「人間学」をどこで、どう使うか。

2月5日、NHKテレビの『クローズアップ現代』で
患者や寝たきりの人へのケアスキルである
「ユマニチュード」のポイントを紹介していた。
ひとことでいえば、
ベッド上にある人を人間として扱う、
その基本理念とスキルである。

この方法でアプローチすることで、
認知症が出始めている高齢者の人間性が回復する
という例が解説や映像で紹介されていた。
90歳を越えた人が
取材スタッフにVサインをする映像まであった。

よくいわれることだが、
怪我や病気で入院した人は、
寝かされっぱなしの生活をすることで、
人間機能が後退し、認知症が早く発症する。
双方向のコミュニケーション環境が狭く、
というより、ほとんどなくなることが主因である。
「ユマニチュード」の考案者がフランス人と聞いて、
またまた日本人のコミュニケーション力の弱点を
鼻先で示された感じだった。

日本を代表する自動車メーカーの経営危機を
救ってくれたのもフランス人だった。
この場合も、
社内のコミュニケーション環境をよくしたことが、
経営状態改善の大きなポイントであった。
日本人のコミュニケーション力の特徴とはなにか。
それは、
恩師、芳賀 綏先生が指摘する「凹文化」圏の
人間に特有のコミュニケーション力だろう。
(『日本人らしさの発見』大修館書店
過日、このブログでも触れた)

先生によると、日本人は、自然・植物性・静的・内向・
受容・流動(無原理)民族ということになる。
そして、やさしく、温和で、正直で、律儀で、
生真面目な日本人とくれば、
介護の仕事などにぴったりではないか、と思いたくなる。
ところがところが、ここでもフランス人の教えを受けないと
あと1歩が出なかったことが証明された。

「ユマニチュード」の原則は、
見つめること、触れること、話しかけること、
自分で立つことを支援する……などだという。
早い話が、コトバと支援行動の合わせ技を
提唱しているように思う。
凹文化圏の日本人は、「沈黙は金」の世界だから、
黙々と介護の仕事に専念するのが性に合っている。

立食パーティは、いろいろの人と交流するための仕組みだが、
日本人の場合、飲食に時間と労力をかける。
口を飲食物でふさぎ、
知らない人と話をしなくてもよい状態をつくる。
日本の立食パーティがごちそうずくめなのは、
「沈黙は金」を正当化するためだろう。

が、フランス人は、
「沈黙は金」式の介護ではダメだという。
手を上げてほしいときは、
「腕を拭きますから、左手をあげてください」と、
はっきり言うことだという。

こうしたサポート姿勢は、
すでに「食コーチング」に採り入れられている。
自発性の刺激であり、肯定的指摘である。
それらは、フランスの教えではない。
ヘルスコミュニケーション論を展開したことによる
当然の帰結である。
健康支援は「話芸」である、と私は言い続けている。

健康や幸福、生きがいは、
コトバでしか説明できない。
時と場合に応じて、
印象的にそれらのイメージを伝えられてこその
健康支援であろ。

コミュニケーション環境ということで、
もう1つの話題を。

「おれおれ詐欺」の被害が減るどころか、
増えるばかりだが、
これも高齢者のコミュニケーション環境から生まれる
犯罪、と見ていいだろう。

人間にとって、頼まれること、泣きつかれることが、
どれほど本人の自尊心を刺激し、
モチベーションを高めるものであるかを
如実に示す犯罪の流行である。

人から頼まれる頻度が減っている高齢者にとって、
「なんとかならないかな?」と持ちかけられると、
「なんとかしなければ」いられなくなる。

高齢者が、電話の声を
本当に息子や孫と思っているかどうかは
不確かである。
詐欺にひっかかる高齢者にとって、
そのこと以上に重要なのは、
自分が人の役に立てるという事実である。

その結果、味方であるはずの銀行員を
「家の改築に必要」などとだまして、
預金を下ろしてしまう。

だまされている人が、自分を守ってくれる人をだます。
大金は持っているが、
淋しい高齢者のモチベーションというものが、
どういうものであるかがよくわかる。

「ユマニチュード」などの健康支援と
おれおれ詐欺には、
人間を人間として扱うという点で(一方は悪意に満ちているが)は
悲しいかな共通性がある。
われわれは、
人間を、もっともっと学ばなければならない。

by rocky-road | 2014-02-09 23:54