またまた、テンで話にならない話。

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過日、知人が転居したので、
その転居通知を作ってあげた。
近くの「はんこ屋」さんに原稿を持って行って、
「これを版下にして印刷してほしい」と
頼んできた。
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が、数日後、校正が来たのでそれを見ると、
すっかり打ち直してある。
どうやら「版下」(そのまま印刷にかけられる原稿)の意味が
わかっていなかったらしい。
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いずれにしても、全部打ち直すことになっている、
との回答。書体やデザインが微妙に違っている。
それはがまんしたが、
なんと句読点を全部除いてある。
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「原稿どおりといったのに。なぜ、勝手にそんなことをするの?」
と聞いたら、「句読点は、普通は入れませんから」ときた。
「これだな」と納得した。

わが塾生が、結婚の案内や報告ハガキを作ったら、
句読点を全部外されてしまった。
「困る」といったら、「縁が切れる」といわれて
押し切られたという。
世の中は、完全にそうなってしまっているのだ。
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数日前、
NHKラジオを聞いていたら、
アナウンサーが、年賀状の書き方について、
調べてきたことを語っていた。
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いわく、
「『賀正』や『迎春』のような2字熟語は、
目上の人に使うのは好ましくない。
『謹賀新年』『恭賀新年』などの4文字がふさわしい。
また、『賀正』や『謹賀新年』の文字のあとに、
『おめでとう』などとは書かない。
『賀正』などが、すでに祝いのコトバだから」
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いやな予感がしてきたが、予感は当たって、
こんなことを語り出した。
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「句読点は打たない人が多いようです。
もともと筆で手紙を書いていた時代には
句読点は打たなかったので……」
「入れるかどうかは、人によって判断すればよいでしょう」
という追加コメントはあったが……。

天下のNHKがこんな放送をしたからには、
ますます手紙、ハガキ文化からは
句読点が消えてゆくことだろう。
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100年以上前、
明治政府は、それまでなかった「国語」を創設した。
お雇い外国人から「国語がないのはおかしい」と
指摘されたりしたことが一因……、
こう、司馬遼太郎氏が語っていた。
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このころ、「である体」や「です・ます体」が生まれた。
また、「わたし」や「わたくし」
「あなた」や「彼」「かの人」「彼女」などの
人代名詞が統一されてゆく。
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句読点も、徐々にではあったが、
教科書に採用され、小説家が積極的に使い始めた。
しかし、新聞記事には、1945年までは
あまり使われることがなかった。
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コトバは、多数決で決まるから、
「見れる」「食べれる」「寝れる」
「ヤバ」「うま」「すご」「まじ」に抵抗があっても、
恥も外聞もかまわず、使った者が主流となる。
「悪貨が良貨を駆逐する」のだ。
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印刷屋さんもアナウンサーも、
国語の知識や理念が充分とはいえないから、
自己判断などする由もなく、
無意識に世俗的な風習を受け入れてしまう。

印刷屋さんくらいならば仕方がないが、
NHKまでが「年賀状には句読点はいらない」と公言する。
日本を代表する公共放送局にも、
国語を守ろうという意識がないという現実。
これはかなり悲しいことである。
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国語の現象として見届けておきたいのは、
パソコンで新春のあいさつを印字し、
文例はパソコンのコンテンツを使い、
宛名もラベルで量産する、というハード任せの時代に、
毛筆時代の書式だという理由で、
句読点は打たない、という流儀を
そこだけは踏襲するという珍現象。

日本の国語教育では、
事務文書や各種案内ハガキの書き方の勉強には手が回らず、
あるいは、
感動のある名文鑑賞に軸足を置いた教育だったので、
無意識的にせよ、実用的な文書を低く見る傾向があった。
そういうものは、職場や業者任せておけばよい、と。
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さらに、いまのように、
一般人が文書を印刷する機械も技術もなかったから、
それらの軽印刷は、いきおい業者任せになった。
その結果、国語のあるべき姿などにまったく関心のない業者、
軽印刷屋や結婚式場が形式を決めることになり、
それが主流となるばかりか、
一般人を指導・教育するという、おかしな図式になった。

補助符号の研究者の書いた文章の句読点を除いたりするのは、
キャディーさんが
プロゴルファーにアドバイスをするようなもの、
グラウンド整備員が
マー君に投球ホームを教えるのに等しい。
出過ぎている。
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人が「文化」を考えるとき、とかく伝統に着目し、
過去のほうにポイントを置くが、
文化は、つねに現在進行形である。
案内通知に見る「句読点文化」は、
まさしく現在進行形どころか、未来をつくりつつある。

これぞ民間伝承の生きたモデルを
ライブ感覚で体験することができる事例である。
「正月に昆布を飾って長寿を願う」
「節分に歳の数だけ豆を食べる」
「霊柩車を見たら親指を隠せ」
「歯が抜けたら屋根の上に投げろ」
そういうしきたりが、どうして生まれるのかを
いま、見ることができる幸運を喜ぶべきだろう。
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それを信じるかどうかは、個々人のメンタリティ、
または教養の問題。
「パソコンに遊ばれるな」は、私の口癖。
ハードに収められている機能を
めったやたらに使う状態をいう。

パソコンの書式は、
国語の専門家が参加してできているわけではない。
国語表記のあるべき形を示そうとしているものではない。
パソコンに使われている人は、
内蔵されているフォントや記号、色を抑制もなく使う。
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「ロボットに使われる時代」は、未来の話ではない。
すでにロボットに使われている人が、
日本には何千万人といる。
「近未来」ではなく、「いまでしょう!!」

年賀状や喪中のあいさつに句読点を省く人は、
近代の国語表記法を乱す人ということになる。
自転車の暴走、ところかまわずのケイタイ使用、
タバコやガムのポイ捨て……、
そういう民度の低下は、国語の軽視にも現われる。
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そういわれるのがイヤなら、
文語体の文章表現を学んで、草書か行書を習って、
もちろん毛筆で手紙を書くことをすすめたい。
晴れて句読点を省くことができる。

そんなことを書いていたら、
喪中のあいさつハガキが来た。
見たら全文に句読点が打ってある。
私の説を伝えたことのない人の案内である。
これは奇跡か、砂漠でオアシスに出会った気分である。
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国語文化よ、
戻るのか進むのか、
それを見通す機会、
2014年元旦がもうすぐやってくる。

by rocky-road | 2013-12-07 23:49  

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