Happy Holiday

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アメリカの友人からのクリスマスメールで、
近ごろアメリカでは、
公的な場面では
「Merry Christmas」ではなく、
「Happy Holiday」を
使うことが多くなった、
という近況を教えてもらった。
多宗教の国とすれば、当然なのかもしれない。
「メリークリスマス」が気に入らないと、
訴訟を起こす人がいるという。
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昔は、
「なぜ日本人がメリークリスマスなのか」などと
つっかかる人も少なくなかったが、
世界文化のデパートみたいなわが日本国のこと、
そんなことで四の五のいうのは大人げない、
というところに落ちついたようだ。
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追っかけてハローウィンが来たし、
カジノが来そうだし、
駅ではハグシーンを見かけるし、
デパート化はなおも進む。
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その一方で、
日本のデパートメントストアは、
売り上げを落とすばかりで、
衰退か変貌への道を歩んでいる。
ユニクロや「百均」頼みも、
いっときのカンフル注射効果しか得られないだろう。

ところで、年賀状の定番フレーズ、
「明けましておめでとうございます。」は
変わることがないのか。
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遠からず「明けましておめでとうございました。」に
変わるのではないか、と妄想しているが、
その気配はない。

が、結婚式や祝賀会のあいさつで
「本日はおめでとうございました」
という人は増えている。
インタビューや座談会番組の終わりに、
「きょうは、ありがとうございました」
といってしめるアナウンサーもほとんどだ。
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雑誌編集者時代、
スタッフが書いた「ありがとうございました」
というフレーズについて、
謝意はいまに至っているのだから、
「ありがとうございます。」と書きなさい、
と指導したら、猛然と反論された。
「いまは、ありがとうございました」の時代だと。

そのとき、
いまにお正月のあいさつも、
「おめでとうございました」に変わるだろう、
と嫌味をいったが、
その時代はまだ来ない。
来なくてホッとしている。
「おめでとうございました」はコトバの劣化、
表現力の劣化だと思うからである。
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「ました」のいうときの「た」(ta)は、
舌で口蓋をはじいて出す音。
はじける音は大きく、気持ちを込めやすい。
それに過去形の「た」が重なって、
優勢な表現法となる。

しかし、先日いただいたお歳暮のお礼を
「ありがとうございました」と
過去形にするのは、
思慮深いとはいえない。
感謝の気持ちを過去形にしてはいけない。
ずっとずっと「ありがとう」なのである。
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正月の中旬以降に出会った人に、
「おめでとうございました」という人はいない。
うれしいことがあった人に、
「先日はおめでとうございました」という人は少ない。
理由は1つ、
「いまもその気持ちが続いているから」
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なのに、祝賀会などで
「イチローさん、本日はおめでとうございました」
という人は、現実のところ、
かなり多い。
現在進行中の、目の前のおめでた事に
「おめでとうございました」と
過去形の表現で祝うのである。
年齢に関係ない。
80歳を過ぎた高齢者がいうのを何度も聞いた。

そこまできたら、
「明けましておめでとうございます。」も
風前の灯ではないか。
と思いきや、
「た」の誘惑に負けることなく、
「す」の形で定着した。
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とまでいってよいかどうか、
実はまだわからない。
あいさつコトバは定着しやすいが、
「お晩です」を「お晩でした」
という人や地域はある。

すでにどこかで、
元朝に「おめでとうございました」と
いっている人や地域はあるかもしれない。
コトバは多数決で決まる。
だれかが、いいとか悪いとか、
指摘してどうなるものでもない。
が、劣化の先棒をかつぐのはやめよう、
と思うことには意味がある。
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それはライフデザインのセンスの問題。
「いわゆる」をめったに使わない、
「自分に正直に」などと、
無意味な表現をしない、
スマホをのぞき込みながら歩かない、
レバ刺は食べない……
そういうことで自分を律することは、
思っている以上に、
自分の人生の質をよくするものである。
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by rocky-road | 2014-12-22 00:59  

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