「義理人情」は人間以外の世界にも。

パルマローザが開催する「輪読会」も、
この12月1日(日)で第5回を数えた。
今回のテーマは「人間を多角的にとらえるために
関連書物を読む。(その1)」

テスキトとして3冊を使った。
①『進化と人間行動』
長谷川寿一、長谷川眞理子著
東京大学出版会
2000年4月発行

②『文化人類学のすすめ』
船曳建夫編
筑摩書房 1998年3月発行

③『食と栄養の文化人類学』
ポール・フィールドハウス著
和仁皓明訳
中央法規出版 1991年2月発行

1日で3冊を読むのは困難で、
序文など、一部を読むのが精一杯である。
『進化と人間行動』は30ページ分。
頭から少しずつ、順番に音読してもらい、
それについて補足したり、質問を受けたりして
進めてゆく。
今回選んだ3冊は、
生物学の基本と、文化人類学のさわり部分。
その狙いは、人間(または生物)をどう見るか、
人間の文化とは何か、ということを考えること。
よく議論される、人間の行動のうち、
どこまでが生得的(せいとくてき・うまれつき)なもので、
どこまでが文化的なものか、
それを専門学者の解説で考えてみること。

今日、一部の栄養士は、
「栄養素士」から「ヘルスサポーター」または、
「モチベーションサポーター」へと、
軸足をシフトさせつつある。
そのとき、大前提となるのは、
「人間とは何か」について、
一定の常識を備えておくこと。

人間を理解することは、何十万冊の本を読んでも
不可能だが、しかし、たとえば食行動のうち、
どの部分が本能的であり、どの部分が文化的であるのか、
という程度の疑問を持つくらいの視点がないと、
とても人間を理解することはできない。

軽々しく「行動変容を促す」などと
恐れを知らない表現を公然としているようでは、
とても人間をサポートすることなどできはしない。
「食」は本能であるとともに、
高度に文化的な行動である。
ひと口に「文化」といっても、
コミュニケーションから健康観、宗教観、
レクリエーションまで、多様である。

今回、みなさんが関心を示したのは、
動物の個体間に見られる協力行動(利他行動)の部分。
魚では、異種の魚のからだや口の中をクリーニングする例、
チスイコウモリでは空腹の仲間に自分の栄養源を吐き戻して与える例、
ライオンやチンパンジーに見られる協力関係の例。
ここには人間でいう「借り貸し」「義理人情」に似た行動が見られる。
こういう知識があると、
人の食行動の問題点をあげつらうアプローチが
生物学的にも、文化的にも、
いかに不合理なものかがわかるだろう。
よい点を見つけ、それを指摘することは、
一種の「利他行動」、相手に満足と感謝の心を生む。

それが、よりよい行動を生み出すのは、
われわれ地球上の多くの動物に共通する心理(本能)だろう。
自分を支持してくれる相手を識別し、感謝の気持ちを抱き、
なんらかの方法でお返しをする……。
この場合の「お返し」は、
相手の期待に自発的に応える諸行動である。
食コーチングがいう「肯定的指摘」は、
否定的なアプローチに比べて、
はるかに協力的であり、利他的である。
それゆえに効果が上がっている。

参加したみなさんが関心を示したことのもう1つは、
文化人類学以前の、博物学的、知的好奇心が
人間間に差別や格差を生んだという記述。
北半球に住む、文明が進んだ人たちは、
南半球に住む人たちの、文明的でない部分に
強い関心を示しながらも、
いつの間にか、遅れていることを楽しむようになった。
その感覚は、いま、われわれの中にもある。

裸で暮らす人、矢で動物を仕留める人、
肉を生で食べる人などに示す強い興味。
やがて、それらの人を、
遺伝的にも「劣った人間」と見がちになった。
その感覚が植民地を生み、民族浄化の思想を生んだりした。

文化人類学は、遅れている人間文化を研究する学問ではないと、
筆者は強調している。
現代社会にも、文化の違いがあり、
その違いは、
人間の、そしてヒトという動物の多様性の現われである。
多様性は、可能性にも通じる。
違いを「価値」の上下で見るのではなく、
バリエーションとして見る。

生物学にしろ文化人類学にしろ、
「フィールドワーク」という、
無心に取材をする調査手法をとる。
そこに住む人たちをときどき訪問して聞き出す、
というのではなく、対象者と生活をともにしながら、
何か月も、何年もワークを続ける。
それほど慎重に研究をしても、
ときどき相手のウソに引っかかって、
事実とは違う研究発表をする例もあった。
なかには、研究者自身が、ウソの研究発表をすることもあった。
現場には、別のチェッカーがいるわけではないから、
インチキもありうる。

ここで、進行役の私がみなさんに問うた。
「国民健康栄養調査」も、一種のフィールドワークだろうか。
でも、調査用紙を渡して「記入しておいてください」などとやるのが、
「調査」といえるのかどうか。
それでも、何十年も続けていくことで、
それなりの効果はあげている。

さらに聞いた。
食事相談にも「フィールドワーク」の要素はないだろうか。
もし、丹念に対象者のライフスタイルを聞き出していれば、
その要素がないとはいえない。
が、「栄養指導」に関しては、
断然、フィールドワークの要素はない。

とすると、実態を把握せずに対策があるのだろうか。
本も、読み方によって、いろいろのことが発見できる。
それにしても、相手は人間。
1回の輪読会ですむはずもない。
これはシリーズして、何回か続ける必要を感じた。

by rocky-road | 2013-12-02 22:31