カメラに向かって、
「コトバでは伝えられない。
ぜひ、みなさんに見てほしい」
という意味のことをいっているのを見て、失望した。
何年もかかってトレーニングを受けてきたそうだが、
いざ、現地に到着してみると、
そこから見た風景の説明ができない。
それどころか、一種の禁句を口にした。
「みなさんにも見てほしい」
それをいっちゃぁ、オシマイよ。
それができないから、
アンタが代わって行ったのだろうが、
高いカネを使って!!!!!
これでわかったことは、
宇宙探査計画にも、
言語トレーニング部門がない、ということ。
「宇宙空間の表現法……そのための用字用語」
そんなセッションが必要なら、
いつでも引き受ける。
金輪際、宇宙に行くことのない健康支援者でも、
宇宙から見た風景くらいなら、
語ることができるだろう。
そのために、
「よみうり写真大賞」の入賞作品、
15世紀の祭壇画、広重の風景画、
ピカソの「ゲルニカ」などを鑑賞した。
「鑑賞」とは、つまりは非言語世界を
言語化することにほかならない。
それは、まさに「心の目」の視力を
強化することなのである。
「健康」や「しあわせ」を見る視力を持った人は、
そのための道を適切に選ぶのに有利なことは
言うまでもない。
by rocky-road | 2015-09-24 13:32