「入選??!!! オーマイゴッド!!!」
恒例の、4月29日のパルマローザ写真教室、
選評結果を見た方々のご感想を
ブログ上や直接のメールなどで拝見した。
入賞者のコメントに漂う高揚感が楽しい。
授賞の喜びは格別なもので、
私自身、いくつかのフォトコンで上位入賞の連絡を受けたとき、
「ウソでしょ」とヤボな反応をしたことを覚えている。
喜びや悲しみが強いと「ウソでしょ」となるのが
日本人の一般的な感動表現だろう。
今後、そんな機会があったら「オーマイゴッド!!」と叫ぼうと心に誓う。
フォトコンは、一種のゲームである。
自作に自信があっても、発表までは入選と落選の両方に針が振れる。
この感覚がたまらない。とはいえ、
「第29回 よみうり写真大賞」(テーマ部門第一席)のときだけは、
自信満々で、作品を送って1週間もたたないうちに、
「まだ連絡ない?」と家族に何回も尋ねたものである。
作品に加えて、そのタイトル「わんマンショー」に
手応えを感じていた。
予選通過しなかったことは、もちろん何回もある。
なんとか入選しても、上位入賞者の作品を見て、
「参りました」とつぶやいたこともある。
スポーツの試合で負けたときの悔しさはない。
悲壮感が伴わないところが、フォトコンというゲームの楽しさである。
写真仲間には妙な説があって、
「フォトコンばかりを狙っていると写真が堕落する」
「ライブラリー写真を撮っていると職人写真になる」
(ライブラリーとは写真のレンタル会社。
世界中からいろいろの写真を集め、貸し出しをするビジネス)
そんなことはない。
写真には美術工芸品の記録から、報道写真、
芸術性を求める写真など、そのジャンルは数千、数万に及ぶはず。
それぞれに専門家がおり、その人たちは、
本業に追われて、それ以外の写真を撮るヒマはない。
しかし、仕事では料理写真を、自由時間には水中写真を、
仕事ではレントゲン写真を、プライベートでは風景写真を……
と、別のジャンルを楽しんでいるカメラマンを知っている。
長期間、多忙続きのプロカメラマンは別として、
普通のペースで仕事をしているカメラマンなら、
二兎追うことは不可能ではない。
ましてやアマチュアだったら、小説と写真、
油絵とサッカーなど、5兎でも6兎でも追っている人はいる。
「1つのことを追求すると一方が堕落する」
などという表現自体に品格がない。
「堕落」に見えるのは、「この写真、売れるよ」などと、
すぐに価格評価をする、その卑俗な交際術のせいだろう。
とはいえ、写真愛好者にもいくつかのセオリーはある。
その1 自作のよさを、撮ったときの苦労やタイミングを添えて自慢しないこと。
四の五のいわず、作品自体に語らせる。
その2 撮りそこなった写真を「撮れていたら傑作だった」などと
コトバで説明しない。「釣り落とした魚はデカイ」という先人の教えがある。
その3 よい写真は、タイトルをつけなくてもよい写真であることに変わりはない。
フォトコンでタイトルが悪いために落選することはあまりない。
が、タイトルを変更することを条件に当選させた例はある。
作品を発表するとき、あまり下劣なタイトルでは、
主催者の知性や品位が疑われる可能性があるから。
その4 写真を撮るとき、早くもタイトルが頭に浮かぶときがある。
が、それは人にはいわない。いうと、自画自賛になりやすいから。
まずはよい写真を撮ることに集中すること。
その5 よい写真を鑑賞している人は上達する。
作品について論評してくれる人がいるとなおいい。
写真展や美術展には行ってみたい。
その6 カメラの高級性、レンズのよさが
よい写真を生む第一条件のようにいう人は
写真はあまりうまくない。
こういう人には習わないほうがよい。
最後に大事なセオリーを追加。
その7 写真に熱中することで、あなたの仕事、あなたの人生を
劣化させることはない。むしろ、感性を磨くことになり、
プラスになることが多い。
by rocky-road | 2013-05-15 23:46 | 写真教室