情報環境とは、どういうものか。

6月1日(日)に行なう
パルマローザ主催のブラッシュアップセミナーの
テキスト作りに追われている。
(横浜技能文化会館 特別会議室
10:30~17:30)

演題は
「栄養士・健康支援者が、
さらに魅力的な情報発信者になるために。」
よく耳にするセリフに、
「将来、情報発信をする人になりたい」
「ことしは情報発信をしていきたい」というのがある。

「情報発信」の内容がわからないので、
どういうアクションを起こそうとしているのか、
想像はしにくい。

意味を確かめるために、
いくつかの問いかけをしたいとは思うが、
ともすれば「問い詰める」ように感じられるので、
「ああ、それはいいね」と、
受け流すことが多い。

私の「情報発信」の定義は、
「脳内で一定の感情や意見、思想をプログラムし、
それを『顕在化』すること」
だから、
独り言をいうのも、文章を音読するのも、
お風呂の中で歌を歌うのも、詩を朗読するのも、
メモをとるのも、日記を書くのも
情報発信である。
もちろん、手紙やスピーチ、
講演、講義、健康相談なども
情報発信である。
多くの人が口にするのは、これだろう。
が、自分自身への情報発信ということも
数に入れておくべきである。
そして、これが他者への情報発信のときの
格になる。

もちろん、パソコンやケータイに
なにかを書き込むのも
立派な情報発信である。
が、電車の中で、
大半の人がケータイとにらめっこをしていたり、
歩道や駅の雑踏の中に立ち止まって、
ケータイの相手に大声でしゃべったり、
無心に画面に見入っていたりするのを見ると、
彼らがひどくおバカに見えるのはなぜなのか。

作家の柳田邦男氏は、
2005年に『壊れる日本人』
(ケータイ・ネット依存症への告別)
という本を著わした。(新潮社)

その趣意は、
「『異常』に気づかない日本人へ--
ケータイ・ネットが生み出す『負の遺産』とは?
豊かな心と言葉を失う前に今、
見直すべきこと」である。

ベビーカーを押しながら、
子どもと食事をしながら、
自転車に乗りながら
ケータイをのぞき込む依存症。
パソコンと何時間も向き合いながら、
飽きや疲れを感じない依存症は、
酒やタバコへの依存症以上に、
社会や次世代への影響が大きい。
負の遺産が次世代に残されるから。

おバカに見えるのは、
自分の依存症症状に気づかない者の、
ノー天気ぶり、
ほかにやることがないらしい
脳の不活性化ぶりが顕著だからだろう。

そういう話になるのだが、
しかし私は、それでも楽観的で、
人間という種は、依存症によるリスクに気づくと、
どこかでブレーキをかけ、
Uターンを始める。
自動車の普及で運動をしなくなると、
スポーツ施設が普及し、穴を埋めてきたように。

タバコが周囲の人にも有害とわかると、
「嫌煙権」などというコトバを作って
当事者にプレッシャーをかける。
使う予定のない原子爆弾や水素爆弾を
作り過ぎると、削減し合ったりする。

パソコンやケータイ依存症のうち、
「受信専門型」は回復しにくいところがあるが、
「情報発信型」に関しては、
なんだかんだいっても、
発信内容が質的にアップしてゆくはずである。
つまらない情報しか発信しない者からは、
受け手のほうが逃げ出すはずだから……。

見落としてはいけないのは、
文字と接する層の対人口比率は、
昔からそんなに高いものではなかった。
日本は識字率の高い国のグループに入るが、
それでも教育期間が終われば、
そのほとんどが自発的に文章を書くことはなかった。

そういう階層が、
指1本で情報発信ができる文明に接したとき、
「狂ったように」熱中するのはやむを得ない。
「ネコにマタタビ、泣く子にお乳」
という生理的な反応と、
「色、酒、タバコ、ギャンブル、買い物」
といった社会的依存とが
同時にやってきたようなものである。

「ケータイ・ネット依存症」は、
明らかな文明病だから、
当分は地球上に広がってゆく。

それによってダメになる人間が
10億や20億は出るかもしれないが、
そのころには、
自分をコントロールできる生物的・人間的適応力者が、
そのリスクに気づいて、Uターンを始める。
それには20年や50年はかかるだろう。

何億人もの犠牲を予測するとは、
「楽観主義者」にしては冷たい、といわれるだろうが、
生物には個体差というものがある。
淘汰の過程で、自滅する種や個体はゴマンとある。
社会で救えるものと、そうでないものとがある。
自然界のリズムまでは、
愛や公衆衛生学、福祉をもってしても変えられない。

さて、「情報発信」だが、
魅力的な情報発信者になるために
100冊の書物を読んだとしても、
それだけで目的が達せられるものではない。
野球でいえば、捕球の練習だけをしても、
肩は強くならない。
野球の基本プレーは、少なくても
投げて、受けて、打って、走っての四拍子。
さらには、
試合の流れ、その場、その場の状況などを
読み解く判断力。
プロにも、「野球を知っている選手」と
「野球を知らない選手」とがいる。
魅力的な情報発信者になるには、
人の話をよく聞く能力、問いかける能力、
新聞や雑誌、テレビやラジオに接する時間、
新刊書店、古書店、リサイクルショップ、フリマ、
骨董市などを歩く脚力、
それらの習慣を持つ人と過ごす時間、
自分の見聞を人に伝える場などを
持つことだろう。


骨董といえば、先日、
東京有楽町で、たまたま出会った骨董市で、
『鎌倉時代から明治まで 日本の自筆本』
という1冊を見つけた。(昭和56年刊)

徳川家康自筆の念仏、
本阿弥光悦の「和漢朗詠集」の書写自筆など、
150点の毛筆文書を写真に撮ったものである。

自分の「毛筆ごときもの」の参考にするつもり。
各文書(念仏、書写、詩歌、日記、書簡など)には
値段がついている。
ヘンだな、と思って見直すと、
これは古文書を扱うコレクターや
業者向けのカタログらしい。

家康の念仏は3百万円、
源道具(みなもとのみちとも)の和歌懐紙が
3百50万円。
コピーとはいえ、500円の買い物で、
一夜にして数億円の資産家になった。
(ここだけの話。内密に)

これは情報発信のための糧というよりも、
自分の脳への栄養補給。
ちなみに、6月1日のセミナーで
とりあげる項目は、
「魅力的な情報発信者であるための基本的条件」
「魅力的な自己紹介をするための5つのポイント」以下、
「メール発信」「ハガキ・手紙」「スピーチ」
「講話」「料理教室講師」「講演」「講義」
「依頼原稿」「投稿原稿」「論文」「アンケート作成」
「イベント企画」「健康・食事相談」の14項目である。

by rocky-road | 2014-05-29 17:46

