社会環境を汚染するコトバ。

b0141773_1821086.jpg

NHKテレビのクイズ番組に
「バカリズム」という人が
レギュラー出演しているのに驚いた。

クイズへの適応性もよく、
なかなか頭のキレそうなタレントなのだが、
自身のネーミング力という点では、
自称するように、少しはおバカなのかもしれない。
b0141773_17244667.jpg

いまはどうか知らないが、
昔は家の中で「バカ」というと叱られた。
兄弟ゲンカで取っ組み合いになっても、
「バカ」とは言えなかった。
言うと親に殴られるからである。

上流家庭だったわけではない。
中流よりも少し下かな、
という程度の家庭でも、そうだった。
b0141773_1724575.jpg

表(おもて)や学校でケンカをするとき
「バ~カ」
「お前がバカだろォ」などと
「バカ」だけを繰り返している子は、
軟弱だったり、弱虫だったりして、
どちらにしても仲間内の順位は低い子に多かった。
b0141773_1873443.jpg

時代は変わった。
歌詞の中の「真っ赤なポルシェ」を
禁句にしたNHKも、「バカ」は容認し、
「ポルノ」や「コブクロ」も
音楽番組の中では上座のほうに据えている。
b0141773_17251791.jpg

固有名詞だから、
その部分だけ「ピピピ」と
別の音をかぶせるわけにはいかない。

冬季オリンピック放送のテーマ曲まで歌わせたのだから、
十二分に社会的に認知されたことになる。
つまり、「ポルノグラフティ」は
社会環境の一部になった。
b0141773_17253210.jpg

辞書で「ポルノグラフティ」を検索すると
「(もともとギリシャ語で娼婦の意)
(フランス語で)性的興味をそそるような描写を
主とした文学・写真・映画の類」とある。

ついでに「こぶくろ」(子袋)は、
「子の宿る器官。子宮。こつぼ」とある。
b0141773_17261086.jpg

日本の音楽番組では、
このように低劣なネーミングが
なんの抵抗も受けずに茶の間に入ってくるのが現状である。
b0141773_17263939.jpg

それにしても、男性ミュージシャンの
著しい言語センスの低さにはあきれる。

昔、自分の子に「悪魔」とネーミングし、
役所に届けようとした親がいたが、
受理されなかった。
子が大きくなったときのことを考えると
不適当というのが理由だった。
b0141773_17265033.jpg

「悪魔」に反対した人たちの心の底には、
そういう節度のない、ふざけたネーミングによって
社会の空気が濁るのを防ぎたい、
というメンタリティもあっただろうと想像できる。

各々のネーミングに、
どういう事情や動機があるかは問題ではない。
何か、もっともな理由があるとしても、
社会の空気を汚染する、それが問題となる。
そういう風潮を、
問題にしないことが問題、という図式になる。
b0141773_17272152.jpg

「表現の自由」だの「ネーミングの自由」だのというが、
公害の原因になる以上、
笑ってすますわけにはいかない。

最近は、むやみに「殺すぞ」「死ね」などというと
警察沙汰になる。
昔、子どもがチャンバラや戦争ごっこ、
プロレスごっこに興ずるときには
「ぶっ殺してやる」「死ね」「地獄に送ってやる」
などと叫び続けたものである。
b0141773_17275665.jpg

そんな場面にも、親や警察は介入してこなかった。
が、いまは多様なメディアが普及し、
情報環境が、町内会よりももっと狭くなった。
そんな狭い環境の中で、
いい大人が、恥ずかしげもなく、
不適切ネーミングや不適切発言をするようになった。
仲間内の発言も、つぶやきも、
即、社会環境になってしまう。

平均寿命が延びるということは、
大人および社会を若年化、幼児化する側面を持つ。
人生のタイムスケジュールがゆったりしてくると、
大人になること、老成することを急がなくなる。
肉体的にも精神的にも、若い時代が続く。
そういう環境の中では、
精神的に大人になれない者の比率も高くなる。
b0141773_17281886.jpg

普通、二十歳にでもなれば、
自分のことを「バカリズムだ」「ポルノだ」「コブクロだ」
などと、卑下して、かつ、それを社会に発信するなどは、
恥ずかしくてできない。
b0141773_18112910.jpg

ちょっと考えればわかるが、
彼らが60歳、70歳になって、
孫の仲間たちに
「私がポルノです」「僕たち、コブクロ」
「何を隠そう、私がバカリズム」と
いえるのだろうか。
そういう状況が想像できないというのは、
また精神年齢は、いいとこ13歳未満。
b0141773_17283434.jpg

とはいえ、現実には、それが普通の社会環境になった。
終戦後、子どもたちは、英語を真似て
「ワタシハ ニュッポンジンディエスヨ」などと、
ふざけたものである。

が、それが若いポップス系のミュージシャンに移って、
「クワゼニ サマヨウ クォノハノヨウニ♪」
などという発音法が継承された。
その若者も、すでに60歳を過ぎている。
が、いまも、あの発音で歌う。
耳にするたびに、「戦後は終わっていない」と実感する。
小学生が中高年になった。
が、いまさら自分の声では歌えない。
カタコト日本語がブランドになったから。
b0141773_17285693.jpg

作曲家の小林亜星氏は、
ジャズと英語とは相性がバツグンによい、といった。
ドイツ語のジャズも、フランスのジャズも、
確かにしっくりこない。
日本語も、もちろんダメ。
だから、あの発音にならざるをえない。
研究に値する言語現象である。
「シンガーソングライターにおける巻き舌発音の法則性」

話を戻して、
品格のないコトバが、なぜ社会環境を悪くするのか、
分析しておこう。
b0141773_1810525.jpg

話は簡単で、
①リズムやテンポ、メロディに支えられたコトバは、
 その意味への関心を弱め、
 多くの人に受け入れられやすい。
 それを演ずる者への抵抗性も弱める。

②センスの悪いコトバが繰り返されていると、
 それへの抵抗性を弱めるだけでなく、
 それを自分から使うようになったりする。
 「見れる」「寝れる」「食べれる」のごとく。
 差別語などは、それを押さえることで、
 社会の汚染度は抑制されている。
 やはり「悪貨は良貨を駆逐する」
b0141773_17291763.jpg

最後に、ここでもしばしば指摘している
汚染度の高めのコトバをあげておこう。
b0141773_1891636.jpg

「いわゆる」の連発や、誤用。
この場合の汚染性は、
一言でいえば、「知的ぶりっこ」による偽善性。
「いわゆる」といってから、
「……なんていったらいいのか」などとつなげる大人は、
食品の偽装表示に近い「まともな人偽装」である。
b0141773_1885969.jpg

「安全・安心」
安全と安心とは次元の違うコトバ。
これを連発することで、
安全に対する社会の注意力を弛緩または麻痺させる。
b0141773_1831052.jpg

by rocky-road | 2014-03-12 17:29  

<< ロッコム文章・編集塾、能登教室開講。 ウサギの生存をどう支えるか。 >>