魚と出会う旅。
Q「あなたはなぜ山に登るのか」
A「そこに山があるから」
という有名な問答は、どうやら誤説のようで、
正しくは、
イギリスの登山家、
ジョージ・ハーバード・マロリーが
「あなたはなぜエベレストに登りたいのか」と問われて、
「そこにエベレストがあるから」
と答えた、いうことらしい。
マロリーは、
1924年、エベレスト登頂中に
同行者と遭難し、行方不明になった。
遺体が発見されたのは
70年以上もたった1999年だったという。
この話は、いわば枕。
私自身、50年間の「海旅(うみたび)生活」の中で、
「なぜ海に潜るの?」
「なぜ沖縄に行くの?」と
人から尋ねられたことはない。
考えてみれば、
人が楽しんでいる趣味について、
「なぜ楽しむの?」と尋ねるのは野暮だし、
失礼でもある。
たぶんマロリーに、
「なぜエベレストに登るの?」
というような質問をした人は実際にはいないのだろう。
あるとすれば、
「エベレストの魅力は?」というところだろう。
もう少し深く推測すれば、
エベレストの魅力を強調するために、
彼自身が自問自答したように思う。
私にしても、
「なぜ海が好きなの?」と聞かれたことはないけれど、
自分から海の魅力を語ったことは何度もある。
いままた、それをやろうとしている。
「聞かれもしないから」
勝手に自問自答するのである。
私の場合、
ダイビングやスノーケリングについては
「地の果てから始まるもう1つの旅」であり、
その目的の多くは「魚と出会う旅」である。
なぜ、魚と出会うのが楽しいのか。
それは異次元に住む動物が、
敵対しないで向き合うことへの関心であり、
両者間の阿吽(あうん)の呼吸で生まれる
親近感(?)と、それに伴う感動だろう。
地球上で、野生の動物に、
安全に至近距離まで寄ることができるエリアは
そう多くはない。
海は、その数少ないエリアである。
今回、10月初旬の旅でも、
たくさんの魚に出会えた。
一般に、ダイバーが入る海は「荒れる」といわれる。
海底の岩やサンゴに住みついている魚たちは、
人が来ることで強いストレスを受けているとは思えないが、
住みついている岩穴の中をのぞかれたり、
フィンで蹴られたりすると、
さすがに物理的な危険を感じる。
未熟なダイバーは、悪意はないものの、
足をバタバタさせて砂を巻き上げたり、
サンゴの枝を蹴飛ばして折ったりする。
こうしたテリトリー破壊が
魚たちを遠ざける原因の1つである。
が、沖縄のいくつかのビーチでは、
魚のほうが人間に近づいてくる例もあって、
むしろ近年、
魚と人間との距離が近づいているように思える。
「魚と出会う旅」を愛好する者にとって、
うれしい時代変遷である。
一説に、海水浴客が
故意か偶然かによって
魚の餌となるものを海に持ち込むことで、
魚たちは、人間との接触に
メリットを感じるようになったらしい。
ビーチでは、給餌を禁じているが、
魚たちは、万が一の可能性を信じるようになった。
少なくとも、
レクリエーションで海に入る人間は
自分たちの敵ではないことを
世代を超えて学習したように見える。
モルディブなどで体験することだが、
ギンガメアジの群れは、
しばしば人間のいるほうに近づいてきて、
近くで得意の渦巻き泳ぎをする。
彼らには、
人間の与える餌を捕食する習性はない。
私の解釈では、
人間の近くにいるほうが、
捕食魚から狙われるリスクが軽減できる。
それ以外には、彼らが人間に近づく理由が見いだせない。
人間と魚は、
餌を介してのみコミュニケーションが行なえる、
……そう単純な話ではない。
この話はこれくらいにして、
今回の旅では(でも)、
ネコやイヌに出会った。
「なぜ、ネコやイヌを撮るのか」
そう自問しても、しかるべき答えが見つからない。
「魚に専念しろよ」と自分の声がする。
なるほど、マロリーが出てくる。
「そこにネコやイヌがいるから」
そして思う。
「なぜその仕事を続けるのか」
「なぜその料理が好きなのか」
「なぜブログを書くのか」
そんな問いかけは、だれもしてくれないから、
自分に問いかけるしかないし、
そのことには意味はある。
それはつまり、
生きることを実感する手続きだからである。
特異な行動というよりも、
日常的な、当たり前の行動の理由を
自分にしばしば問いかけることは、
人生の意味を考える機会となり、
結果として楽しみを増強することになる。
by rocky-road | 2014-10-26 22:39