踊らない会議。

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会議に関連する話を1週間のうちに
3回ほど耳にした。
1つは、
職場での、4~5人による小さな会議だが、
議長のような進行役がいないので、
話がまとまらない、というもの。
「そんなの、あなたがやればいいじゃないの」
で終わりだが、
上役中心の会議なので、
「議長を設けよう」とは言いにくいという。
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2つ目は、
病院内の会議のこと。
いままで板書をする習慣がなかったので、
新入りの自分が提案して、
板書をするようになった。
それで話し合いがまとまるようになり、
上役から感謝された、と。
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3つ目は、
会議のセッティング係として、
自分なりにうまくいっている、という話。
上役の指示に従って日時を設定し、
会議室を確保し、
出席該当者には、
社内メール以外に、
直接伝えたり、メモを使ったりして、
「知らなかった」などという
言い訳をさせないようにしている。
この役割は自分に合っていて、
一種の才能だと思う。
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最後の事例のように、
うまくいっている場合もあるが、
総体的に見て、
日本人は会議が不得手であり、
苦手意識が強い。
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太平洋戦争直後、
出版界は、英会話やコミュニケーション、
会議の進め方などの出版ブームで、
かなり活性化した時期がある。
「コミュニケーション」の訳語が見つからず、
「大衆伝達」などとするものもあった。
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あれから70年近くたったが、
不得手なものはなかなか克服できない。
私も、会議の進行役では
ずいぶん苦労してきたので、
外部のアドバイスをすぐに実行に移せるほど
現状は甘くはないことを承知している。
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それはつまり、
集団思考、あるいは合議ができない
ということであって、
けっきょくのところ、
合意形成が下手な国民
または民族ということになる。
もっといえば、頭が悪い。
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「もし透明人間になれたら」は、
少なからずの人の白日夢の1つではないかと思うが、
私は、そのときは、内閣の「閣議」というものを
傍聴したいと思っている。
国の運営がどのように行なわれているか、
大いに関心がある。
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議長役(総理大臣か)の議事進行の仕方、
発言の促し方、問いかけの仕方、
反論の仕方、他者同士の議論の見守り方、
終了時のまとめ方、
板書の有無、議事録の取り方など、
貴重な勉強の場となるだろう。
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ちなみに、
国会での本会議にしろ委員会にしろ、
あそこで行なわれているのは、
会議ではない。
もともと意見の異なる者たちが、
合意を図る目的がないままに会したところで、
会議など成り立つはずはないし、
新しいものが生まれる可能性も少ない。
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ときに、法案の進め方に関して
「審議を尽くしていない」
などの声が出るが、
だれが審議をしたの?
相手の揚げ足取りを何回やっても、
そんなのは審議とはいわない。

そもそも、質問に対して、逆質問は許されず、
反論さえ認められない場では、
議論など成り立つわけがない。
「国会中継」は、
ずいぶん優遇されている番組だが、
あれをおもしろいと思う人は、
議論のほんとうのおもしろさを
いちども体験したことがない人だろう。
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このような場から、雄弁な、
または議論じょうずの総理大臣や政治家は
生まれようもない。
それが国民の代表である。
それは国民の実像でもある。

「日本人は会議もできない」ことを
自虐的に指摘するつもりはない。
自分の現状を認識することが必要である。
コミュニケーション力や会議力という点では、
欧米社会からはかなり遅れていることを
認識する必要がある。

ディズニー映画の『ベイマックス』の
制作現場を
レポートしたテレビ番組を見たことがあるが、
「ストーリールーム」という、
試写で見た自作の映画を
論評し合うための部屋があること、
「ノートセッション」などという、
ディスカッションが
数十人によって、司会者もなく
進行する様子を見ていると、
これは100年たっても追いつけない、
と思わざるを得ない。
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戦後70年?
戦争はいけない?
平和は守らなくてはいけない?
語り継ぐ?

ごもっともだが、
どれも議論を経ない、
または未消化の議論のままの、
個人レベルの感情の持続に過ぎない、
70年間も!!!
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議論もできない奴に
民主主義を語ってもらいたくはない。
議論は、2人でもできる。
それは、頭と発声器官の、
そして頭脳のエアロビクスである。

「食の欧米化」はもういいから、
「議論システムの欧米化」は、
これからも続けなければなるまい。

by rocky-road | 2015-08-25 18:43  

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