栄養士の「やさしさ」とは……。

ロッコム文章・編集塾/能登教室の第5回が終わった。
(2015年3月1日、石川県七尾市、千寿苑研修室)

プログラムは、以下のとおり。

1.宿題発表
読売新聞人生案内にあった
「妻にやせてほしい」という夫からの
相談と回答記事について考える出題。
「あなたならどう答えるか」
2.スピーチのスキルアップ。(前回の続き)
3.「戦場」としての会議。

宿題発表は全員にしていただいた。
50歳代後半の夫が、
妻の肥満と、高めの血圧を気づかって
すでに20年間、減量を促してきたが、
効果があがらなかった、
どうすればよいのか、という相談である。
予想どおり、回答の大半は
「いっしょにウォーキングをしては?」
「よく話し合って」「食事や間食を見直してみては?」
という、今後も夫主導で大同小異のサポートを
してゆくようにすすめる回答だった。

多くの回答の基調は、
「話し合って」であり、
夫の協力を前提にした提案になっていることであり、
「妻にやせてほしい」という夫の願望や心理を
洞察することなく、
常識的なウエートコントロール手法を
示すというものである。
ただ1人、「別れましょう」と
「過激」な提案から始まる人の回答には、
ユニークな視点があった。
たまたま最初の回答者だったために、
いきなりの「別れましょう」にはどよめいた。

この人の着眼は、
「妻にとってあなた(夫)は
ストレスの対象かもしれません」
「あなたは自分の価値観を妻に押しつけて
いるのではありませんか」
「あなたは方法を間違えたのです。
『妻に運動させるために健康器具を買った』
『妻に運動をさせるために(食事の)後片づけを
自分がした』と、あなたの行動は
『妻に運動させるために』が根底にあります」
という点で、本質をついている。

まさに、妻の上に君臨するために、
「やせさせる」をカードに使っている気配がある。
さらに、その不満を新聞に投稿して訴える……、
妻の肥満を大衆に売り渡すとは、
とんでもない裏切りであり、
その愛情も疑われるイヤな奴である。
人間論的に見れば、
まさしく過干渉であり、偏執的である。
妻を責めることを趣味にしているのではないか、
とさえ思える事例である。

そこまで悪人視しないまでも、
「妻は食後はテレビを見ている」そうだから、
もともとつまらない夫で、
妻としては、テレビでも見ていなければ、
間か持たない、という面もあるのだろう。
しかし、栄養士さんの回答は温かい。
「一緒に歩くようにしては?」
「本人の習慣や意識を変えていくことが必要」
「明るい朝のあいさつから始めては?」
などなど。

性善説ならぬ「夫婦円満説」に立つせいか、
どこまでも楽天的。
それがプロ意識なのだろうか。
「とても奥さん思いのご主人ですね」
「女性として奥様をうらやましく思います」
「奥様思いのご主人と、
やせたい気持ちがおありの奥さまなら
(医師などの相談を受ければ)、
減量は可能であると思います」

質問者の夫を「妻思い」「やさしい」と見ようとする、
栄養士自身の「やさしさ」または「甘さ」は、
職業的良心ともいえる。
「やさしい夫」を前提にするために、
20年間も減量支援を続けたにもかかわらず、
期待する効果が得られなかった、
という事実と意味には目を向けようとしない。
この傾向を、
私は「リアリティ不足」と指摘した。

やさしさは、
かならずしも「よい」結果を生むとは限らない。
やさしさを装うと、さらに結果は悪くなる。
やさしさを自己アピール術として使ってはいけない。

「別れましょう」と、
高らかに提案した人でさえ、
「妻に運動してもらいたいのであれば、
自分が進んで運動し、運動することを楽しんでください」と
妻へのウエートコントロール支援に
肯定的な結論に落着する。

妻をやせさせるために、
夫が自ら運動を始める、
という献身を、過去20年間、
一度も試みなかった意味をどう理解すればよいのか。
そういうアイディが浮かばなかったのだろうか。

行動療法であれば、
やせる動機の弱い妻に対しては、
「準備性」を高めることから始めるだろう。
その前提として、
夫婦へのカウンセリングから始めることだろう。
いずれにしろ、この場合、
サポーター役は夫がもっとも不適任だろう。
妻の肥満で訴えられる夫はないだろうが、
妻に減量を迫って虐待扱いされる夫は
どこかにありそうだし、
いずれ、あるかもしれない。

栄養士に性悪説を勧める気はないが、
人間考察に
もう少しリアリティがほしいと思う。
ウエートコントロールは
メルヘンチックにはいかないものである。
さて、
講義の1つは、「戦場としての会議。」
ここには充分に時間をかけられた。


日本では、
多くの場合、会議は男性主導、
上長主導で進められる。
男女参画社会を希求するのであれば、
女性、および会議に消極的な人は、
平和的、合法的戦いの場である会議を
あえて「戦場」と位置づけ、
真正面から取り組むことをすすめる講義であった。
この程度の戦いに積極的に参加できないようでは、
人生という長期戦に耐えるための
最低限の気力も体力も
養うことができないだろう。

ところで、
能登教室も5回目を数え、
質疑の多い双方向性のある授業が
進められるようになった。
講義中にも手があがり、
問いかけがある。
受講者が参加してくれるので、
立体感のある講義ができるようになった。
聞くところによると、
アメリカの学生は、
そんな受講姿勢をとるという。

1つには、「食ジム」参加者が
学びをおもしろくする進行法を
採り入れてくれているからだろう。
今後は、タイムスケジュールとして、
質疑や討論を想定したものにしていきたい。
by rocky-road | 2015-03-03 22:57