鉄道会社が訛る地名あれこれ。
神保町(東京、神田)の古書店で
『地名語源辞典』というのを見つけた。
(山中襄太著 板倉書房
昭和44年4月30日、第二版発行)
私には掘り出し物、よくこれに巡り合えたと
表紙を何回も撫でながら思う1冊である。
無人島に流されるとして、
そのとき「1冊だけ本を持ってゆくことが
許されるとしたら、どんな本を持ってゆくか」
というコトバ遊びがあるが、
そんな問いに対する候補の1冊となる本である。
ストーリー性のある内容だと、
何回か読めば頭に入ってしまうため、
遠からず、読んで楽しい本ではなくなる。
が、辞書は、一気に読んでも頭に入らないから、
何年、何十年もかかって読むことになる。
そういう点で、辞書は「孤島向きの1冊」といえる。
この地名辞典で、
最初に検索したのは自分が住む地域「赤羽」である。
こんな記述になっている。
「東京都の国鉄の駅のある赤羽のほかに、
同じ地名は栃木、福島、宮城、岩手、新潟、
千葉、神奈川、愛知などにもあり、
『赤埴』と書いてアカバネと読むのが奈良に、
アカバニと読むのが栃木に、
アカハニと読むのが福島にある。
赤埴とは『赤い粘土』、
埴とは埴輪のハニで粘土のこと。
赤羽の『羽』は『埴』の当て字で
赤い粘土の意。赤い羽根ではない。
羽根、羽根沢、羽田(ハネダ)、
羽川、羽生(ハニュウ ハフネ)などの地名も
埴(ハニ)、埴沢、埴田、埴川、埴生と
書くのが本当で、
いずれも粘土に関係した地名である」
(中略)
「山本直文氏はアイヌ語akka-pane
(流れの川下)だという」
1人の学者が書いた文章を辞書にするとき、
共同執筆者による場合と違って、
文体の統一という作業は無用になる。
そのせいか、充分に人間味を感じる文体である。
そういう個性の残る文章によって、
自分の住む地域が「粘土だ」「赤土だ」と論述されると、
きわめて愉快な気分とはいえないが、
ルーツを知ること、事実を知ることの楽しさは、
そうした情緒的反応を上回る。
ついでに、
ロッコム文章・編集塾/能登教室の開塾にちなんで、
「能登」という地名のルーツを検索してみた。
「石川県のもと能登の国、能登半島。
アイヌ語でnot(アゴ、ミサキ)が
地名となって残ったものだという。
満州語でもミサキのことをノトいうことが
『遼金元三史語解』に出ているという。
バチェラーの日本地名研究によれば、
能登とはアイヌ語not(アゴを)o(持つ)だという。
その東端、珠洲岬はマレー語suzu(端)だ
との説があるが、どちらもたしかでない」
こうやって、知人・友人の住む地名を検索していると、
ホンキで孤島に流されたくなるものである。
地名に関して、最近、気になることがある。
先日、後楽園、東京ドームのある最寄りのJR駅、
「水道橋駅」のホームを歩いていたら、
構内放送で「スイドウバシ」(中高アクセント
「水道局」のときの発音)と言っていた。
地元の人は昔から「平板アクセント」である
(「スケソウダラ」と同じ発音)。
これとは逆に、
「田端駅」のことを同駅のホームの放送では、
平板アクセントで「タバタ」という
(「マワタ」真綿の発音)。
これは地元では「タバタ」(頭高アクセント
「タブン」多分の発音)。
車内放送も「次はタバタです」と
頭高に発音している。
だいぶ昔になるが、
東京都の路線バスの停留所「駒込吉祥寺」を
車内案内で「コマゴメ キッショウジ」
と言っているのに驚いた。
「吉祥」には古来、「吉祥模様 キッショウモヨウ」や
「吉祥天 キッショウテン」の読み方があるが、
駒込吉祥寺の場合は「キチジョウジ」である。
ついでにいえば、東京都武蔵野市にある「吉祥寺」は、
江戸時代、駒込の吉祥寺が大火で焼けたため、
寺が、そこへ移転したことによる、とされる。
「キッショウジ」については、都の交通局に電話をして
おかしいことを伝えたら、
「次回の録音時に改める」との回答。
事実、その後、「キチジョウジ」に改められた。
地名は、原則として「現地音」に従うのがルール。
私が生まれた「文京区指ケ谷町」および
わが母校「指ケ谷小学校」は「サスガヤ」と呼ぶ。
よそ者に「サシガヤ」と言う人がいるが、正しくない。
いまは、このあたりを「白山」と呼ぶ。
この場合のアクセントは「たくさん 沢山」と同じ平板読み。
石川県と岐阜県の境にある「白山 ハクサン」
(頭高。「トウサン」父さん)とは発音が異なる。
が、石川や岐阜の人がどう呼んでいるか、不案内である。
その地に住む人への敬意として、
そこの人たちが呼んでいる地名に従うべきである。
銀座にある「松屋デパート」は「マツヤ」(平板)であり、
牛丼やカレーライスの「松屋」は「マツヤ」(中高)である。
東京の「日本橋」は「ニホンバシ」、
大阪の「日本橋」は「ニッポンバシ」
地元音アクセントに倣うことは、
地元の人に敬意を示すとともに、
そこの人たちと親しくなるための基本中の基本。
ところが、これに組織的に逆行する者もいる。
JR駅のうち、地元音を無視した悪名高き駅名は、
東北本線などの鈍行が最初に止まる「尾久駅」である。
JRでは「オク」(奥と同じ発音)としている。
が、地元の人は昔から「オグ」(平板、「物を置く」と同じ発音)
と言っており、バスの駅名も「オグ」であり、
「尾久橋」など、ほとんどが「オグ」である。
国鉄時代、責任者が、現地音を訛りと解釈し、
「オク」を正解とした、という説がある。
地元の人は異議を唱えただろうが、
全国の駅の表示を変える必要があり、
一度決めると変更はできないのだろう。
鉄道会社の首脳部に、言語学者はもちろん、
言語感覚にすぐれた者がいる可能性は少ないので
(ここまで紹介したとおり!!)、
気がついた人が指摘するのが親切というものである。
頭高か平板か、中高かという程度のことなら、
現場の判断で正しいものに変えることができるはず。
「水道橋駅」や「田端駅」には
遠からず指摘するつもりでいる。
改めさせる自信はある。
by rocky-road | 2014-03-29 23:13