「海、たび旅」は続く……。

5月31日の朝刊一面の書籍広告に
『海女のいる風景』(昭和の美しい海の女たち)
というタイトルの本を見つけた。
著者は大崎映晋(おおさき えいしん)。
大崎さんが現役の著者であることに驚いた。
広告には、「著者は92歳」とある。
さっそく版元や、いくつかの書店に電話をしたりして、
その本を入手した。

大崎さんは、私がダイビングを始めた1964年ごろ、
すでにダイビングのガイドブックを著わしていた大先輩、
大ベテランである。
1920年生まれとあるから、私より16歳も年長である。
私がバイブルのように読み込んだ『潜水教室』という本は、
1964年発行。まさに私がダイビングクラブに属して
ダイビングを始めた年次である。

『潜水教室』は、奇跡的に書棚にあったので、
さっそく開いてみたら、扉の裏に大崎さんのサインが入っている。
「昭和六十三年五月十四日」との日付。
何回かお会いした記憶はあるが、
サインをいただいたことは忘れていた。


近著の『海女の風景』の新聞広告を見て、
その本を入手した日の翌日(2013年6月1日)が、
私のダイビング歴50年目を祝っていただくパーティの日
というタイミングがうれしかった。

6月5日の誕生日を前倒ししたその日の祝いは、
当初は「喜寿」の祝いということだった。
が、昔、還暦の祝いのあと、その意味を大いに疑った。
そうした加齢にかかわる祝いは、
たぶん中国由来のものだと思うが、
それが現代にはほとんど意味をなさないことを感じている。

赤いちゃんちゃんこを着て「おめでとう」
なんか言っている時代ではない。
自分の周囲には、さすがに赤いちゃんちゃんこをくれる人はいなかったが、
60歳ごときで「還暦」などといわれるのが恥ずかしかった。

つい最近、義兄の家を訪ねたとき、
年齢を聞かれたので「76」と答えたら、
言下に「ああ、まだ若いんだネ」といわれた。
30歳のとき、旅行先で「大学生?」と聞かれて、
少し気分を害したことがあるが、
76歳を「まだ若いんだネ」といわれてみると、
分別としては満足すべきだと思うものの、
感覚的には「若僧」と見られた気がしないでもない。

ということで、祝いのパーティの名称は
「大橋禄郎 『海、たび旅』50年を祝う会」
ということにしていただいた。
(有明ワシントンホテル アイリスの間)
「海、たび旅」は、『海と島の旅』という、
私が提案して創刊したダイビング雑誌に
連載をしたときの名称である。

ふと思い立って、パーティのときに
自分のダイビング史を年表として配布しよう、と決めた。

クラブが発足した年月、専門誌に載った先輩の論に
反論を寄せた雑誌名とその月号、
ダイビング雑誌の編集を手伝うようになった年月、
『海の世界』という雑誌に「ニッポン海底散歩」という連載を
全18回続けた期間、その他の十数本の連載記事の年月や期間、
クラブ創設者の親友が一酸化中毒で急死した事故の年月日。

最初に立ち上げたクラブ、≪東京潜泳会≫、
そして、クラブ横断的な組織である≪ダイビングクラブ連絡会議≫や
≪水中8ミリフェスティバル≫、≪水中映像サークル≫
などの組織を立ち上げた年月、
いまも所属する≪スノーケリングピープル≫というクラブを作った年月、
いくつかのフォトコンテスト入賞の年月などなどの
リストアップを急いだ。

作業は楽しいものだが、資料に当たっているうちに、
パーティで公開するには時間が足りないことがわかった。
それでも作業はやめられない状態だが、
ともかく、あしたのパーティには間に合わない。
若いうちは、自分を飽きっぽいと思ったことはあるが、
それはテーマ探しの時代の一面であって、
現時点で振り返ると、持続性はあるほうだと思う。
やりかけた仕事、やりかけた趣味、やりかけた青春、
やりかけた人生などを、まだ当分は手放す気はない。

折しも、以前、発足のお手伝いをした
日本シニア―ダイバーズクラブが20周年を迎える、
というお知らせと会報とを受け取った。
発起人の方々は故人となったが、
後継者によって、より活力あるクラブに発展している。
来年1月には創立20周年記念パーティを
計画しているという。
もちろん「出席」のご返事をした。

私の「海、たび旅」も、しばらくは続くだろう。

by rocky-road | 2013-05-31 23:47