マスメディアによる「刷り込み」

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7月21日に衆議院選挙が終わったが、
過日の東京都都議選と同様、
今回も投票率の悪さを指摘するメディアが多かった。
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有権者の2人に1人が棄権するのだから、
わが日本国は、半ライスの定食を常食するようなもので、
ダイエットには有効だとしても、
ここ一番の力仕事には向かない「虚弱体質国家」ということになる。

ハチやアリの種には、働くグループ、ちょっと働くグループ、
まったく働かないグループによって構成される巣を持つ種があると聞く。
実験で、働くグループを除去してみると、
中間層が働く役割を果たすようになるというが、
働かないグループは、やはりまったく働かないという。
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生物学的には、働かないことにもなんらかの意味、
なんらかの目的があるはずだが、
それについて解釈している専門家の意見には接していない。

選挙制度は、民主主義の大原則だが、
棄権する者が少なくなく、どこの国でも頭を悩ませている。
棄権すると罰を科する国はオーストラリアやスイスなど
9か国あり、罰はあっても適用がゆるい国は14か国があるとのこと。
どんなに厳しくしても、投票率は100%とはいかない。
よくも悪くも、人間のしたたかさを感じざるを得ない。
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日本の場合は、どちらかというと、
棄権を温かく容認する(または賞賛する?)国に
属するのではないかと思う。

その理由をあげてみよう。
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1.「無党派層」という用語の熟語化・定着化。
 マスメディアの造語だと思われるが、
 選挙に関心がなく、そのときどきの気分で投票をしたり、
 棄権をしたりする無責任層に一定のポジションを与えることになる。

 スポーツゲームを愛好する人の場合、
 「今年はジャイアンツを応援する」
 「来年はタイガースを応援する」などといったら、
 ファン扱いはしてもらえないだろう。
 海外の過激なサッカーファンだったら、
 そういうフラフラしている奴は、
 殴られるか軽蔑されるかするだろう。
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 政治もチームプレーだから、
 ひいき政党を持たない有権者は、
 最低レベルの「政治ファン」とさえいえない。
 そういう烏合の衆が思いつきで投票をすると、
 衆・参院間で「ねじれ現象」が生じたりして、
 政治が不安定化する。

 投票を罰則を設けて強要すると、
 こういう〝ファン外ファン〟を生み出して、
 かえって政治をややっこしいものにしてしまう。
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 「無党派層」はひいきチームのない人を
 スポーツファンのように錯覚させる用語だから、
 「無関心層」「低関心層」「低意識層」
 などに言い換えることで、
 少しは警告的意味を持たせることができるだろう。

2.マスメディア関係者のエエカッコ発言。
 テレビのコメンテーター、学者、解説者などの中には、
 棄権率の高さを「政治がおもしろくないから」
 「政治に期待感がない」と解説する者が多い。
 「おもしろい」とはどういうことか。
 「期待感」とはどういうことか。
 棄権者を甘やかすんじゃない。
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 おもしろさにしろ、期待感にしろ、
 それなりに政治の仕組みがわかってこそ、
 実感できるものである。
 解説者もなく、1人で見る初スポーツ試合を
 おもしろいと思う人間がどれくらいいるだろう。
 しかも政治は、スポーツの試合よりも数百倍、
 いや数万倍は複雑で奥が深い。

 テレビの街頭インタビューにも、
 「私が投票しても何にも変わらないから棄権した」
 などと、平然と語る通行人のコメントが登場する。
 これは、民度の低さからいって、
 「私は鼻をかんだティッシュを道に捨てた」
 「駅のトイレに落書きをした」というくらいに
 恥ずかしい告白である。
 それを感じない通行人、それを放送する関係者の
 衆愚傾向が如実に出ている。
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 参院選の翌日、
 2人のキャスターのおバカぶりが歴然と出た。
 TBSラジオの番組「森本毅郎のスタンバイ」は
 午前6時半から8時半まで、
 8時半からは「大沢悠里のゆうゆうワイド」が始まる。
 このとき、森本から大沢へと、
 キャスターのバトンリレーがある。

 ほんの1分間ほどだが、
 フリートークで軽口をたたいて、
 次の番組を担当する大沢に「ではよろくし」といって
 バトンタッチをする。
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 7月22日、ここで森本がいった。
 「それにしても、きのうの選挙は感動のない選挙でしたね」
 大沢もこれに同調した。
 軽薄キャスターのそろい踏みというところである。

 およそ1億4,000万の有権者のうち、
 約5,500万人の人が投票行動をした、
 この一大イベントを「感動がない」と
 さらっと切り捨てるマスメディア人としての低センスにあきれる。
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 当選した人、それにかかわった人、投票をした人、
 落選した人、それにかかわった人、投票をした人など、
 それぞれにそれ相当の感慨があったはず。
 人によって、スポーツゲームを上回る「感動」もあったろう。
 実際、生きるか死ぬかの瀬戸際の人も少なくないはずである。

 1ラジオ番組のキャスターごときが、
 あたかも5.000万人を代表しているかのような
 したり顔で、「感動がない」などといってほしくない。
 なんと尊大な、思い上がった態度だろう。

 察するところ、この男は棄権したか、
 自分の投票した候補者が落選したか、
 系列新聞社が意味不明な支持をする党首の一派が
 政党とはいえないくらいの得票しか
 得られなかったことが悔しいのか、
 〝乗れない〟理由があるのだろう。
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 いや、そうではなく、
 そうやって冷めた感想をいうことで、
 自分のイメージをあげようとする、
 なんとも軽い、屈折した動機が見えてくる。

 このタイプがもっとも性質(タチ)が悪い。
 マスメディアが政治と一定の距離を置くことは必要である。
 が、それは、民主主義の根幹をなす選挙をまぜっ返すことではない。
 そのへんのことがわかっていない。

 こういう不真面目、不謹慎、軽薄なメディア関係者によって、
 「無党派層」や棄権者が助長され、
 民度の低い国民がつくられてゆく。

 ローレンツによる「刷り込み」(インプリンティング)
 というコトバは、本来の意味とは違う意味で
 使われる昨今だが、こんなケースでは、
 やはり便利なコトバである。
 マスメディアまたは軽薄なキャスターによって、
 おかしな感覚を刷り込まれないように
 油断なくマスメディアとつき合いたいものである。  

by rocky-road | 2013-07-27 00:52  

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