マルで進化していない。
フリーマーケットで、
古い雑誌を売っている店をのぞいているとき、
自分の記憶の誤りに気づくきっかけがあった。
平凡出版発行の『popeye』(ポパイ)という雑誌の
1983年版が売られているのが目に入ったのである。
ビニール袋で包まれていたが、妙に安かったので、
2冊を買って、1冊を開いてみたら、案の定、
この雑誌だった。
それは、記事のタイトルに徹底して句点「。」をつけることに
こだわった雑誌であった。
長い間、その雑誌が『週刊 プレイボーイ』だと思っていたが、
私の記憶違いだった。
神田神保町の古本屋街で『週刊 プレイボーイ』を
何冊か買ったことがあるが、約30年前の、
当時300円前後の古い雑誌が、
いまは2,000~5,000円もするのである。
買ってはみたが、句点の打ち方に特徴はなかった。
日本の文章習慣では、
タイトルや小見出しには「。」(句点)をつけない。
が、「ポパイ」では、記事のすべてのタイトルに「。」をつけた。
その影響は大きく、いくつかの雑誌がそれに追随した。
私が編集をしていた当時の『栄養と料理』もその1つだった。
単に句点を打つか打たないかという、視覚的なことが問題なのではなくて、
読者の位置を思いきり身近なところに置き、
あたかも仲間に語りかけるような口調で語りかける。
「文体」というよりも「口調」である。
「折り畳めて通勤電車で運べる自転車とは便利だね。」
「テレビはぼくらの夢機械。」
「ブタの糞や野菜クズから代用エネルギー。ゴミも大切にしよう。」
という具合である。
当時は、もちろんケイタイはなく、
おしゃべりを文字化した、今日の「ケイタイ文体」は
生まれてはいなかった。(ファックスでおしゃべり型文章を書く人はいた)
そういう時代に登場したのが「ポパイ文体」である。
ときに語りかけ、ときに主張するには
「。」は不可欠なものであった。
補助符号の研究者としては、看過できない言語現象であった。
私が知る限り、「ポパイ」方式は、その後、継承するメディアはなく、
今日に至っている。が、ポツンと一誌、これを踏襲している雑誌がある。
スポーツ雑誌の『Number』(文藝春秋 各週刊発行)である。
編集部に電話をかけて、その意図を確かめようとしたことは、
以前、このページにも書いた。
そのときは、電話に出た人から、
3チームのうちの1チームの編集長が、
句点を入れる人だと、聞いただけだった。
直接、編集長に意図を聞こうと手紙を出したが、
いまのところ返事はない。
タイトルには句点をつけない、という慣習がある日本では、
そこにあえて「。」を打つことには、
それ相当の方針があってのことだろう。
その理論を知りたいと思う。
『栄養と料理』時代、タイトルに「。」をつけたい、
と編集長としての意向を示したら、
大ベテランの校正担当女性から「そんなこと、聞いたことがない」と、
強硬に反対された。
記事のコンセプトをタイトルに示すこと、
「人が使ったコトバ」であるニュアンスを強める効果、
それによる温かみの強調など、
文章心理学的な理由をあげて説得を試みたが、
絶対反対の姿勢は変わらなかった。
やむを得ず、編集長方針として押しきるしかなかった。
もう一度いうが、タイトルに「。」があるかないかは、
視覚的な問題にとどまるものではなく、
読み手の心を深く読み取ること、
コンセプトのしっかりした、
自信のある情報を発信することなどが目的である。
その結果として、体言止めが少なくなり、
動詞や助動詞、形容詞や形容動詞の文末が多くなる。
語尾が大事な日本語の効果を生かすのである。
「。」は、そういう姿勢の表われである。
新聞は、自由民権運動の影響を強く受けて育ったメディアだから、
硬派で、上から目線的で、したがって、読み手の心に迫る、
というようなアクションをヤワイと見る。
それが、日本の多くの文字媒体に影響している。
私が 10年以上かかわっている、あるNPOが出している雑誌も、
新聞の影響を受けているので、
「。」を打つことを何度すすめても採用しようとしない。
言語習慣は、強固なものである。
今後、タイトルに「。」を入れる表記法が一般化するかどうか、
あまり期待はできないが、広告には「。」を使うものが増えている。
「。」が読者との距離を狭めることに気がついている人は、
少なくないのである。
30年前の『popeye』を見ていて感心したのは、
編集の「句点主義」を広告にも求めているらしいことである。
この雑誌に載っている広告のほとんどが「。」を使っている。
コンセプトを貫いた、当時の編集長、発行人に敬意を表する。
編集長は安田富男氏、発行人は木滑良久氏(きなめり)、
木滑氏は、当時から著名な編集人である。
この雑誌の広告の表記にすごいのを見つけた。
「グルーミングで
充電100%。」
よく見てほしい。「%」記号に「。」が打ってある。
そこまでやるか!!!、である。
ところで、パルマローザが発行する『エンパル』のタイトルや
見出しにも「。」が打ってある。
日本の健康支援者向けメディアで、
それをコンセプトにしている発行元はゼロだろう。
3度目になるが、それは「。」の有無や多少の問題なのではなく、
読み手を深く理解するプロセスとして意味を持つものであり、
読み手にやさしく迫っていこうとする意欲の問題なのである。
by rocky-road | 2013-02-08 00:03