旅は、健康を道連れにする。
7月21日(月・祝日)の「食ジム」
(食コーチング ディスカッションジム)
のテーマは「健康を『カタチ』にする旅行術」
(横浜開港記念会館 進行/大橋禄郎)
話し合いのプログラムは、以下のとおり。
1.修学旅行、お泊りの旅など、
若き日の楽しい思い出--いつ、どこで?
2.最初の海外旅行、最初のカルチャーショック
3.私の旅行をカテゴライズすると--自発的な旅行、
家族旅行、出張、墓参など。
4.私の旅行の必携品、リストアップ
5.私の「旅行バッグ」論
6.私の旅行着--TPO
7.いま、行ってみたい旅行先
8.私の旅行術--スリーポイント
9.で、けっきょく、
旅行ってなんだろう。
10.聞いてみたい旅行の知識、豆知識
「若き日の楽しい旅の思い出」では、
マイカーでの家族旅行、
高校・大学時代の修学旅行、卒業旅行、
夏休みに親戚で数日を過ごす旅行などの
思い出を語る人が、
同じくらいの割合でいた。
宿泊日数が3日間以上、
1か月以上などという体験談、
新幹線や飛行機の利用が普通、
などの体験談からは、
日本の旅行環境がよくなっていった
時代背景が思われた。
また、とおり一遍の修学旅行から、
座禅や写経を体験したり、
旅行のプランニングを
自分たちがしたりする旅行の体験談からは、
「旅行教育」の進化を感じた。
話し合いが進んだところで、
「旅」と「旅行」を区別している、
という発言があった。
いわく、
「旅」とは、私的な小さな旅、つまり1人旅。
「旅行」とは、複数の人と行く、
計画性、公共性の比較的高いものをいう、と。
自分なりの定義することは意味がある。
永 六輔氏は
「知らない横丁を曲がってみよう、それが旅です」
といった。
『広辞苑』は、こう定義する。
「徒歩または交通機関によって、
おもに観光・慰安などの目的で、
他の地方に行くこと。たび」とある。
これに対して「旅」の項では、
「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと。
旅行。古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず、
住居を離れることをすべて『たび』と言った」
としている。
食ジムでは、
「出張も旅だろうか」という議論もあった。
昔、「男性は旅をしない」と評論する人がいた。
「仕事で出張する」「ゴルフに行く」
「釣りに行く」ことはあっても、旅行はしない、と。
けっきょくそれは意識の問題。
人がA地点からB地点まで移動しただけでは、
旅であるか、目的のための行き帰りであるか、
客観的に判断できない。
軍隊の移動は、まさか「旅」とはいわない、
と思いきや、「第3旅団」などという用語もある。
『広辞苑』の「旅」の定義では、
「住居を離れること」は旅となる。
この定義に従えば、
「横丁を曲がってみよう、
それが旅です」も、ありとなる。
さあ、どちらを取るか。
食ジム参加者の1人は、「自分にとっての旅は、
こうして横浜に来て研修を受けたり、
こうして話し合いに参加して学ぶこと」だという。
息子や娘のために、その居住地に訪ねるのは、
いろいろの世話をするためであって、
それは「旅」でも「旅行」でもないという。
この議論の最中に、昔を思い出した。
40数年前、
ダイビングを「マリンスポーツ」と
区分されるのを嫌って、
「ダイビングやスノーケリングは、
地の果てから始めるもう1つの旅」
という主張を、ダイビング雑誌で続けた。
ダイビングを主導した人たちも、
それを認めて、
いまは、旅の一分野としてのコンセンサスを得ている。
『海と島の旅』という雑誌を提案し、
そういう雑誌を誕生させた。
そこで現代に戻って、
なぜ、旅について「健康を『カタチ』にする」
といえるのか。
今日では、病気療養中の人にも
旅行をする手段もチャンスも増えた。
が、やはり行きたいところへ行くというのは、
いろいろの意味での自由度が必要となる。
時間、費用、旅行スキル、
そして、旅行へのモチベーション、
さらには気力、体力。
私は、健康の6大要素を提案している。
すなわち、栄養、運動、休養。
それに3つを加える。
ストレスコントロール、よい人間関係、
そして生きがい。
旅行は、うしろ3つの、
ストレスコントロールやよい人間関係、
生きがいとかかわってくる。
一人旅はもちろんありだが、
やはりケンカなどしないよい道連れがほしい。
そして、旅への準備。
半年先、1年先の旅行を企画し、
予約をし、セッティングする。
未来は年少者にだけあるのではない。
あしたの予定を持っている人に、
あまねく未来がある。
未来とは、頭脳の中に、
「情報」として存在する。
それが生きがいとなって、
つまりモチベーションとなって、
人を未来へと引っ張ってゆく。
その未来情報は、
個人のストレスを、もちろん緩和する。
旅は、したがって健康行動そのものである。
厳密にいうと、
旅によって健康をカタチにするのではなく、
旅行そのものが、健康のカタチなのである。
病気を持っていても、
旅行をしているときは健康なのである。
スケジュールを練り、
旅行先や仲間と連絡をとり、
着るもののプランニングをし、
バッグを決め、
体調管理をし、
道中、いろいろの人と会話をし、
味との出会いをし、
見聞をログブックに記録する……。
こうした一連の行動が、
健康のカタチでなくてなんだろう。
次の旅を考えている人は、
少なくとも、それだけの未来はあり、
その分だけ、健康度の高い人である。
by rocky-road | 2014-07-23 00:43