ダイビングにおける女性の適性度。

ことしは、わが「海、旅たび」が
50年目に当たる。
湘南の海から始まって、沖縄、伊豆七島、
モルディブ、フィジー、
バンクーバー島(カナダ)、
ハワイなどと続いている。

この8月11~13日には
千葉県の館山、坂田(ばんだ)の海で潜ってきた。
千葉の海は、得手のフィールドとはいえない。
ワイドの写真を好む者にとって、
千葉の海は視界が狭い。水温が低め。




20年くらい前から、
冷たい海には潜らないと決めたので、
5ミリのウエットスーツは捨てた。
夏用の3ミリスーツも、
今は劣化で薄くなっている。
現地ガイドの配慮で、上から厚めのベストを着た。

気合不足のときはトラブルはあるもので、
数十年使ってきた水中カメラに水が入った。
「水没」という。

上の写真は、
わがダイビングライフを支えてくれた
愛機、最後の姿(ニコノス)。
水中写真コンテストで、
グランプリを受賞したときの
賞品の一部である。

昔、ダイビング雑誌に、
「ニコノス、うっかりミス事典」
という記事を書いたことがある。
「水中カメラには水は入るべきである、
いや、入らねばいけない」と念じて
パッキングすることが大事、などと書いた。
それくらい、警戒せよ、という意味である。
そう書いた本人が、カメラを水没させた。

「焼きが回った」とは、このことである。
ちなみに、「焼きが回る」とは、
刃物の刃を焼くとき、火が回り過ぎると、
かえって刃の切れ味が悪くなるという。
転じて、年をとったりして
能力が落ちることをいう。

いや、そうではなくて、
「上手の手から水が漏れる」ということにしよう。

半世紀のダイビング歴から見て、
様変わりした海の世界について
いくつかを記しておこう。

1.カメラの進歩。
昔は、もちろんフィルムだった。
1回のダイビングで撮れる枚数は36カット。
ストロボはなく、フラッシュだった。
1回ごとにフラッシュバルブ(電球)を
交換する。
シャッターチャンスでも、
使用済みの電球を外し、差し替えた。
廃物電球を海に捨てるわけにはいかず、
それを袋に入れたり、ケースに戻したりした。
いまは一眼レフからコンパクトカメラまで、
なんでもある。
デジタルだから、何枚でも撮れる。

2.ダイビングスタイルの変化。
昔は、ダイビングをするためには
クラブに入る必要があった。

そこでしか技術を学べなかったから。
いまは、ダイビングサービス(ガイド)が
普及し、おもなエリアには
ダイビングサービスがあり、
そこでサービスを受けることができる。
こういうシステムの徹底ぶりは、
海外のほうが発達している。
文字どおり手ぶらで行っても、
その場でダイビングできる。

カメラの進歩と関係が深いが、
1人参加のダイバーの比率がふえた。
数センチにまで寄れる
レンズ(マクロ)をつければ、
メダカほどの小さな生物の表情が撮れる。
こういう写真を撮るには、
1人のほうがよく、むしろ仲間は邪魔になる。
水中写真の流派を「ビジュアル派」と
「生態派」(マクロ派)とに分ければ、
「生態派」が増えた。

別名「オタク派」かも。
陸にあがっても、
出会ったダイバーと
コトバを交わすことを好まず、
スマホと向き合っていたり、
撮った写真をチェックしていたり。
珍しい生物、きれいな写真を撮ったとき、
つい周囲の人に披露したくなるが、
そう思うのは、
写真をコミュニケーションメディア
と位置づける少数派(私のような)か。

彼らには、
自分の写真を知らない人に見せるなど、
考えられないくらい
無意味な行動なのだろう。
3.ダイビングサービスと
ガイドのレベルアップ。

かつて、
ダビングリゾートの先進国である
アメリカの例を見ては、
日本との違いを嘆いていた。


日本では、
漁業者が副業として始める
民宿がほとんどだった。
シャワーも更衣室もなく、
海からあがってきたダイバーは、
民宿の裏庭あたりで、
洗濯場のホースかひしゃくを使って
頭から水をかぶったりしていた。

濡れたからだで、爪先立ちで風呂場へ。
民宿のおばさんからは
「よく拭いてから家に入って!!!」と、
怒鳴りつけられたりしたものである。
それがいまでは、
ウエットスーツのまま温水のシャワーを
浴びることができるようになっている。

それに加えて、
ダイビングガイドのホスピタリティが
飛躍的に向上した。
これは日本の現状とまではいえず、
特異な事例の1つなのかもしれない。
旧知の山崎由紀子さんは、
東京新宿で「マナティーズ」という
ダイビングショップを開いている。

ダイビングの講習、ダイビングツアー、
クラブ運営、各種イベント
(講演会、写真展、講習会)などを
多角的に行なっている。

ダイビング中のサポートは
基本中の基本としても、
水中でも周囲の状況、
同行者たちへの問いかけ、
状況説明(水中のボードを使って筆記)など、
かゆいところに手が届くほどのサービス。

「参ったな」と思ったのは、
ダイビング終了後、
見た海洋生物をログブックに記録するとき、
参加ダイバーに、その生物の写真シールを
提供していたこと。

この海で見られる生物の写真を撮って、
それを切手大のシールにして、
数十枚ずつキープしているのである。
その準備性のよさに感心する。

このほか、往復バスの手配、
宿泊宿の手配、
昼食時のランチの注文など、
あれもこれもと面倒を見てくれる。
ダイビングには安全確保と指導が伴うので、
ガイドやインストラクターは、
とかく指導色を強く出すが、
そこは女性の優しさで、
まさにホスピタリティ充分の
サポートをしてくれた。

健康支援者や栄養士は
女性にぴったりの職業だと思っていたが、
ダイビングサービスも、
女性に向いているかもしれないと思った。
タンクの上げ下げなど、
力仕事が多く、腰痛は、
この仕事の職業病になっているが、
「山ちゃん」(山崎さん)は、
軽々とこなしていた。

今回、1人が潮に流されるという
アクシデントがあったが、
強風と強潮流、荒波の中でも
パニックを起こすことなく、
沈着に対応していた。

こればかりは、女性の特性とはいえず、
彼女の特異な適応力というものだろう。

4.栄養士ダイバーの増加。

女子栄養大学出版部に在籍していたので、
栄養士のダイバーと出会う機会が
なくはなかったが、
近年、少なくとも私のまわりには、
あたりまえのように
栄養士ダイバーがふえた。


ちなみに、看護師や医師のダイバーは、
そう珍しいものではなかった。
ビーチで事故が起こると、
なぜか近くに看護師や医師のダイバーがいて、
救命活動をしている場面に何度か出会った。

今回も、1人の栄養士が
体験ダイビングをした。
女性インストラクターが、
女性のサポートをする、
なんとも和やかなシーンである。




遠からず、
栄養士のダイビングインストラクターが
出現するかもしれない。
いや、もう何人か、存在するに違いない。


カウンセリングマインドを持った、
サポート型インストラクター。
もちろん、「指導色」は少なく、
海になじむことで心身の健康度をあげる。
肥満ダイバー(なぜか多い)への対応にも
不備はないだろう。
いつか、
どこで出会うことになるのだろう。

さて、9月14日の
ロッコム文章・編集塾/能登教室では、
終了後、地元の栄養士さんたちと
能登の海に入ることになっている。


「海、旅たび」50年目の軌跡(奇跡?)は、
これからもしばらくは続く。

by rocky-road | 2014-08-20 18:20