カタカナ語は日本語である。

戦後70年の国語の歴史を振り返ると、
各界の専門家が
諸外国の用語を積極的に使用しようとするのに対して、
そういう動きを阻止したいとする
世論との対立があった。
それが60年くらいは続いた。
こういう経緯があったことは
記憶しておいてよいだろう。

「コミュニケーション」や「パトカー」(和製)、
スポーツや音楽(ジャズなど)用語などは
すんなりと受け入れたのに、
「アストリゼントローション」とか
「プレタ・ポルタ」とか「デミグラスソース」とかの
化粧、ファッション、料理用語などについては、
抵抗が多く、新聞の投書欄には、
しばしば「わざわざ外国語を使う必要はない」
などの声が、ぼぼ定期的に掲載された。

それも今は昔の物語で、
いまや「アーカイブ」や「セクシャルハラスメント」
「タクスフォース」「ノーマライゼーション」などに
目くじらを立てる人は少なくなった。
カタカナ語に過剰反応していたら、
「インターネット」も「データベース」も、
「パソコン」(パーソナルコンピューター)も
「アプリ」も使えなくなってしまう。

言語センスを持ち合わせている人は、
先人たちが「カタカナ」という表音文字を
考案しておいてくれたことに
深く感謝することである。
もちろん、その前に漢字にも感謝すべきだが。
ともあれ、
カタカナで書いたコトバは、
その瞬間、
日本語として登録されたことになる。

「バイオリン」か「ヴァイオリン」か、
「パーテー」か「パーティー」か、
そんなことはどうでもよろしい。
原語の意味は大事にしたいが、
日本語の発音が、英語に近いか、近くないか、
そんなことは大きな問題ではない。
日本語は日本語であって、
どこかの国におうかがいを立てる筋合いはないし、
遠慮する必要もない。

ところで、
健康支援者のあいだで長らく使われきた
「ヘルスプロモーション」というコトバ、
WHOが提言してから30年近くたっているのに、
いまひとつ定着度が悪い。
日本ヘルスプロモーション学会は、
WHOの定義として次の文章を掲げている。



「ヘルスプロモーションとは、
WHO(世界保健機関)が1986年の
オタワ憲章において提唱した
新しい健康観に基づく21世紀の健康戦略で、
『人々が自らの健康とその決定要因をコントロールし、
改善することができるようにするプロセス』と定義されています。
「すべての人びとがあらゆる生活舞台-労働・学習・
余暇そして愛の場-で健康を享受することのできる
公正な社会の創造」を健康づくり戦略の目標としています。」


意味はなんとなくわかるが、歯切れが悪い。
さらに、「プロモーション」(促進)といっても、
だれが、何をすればよいのかが、いまひとつわからない。
文字どおりに解釈すれば、
要は「健康は自己管理」である。

これでは「プロモーション」の主体がない。
スケールが大きいから、
国が主役にならざるを得ないのだろうが、
それとても、最終的には個々の自覚が必要。

主役が不確かなコトバは、動かない。
「ヘルスプロモーション」を日本語として動かすには、
意訳をして、日本語として定着させる必要がある。
その案の1つは、
すでにこのページでも書いたが、
「健康の社会教育」である。
「ヘルスプロモーション」とは、
「健康の社会教育」であり、
その推進は、国、行政、
そして健康支援者がその推進役。

このへんの考え方については、
5月9日(土)に女子栄養大学で行なわれるセミナー、
6月6日(土)に、横浜で行なわれる
パルマローザ・ブラッシュアップセミナーで
ご披露したいと思っている。
(詳細は以下のアドレスを参照)
http://www.palmarosa.jp/circle/event/index.html

健康支援者が、
なぜ「メディア力」をつけなければならないのか、
その理由の説明ができると思う。
「メディア力」とは、
言い換えれば、非対面コミュニケーション力、
1対複数コミュニケーション力のことである。
もっとはっきりいえば、
文章力、パソコン力、講話力などなどである。
by rocky-road | 2015-04-15 23:50