波静かなビーチサイドで。

過日、出版社の人から、
食用魚の水中写真の持ち合わせはないか、
あるいは、ストックしている人を知らないか、
という問い合わせを受けた。

こういうニーズは、
食生活雑誌の編集者時代から
私自身にも何度かあって、
そのたびに残念な思いをした。
水中写真を趣味としている者が、
さかな関係の協会に
ニシンやサンマの写真を借りに行くのは
なんとも不甲斐ないものであった。

レクリエーションダイビングは、
暖かく、透明度のよい海、
海洋生物の濃密な海をフィールドにするので、
北の海や湖は、あまりうれしくない。
それではいけないと、
北海道やカナダ、カリフォルニアなどの海に
入ってみたが、
水が冷たいのと、魚が少ないので、
何回も潜りたいとは思わなかった。

ある魚類学者は、
日本の場合、北の海の魚介類の量と
南の海の魚介類の量とを
トン数で比較すれば、
そうは違わないだろう、と言っていた。

北の海は、1種の魚の量をトン数で稼ぐ、
南の海は、多種多様の質で稼ぐ、と。
サンマやシシャモ、ニシンなどは、
ものすごい大群で泳ぐ。
種類は少ないが、数が多い。
そういう大群は岸近くの
狭いエリアには入って来られない。
だから、レクリエーションダイバーの
被写体にはなりにくい。

一方、南の海の魚は、種類がいかにも多い。
それが海を輝かせる。
かつて、沖縄の海事情を
「魚類図鑑のページをばらしたような海」
と表現したことがある。



太平洋と日本海との違いも、
ややこれに似たところがある。
太平洋の魚は、動きがいかにもアクティブ。
そもそも海自体が動いている。
ベタなぎの状態でも、黒潮が近くを流れている。


日本海は、少なくとも冬以外は、
穏やかで、ダイビングに適している。
が、その穏やかさに不満を感じるダイバーもいる。
日本海で見られるタイやメバルは、
いかにもじっとしていておとなしい。
伊豆あたりにもメバルはいるが、
目の張りに勢いがあり、
日本海のものより動きがある。

どんな世界にも動と静、陰と陽の対比がある。
それはつり合いだから、
どちらがよくて、どちらがよくない、
という問題ではない。
太平洋がロックなら、
日本海はバラードという感じか。
浦島太郎に出てくる竜宮城は、
もし、この昔話が純日本製であるならば、
日本海の海底にあったことだろう。
「タイやヒラメの舞い踊り」というフレーズからは
太平洋は想定しにくい。

とはいっても、
タイやヒラメは、舞い踊りなどしない。
海藻の中にじっとしていたり、
砂地に這いつくばっていたりする。
はしたなく、舞い踊るのは、
アジやイワシ、タカベなどの回遊魚や
サンゴに群がるスズメダイなどだろう。

インサートカットもなく(わかる人にはわかる)
とつぜん、陸の話になるが、
能登と広島で定期的に文章・編集塾を
開講するようになって、
いままで見てこなかった海と
向き合うことが多くなった。

能登は内海、広島も内海。
ベタなぎのような海が眼前に広がる。
そんな海にも潜ってみたいと思うが、
南の海で感じる、せかされるような躍動感はない。
ゆっくりと人生について考えてみたい、
心身を癒されたい、
そんな境地になる海である。
こういう海の魅力を伝える水中写真の表現力は
まだ多くの水中カメラマンにはない。
穏やかな、哲学するのに向く海を
コトバで伝える表現力も、
まだ多くのダイバーにはない。
ダイビング雑誌などは、
そういう文化を育てていく責務がある。
私は、「海を語る語り口」の開発に長年携わってきたが、
ダイビング雑誌のほうの意識はいまいちで、
まだ、水中を魅力的に語る話術や文章力が
ダイバーの共有スキルにはなっていない。
ともあれ、
穏やかな海を見ている人は、
穏やかなメッセージを受け続けているうちに、
少なくとも動きの大きい海辺の人よりも
穏やか度は違うかもしれない。
静かな海を見ている人の気性に
タイやメバルを感じる(顔のことではない!!)。

「それをいうなら、
湖の湖畔に住んでいる人は穏やかかね?」
と突っ込まれるかもしれない。
そうしたら、こう反論する。
「湖が穏やかだなんて、だれが言った?
浜名湖にしろ琵琶湖にしろ、
けっこう波立っているぜ」

自然環境と人間の感性や知性との関係を
検証するエビデンスは少ないから、
現時点では仮説以前の話である。

が、文章力、編集力との関係は、
ひょっとすると、
ある種の傾向は出るかもしれない。
あと10年くらい
私が現役であるならば、の話だが。

by rocky-road | 2015-03-15 22:12