マルで進化していない。

マルで進化していない。_b0141773_065890.jpg

フリーマーケットで、
古い雑誌を売っている店をのぞいているとき、
自分の記憶の誤りに気づくきっかけがあった。
平凡出版発行の『popeye』(ポパイ)という雑誌の
1983年版が売られているのが目に入ったのである。
マルで進化していない。_b0141773_0252115.jpg

ビニール袋で包まれていたが、妙に安かったので、
2冊を買って、1冊を開いてみたら、案の定、
この雑誌だった。
それは、記事のタイトルに徹底して句点「。」をつけることに
こだわった雑誌であった。
長い間、その雑誌が『週刊 プレイボーイ』だと思っていたが、
私の記憶違いだった。
マルで進化していない。_b0141773_0262474.jpg

神田神保町の古本屋街で『週刊 プレイボーイ』を
何冊か買ったことがあるが、約30年前の、
当時300円前後の古い雑誌が、
いまは2,000~5,000円もするのである。
買ってはみたが、句点の打ち方に特徴はなかった。
マルで進化していない。_b0141773_0272280.jpg

日本の文章習慣では、
タイトルや小見出しには「。」(句点)をつけない。
が、「ポパイ」では、記事のすべてのタイトルに「。」をつけた。
その影響は大きく、いくつかの雑誌がそれに追随した。
私が編集をしていた当時の『栄養と料理』もその1つだった。
マルで進化していない。_b0141773_0303849.jpg

単に句点を打つか打たないかという、視覚的なことが問題なのではなくて、
読者の位置を思いきり身近なところに置き、
あたかも仲間に語りかけるような口調で語りかける。
「文体」というよりも「口調」である。
マルで進化していない。_b0141773_0311225.jpg

「折り畳めて通勤電車で運べる自転車とは便利だね。」
「テレビはぼくらの夢機械。」
「ブタの糞や野菜クズから代用エネルギー。ゴミも大切にしよう。」
という具合である。

当時は、もちろんケイタイはなく、
おしゃべりを文字化した、今日の「ケイタイ文体」は
生まれてはいなかった。(ファックスでおしゃべり型文章を書く人はいた)
そういう時代に登場したのが「ポパイ文体」である。
ときに語りかけ、ときに主張するには
「。」は不可欠なものであった。
マルで進化していない。_b0141773_0312824.jpg

補助符号の研究者としては、看過できない言語現象であった。
私が知る限り、「ポパイ」方式は、その後、継承するメディアはなく、
今日に至っている。が、ポツンと一誌、これを踏襲している雑誌がある。
スポーツ雑誌の『Number』(文藝春秋 各週刊発行)である。
編集部に電話をかけて、その意図を確かめようとしたことは、
以前、このページにも書いた。
マルで進化していない。_b0141773_0354417.jpg

そのときは、電話に出た人から、
3チームのうちの1チームの編集長が、
句点を入れる人だと、聞いただけだった。
直接、編集長に意図を聞こうと手紙を出したが、
いまのところ返事はない。
マルで進化していない。_b0141773_0325367.jpg

タイトルには句点をつけない、という慣習がある日本では、
そこにあえて「。」を打つことには、
それ相当の方針があってのことだろう。
その理論を知りたいと思う。
マルで進化していない。_b0141773_033538.jpg

『栄養と料理』時代、タイトルに「。」をつけたい、
と編集長としての意向を示したら、
大ベテランの校正担当女性から「そんなこと、聞いたことがない」と、
強硬に反対された。
記事のコンセプトをタイトルに示すこと、
「人が使ったコトバ」であるニュアンスを強める効果、
それによる温かみの強調など、
文章心理学的な理由をあげて説得を試みたが、
絶対反対の姿勢は変わらなかった。
やむを得ず、編集長方針として押しきるしかなかった。
マルで進化していない。_b0141773_022035.jpg

もう一度いうが、タイトルに「。」があるかないかは、
視覚的な問題にとどまるものではなく、
読み手の心を深く読み取ること、
コンセプトのしっかりした、
自信のある情報を発信することなどが目的である。
その結果として、体言止めが少なくなり、
動詞や助動詞、形容詞や形容動詞の文末が多くなる。
語尾が大事な日本語の効果を生かすのである。
「。」は、そういう姿勢の表われである。

新聞は、自由民権運動の影響を強く受けて育ったメディアだから、
硬派で、上から目線的で、したがって、読み手の心に迫る、
というようなアクションをヤワイと見る。
それが、日本の多くの文字媒体に影響している。
マルで進化していない。_b0141773_022553.jpg

私が 10年以上かかわっている、あるNPOが出している雑誌も、
新聞の影響を受けているので、
「。」を打つことを何度すすめても採用しようとしない。
言語習慣は、強固なものである。

今後、タイトルに「。」を入れる表記法が一般化するかどうか、
あまり期待はできないが、広告には「。」を使うものが増えている。
「。」が読者との距離を狭めることに気がついている人は、
少なくないのである。

30年前の『popeye』を見ていて感心したのは、
編集の「句点主義」を広告にも求めているらしいことである。
この雑誌に載っている広告のほとんどが「。」を使っている。
コンセプトを貫いた、当時の編集長、発行人に敬意を表する。
編集長は安田富男氏、発行人は木滑良久氏(きなめり)、
木滑氏は、当時から著名な編集人である。
マルで進化していない。_b0141773_0181776.jpg

この雑誌の広告の表記にすごいのを見つけた。

「グルーミングで
 充電100%。」

よく見てほしい。「%」記号に「。」が打ってある。
そこまでやるか!!!、である。
マルで進化していない。_b0141773_0152224.jpg

ところで、パルマローザが発行する『エンパル』のタイトルや
見出しにも「。」が打ってある。
日本の健康支援者向けメディアで、
それをコンセプトにしている発行元はゼロだろう。
マルで進化していない。_b0141773_0341167.jpg

3度目になるが、それは「。」の有無や多少の問題なのではなく、
読み手を深く理解するプロセスとして意味を持つものであり、
読み手にやさしく迫っていこうとする意欲の問題なのである。
マルで進化していない。_b0141773_0342247.jpg

by rocky-road | 2013-02-08 00:03  

<< 来年の予定があるから、肉もほど... 「羊頭狗肉」本にご注意。 >>