来年の予定があるから、肉もほどほど食べましょう。

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またしてもすさまじい本が出た。
「長生きしたけりゃ肉を食べるな」ときた。
だがしかし、今回はその是非は述べない。
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今回は、そういう奇抜な論にクレームをつけた雑誌があった、
という事例について、考えてみたい。
『週刊文春』2月21日号に載った
「『長生きしたけりゃ肉は食べるな』は大ウソ!」という
見開きの記事。
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言論の自由を標榜するマスメディアが、
他のメディアの内容をチェックするのは、
しばしばあることではないが、きわめて健全なこと。
それこそ、言論を磨く重要なプロセスだからである。
この記事では、2人の医師がコメントしている。
(「専門医が一刀両断」ときたもんだ!!!)
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その内容およびその理由をここにあげるまでもないが、
この週刊誌は、著者のおばちゃまを訪ねていったり、
版元(幻冬舎)の担当者からもコメントをとったりしている。
記事を仕立てる手順をきちんと踏んでいる。
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マスメディアとはおもしろい存在である。
当の『週刊文春』自身、およそ半年前に
「1日2食で20歳若返る」という、
これも相当に怪しい医師の説を肯定的にとりあげ、
あまつさえ、そのドクターに短期連載までさせている。

これだって、一刀両断ものだが、
自誌ではもちろん、他誌もシラッとしているばかりで
気味の悪いビンボーゆすり医師の説をチェックすることはなかった。
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マスメディア同士、医師同士、ケンカはしない、
という不文律があるのだろう。
ヘタにからまると反撃を受け、事がややこしくなる。
それを知っているからである。
「金持ちケンカせず」は日本人の知恵でもある。
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が、「肉を食べるな」説のおばちゃまが、
素人だとなると話は別。
京都府の山間部にある、古民家の拠点にまで取材に出かけている。
おばちゃまもしたたかで、少しもひるまず、
「信念のない人は治らない」と言いきっている。
弱い者いじめぽっい取材者への対応は立派。
(彼女の説を支持する者にあらず!!!)
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取材者のちょっとしたフレーズに、
この記事自体の脇の甘さが滲み出している。
「もはや若杉氏(肉を食べるな論者のこと)が説く
肉なし生活では長寿国日本の看板は風前の灯なのだ」
--「もはや」の意味がわからない。
日本人が肉なし食生活を続けた結果、「もはや」と来るのならわかるが、
まだ、肉なし食生活が始まってもいない。

ちなみに、日本人の1日の肉の平均摂取量は、
1980年=67.9各グラム、 2001年=76.3 
2006年=80.4、 2010年=82.5(国民健康栄養調査報告等)
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「風前の灯」という表現も気になる。
「風前の灯」とは、明るかった灯が風に吹かれ始めて、
いよいよ消えかかっている、という状況のときに使う。
ベストセラー本1冊くらいで、日本人の健康の灯は消えはしない。

それをいうなら、自分のところの例の記事以来、
1日2食を続けている読者を探して、
実際に20歳若返ったのか、栄養不足で「風前の灯」なのか、
あの記事の結果報告をするほうが意味はあると思うが、いかが。
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ところで、こうも怪しい「健康もの」に
もっとも困惑している職業の1つは健康支援者であろう。
相談者からは「♪どうすりゃいいの、このワタシ♪」と
問われている図が目に浮かぶ。

模範解答はない。
健康は、資質に加えて、少なくとも健康の6大要素によって
下支えされるものだからである。★大橋説
(①栄養 ②運動 ③休養 ④ストレスコントロール 
 ⑤よい人間関係 ⑥生きがい--日々の楽しみや、あしたの予定など)
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食事は、こうした条件の1つに過ぎない。
いや、6大要素にしても、
それは健康を支える最低限度の条件にすぎない。
健康を支える条件は、人により(人生観など)、居住地により、
職業により、学歴により、年収により、友人の質と量により、
家族との関係により、趣味により、身だしなみにより…………、
みんな違ってくる。
超高齢者に学ぶのはよいが、同じことをやっても長寿は約束されない。

それでは、プロとしてあっさりし過ぎる、というなら、
こんなアンサーはいかがだろう。
「栄養士の立場からいえることは、1日に何をどれだけ食べるか
という自分の量を把握して、それを時刻どおりにとること。
それが実行できたら、あとは、6大要素を目標にする。
しかしそれは、長寿の条件ではなくて、
健康を維持するために、少なくともこのくらいはしておきたい、
という、最低条件(ミニマムアクセス)です」
切れ味はよくないかもしれないが、
「健康教養」を有する者としては、このスタンスを維持したい。
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さらに補足的にいう必要があれば、こうつけ足せばよい。
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「健康って、大変でしょ。だから健康のために生きようとしないことです。
実際、そういう守りの人生を好む人は少ないでしょう。
それよりも、日々、快適な、リズムのある生活を心がけてはいかがでしょうか。
それには睡眠を規則正しくとることとか、
私の立場からいえば、1日3回の食事時刻をきちんと守ることとかでしょう。
それは、健康法というよりも、日々、タイムスケジュールをもって、
リズミカルに、快適に暮らす基盤になると思うのです。
定刻の食事は、仕事や勉強、遊びのひと休みにもなるし、
それによって安心感や充足感が得られる。

それは幸福感の地盤になるものではないでしょうか」
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by rocky-road | 2013-02-16 22:13  

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